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金婚式の友人夫妻

4月29日、昭和の日、50年前は天皇誕生日だった。当然、祝日である。この日に友人たちは結婚式をあげた。彼らはラッキーだ。常に祝祭日になっている。

「金婚式になったのよ、信じられる?」と友人(女性側)が言う。信じられるもなにも、50年も結婚生活を続けられたなんて、うらやましい!!

この頃、熟年離婚も多いなか、50年続いている。これは奇跡だ!と言いたいけれど、そういうカップルは結構多い。

フランスでは、もちろん、近年、離婚が増えているが、私のまわりは金婚式だけでなく、ダイヤモンド婚、プラチナ婚もいる。

友人には、庭のチューリップを5本切って、お祝いのプレゼントとした。1本が10年ということになるが、ちょっとけちったかな、という思いもあるが、50本もチューリップは植えていない。
それに、今年はうまく気温が高くて、チューリップも咲いていたからよかったのだが、例年だとまだ咲いていないこともある。

つれあいと私は、晩婚であったし、金婚式などはとんでもない、銀婚式を迎えられればいいね、と言っていたが、それもかなわなかった。
現実的には、高齢になって、会話もあまりなく、銀婚式が危うい可能性だってあったかもしれない。

「いろいろあるのよ」と友人は言うけれど、50年の共同生活、ちょっとやそっとのものではない。やっぱりうらやましい、の一言だ。
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春の叙勲で考えたこと

4月29日、春の叙勲が発表される。自分の名前が載っているわけではないが、ちょっとだけ注意深く見ていく。

勲章の種類がとても多い。まず旭日大綬章、瑞宝大綬章、旭日重光章、瑞宝重光章、旭日中綬章、瑞宝中綬章、旭日小綬章、瑞宝小綬章、旭日双光章、瑞宝双光章、旭日単光章、瑞宝単光章、12種類だ・旭日のほうが瑞宝より位が上らしい。

昔は勲一等とか勲二等といった等級で差をつけられいたが、それがいけないとかで、こういう名称になったとか、聞いた記憶がある。
在外の邦人や外国人は50代という人もいるが、日本人は70歳以上である。

「旭日章」は政治家や民間人、「瑞宝章」は公務員が対象なのだそうだ。
著名人では俳優の西田敏行氏、北野武氏、将棋の加藤一二三氏などがいるが、ノーベル賞受賞者の英国籍作家、カズオ・イシグロ氏が受勲している。カズオ・イシグロ氏は旭日重光章というから、ノーベル賞受賞者として、相当する勲章を与えられたということだろうか。

そういう観点からみれば、フランスのシャンソン歌手、シャルル・アズナブール氏が旭日小綬章というのはどうなのだろう。それも93歳になっての受賞である。
彼がこれまで辞退していたのか、だれも推薦しなかったのか、受賞のいきさつはわからないけれど、なんだか納得いくのかいかないのか。

アグネス・チャン氏も授賞だ。彼女は英国人として、かつ元日本ユニセフ協会大使としてで、歌手やタレント活動のためではない。
その隣にはジェーン・バーキンの名もある。
ヘルベルト・プロムシュテット、N響桂冠名誉指揮者は90歳での旭日中綬章だ。

そうなんだ、勲章をいただくためには、その分野での功績ももちろんだが、長生きが最大の条件なのか、と変に納得する。

シャルル・アズナブールは確か、今年、日本公演を行うと思うけれど、日本の勲章はその時に受けるのだろうか。それともパリで大使から受けるのだろうか。
日本からの勲章、どのくらいうれしいのかな?
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キツネが蛇を食べていた

今朝、少し早目に毎日の定例行事である新聞買いにしたへ降りた。集落を出たところに茶色の動物がみえる。大きさからいえば犬のようにもみえる。野犬かしら、飼い犬ならリードをつけていないな、飼い主は不注意だな、と車を走らせる。

姿が細い。やけにスマートな犬だ、と思ったら、口になにかくわえて遊んでいる。危ないな、と思っていると、それがキツネであり、口にくわえているのが細長いもの、蛇であることが見えた。
私の車が近づいてきたぎりぎりのところで、あわてて道路沿いにあるキャベツ畑へと走って逃げる。変にブレーキをかけたり、ハンドルをきると、かえって危ないと思っていたのでほっとする。

そして、キツネって蛇を食べるんだ、とキツネの食生活に思いをよせる。ファーブルの寓話ではないが、フランスのキツネはチーズを食べると、小さいとき思い込んでいたことも思い出すが、正確に何を通常食べているのやら、いまだもって知らない。

自分の食生活、あるいは日常をキープするだけで精一杯なのだから、自然の営み、特に動物の営みにたいして、無知、無関心である。
森の中で生活しているのだから、こちらが闖入者であるにもかかわらず、自分に都合の悪い動物たちは邪魔者扱いをしている。

イノシシ、鹿、キツネ、狸、ウサギ、これらはこわかったり、植物を傷めたりするから迷惑類に分類する。正確な名前を知らないが、カマドムシ、カメムシ、アブ、ハチ、こういった虫の類も、きらい、かつ迷惑千万極まりないものだ。

それかといって、根絶しようという意思もない。昔はよくフマキラーなる殺虫剤を噴霧していたものだが、こんなに虫が多いところに住んでいても、噴霧というのはしなくなった。せいぜい接着効果のあるものを家のあちこちに置く程度だ。

新聞を買っての帰り道、急坂の村道で、鹿と遭遇した。あちらが道を譲ってくれた。柵をのりこえ、崖をおりていったのだ。レディに道を譲ってくれてありがとう、などとバカげたことを独り言ちた。
ゴールデンウィーク、人間のみならず、動物も張り切っているのだろうか。

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スズランへの思い

毎日、庭をいじっていると、昨日と違うことを発見する。春のよろこびだ。芽がでて、日々成長し、緑が濃くなり、花芽がついて、といった変化をみていくのは、自分で庭を管理しているからこその楽しみだ。

昨日は、庭の一部にスズランの芽がでているのをみつけた。南と北のいくつかの箇所にスズランがでるのだが、その場所は昨年はでていなかった。
まだほんの1センチ弱、細い剣先のような部分が出ている。これをスズランと知っていなければ、雑草と思うか、靴で踏みつけてしまうかもしれない。

九州に生まれて、スズランやシラカバというものをみることができる北海道というのは憧れの地であった。白を基調とするこれらの植物、なにか清々しい雰囲気がある。
北海道でなくても、群馬県の山の中にもある、というのはこの地を選んだ理由の一つである。

フランスで生活していたとき、スズランの日があった。5月1日である。この日はフランス国内、いたるところで、スズランが売られている。この日に限り、花屋さんでなくても売ることができるのだとか。若い人たちが小遣いかせぎに、道路で売っていることもある。

鉢植えや、数本のスズランを小さな花束にしたもの、1輪のスズランもありうる、が売られている。
レストランや何かのお店で、お勘定をすませて出る時、1輪のスズランを渡されると、けっこうお高かったわと思っていても、そのスズランで相殺される。

我が庭のスズランはだいたい6月に花がつく。今年は早いけれど、5月1日にはまだ花はみられないだろう。
スズランが群生しているところでは、夕方など、ほのかに香る。花の姿も可憐だが、香りも清純でこれがスズランが好まれる理由なのだろう。

スズランは異性間だけではなく、愛する人、だれにでも贈ることができる。
もちろん、スズランが咲けば、亡きつれあいの写真にそなえよう。しかし、要注意の花でもある。

こんなに清らかな花なのに、毒があるのだそうだ。だから、ワイングラスやコップなど、普段に使うものを花瓶かわりに使ってはならないのだそうだ。
どの程度の毒なのかは知らないが、毒は毒。そういえば、水仙も清らかな花だが、これも毒があるのだそうだ。冬場、球根を食べあさるイノシシも、水仙の球根には鼻をつっこまない。

毒があるといっても、それで評価を下げてはいけない。春先に咲くこれらの植物に毒があるというのは、それなりの理由があってのことなのだろう。何から自分を守るための毒なのか。

一説には、スズランは磔刑にされたキリストの足元で流したマリアの涙から生まれたもの、とか。
中世には愛を伝える花となり、現代のフランスでは、メーデー、すなわち労働者の祭典と同じ日であるところから、労働者の花ともいわれるとか。

スズランの芽がでたところには囲いをして、不注意に踏んでしまわないようにしなければ。
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今年初のジャム作り

今日は外出先の途中にあるJA直売店でいちごをたくさん買った。ジャムを作るためである。

去年のジャムがもう1、2日分しか残っていない。いちごジャムが1日分、それにポルトガルのイチジクのジャムがほんの少し残っているだけなのだ。

ブルーベリーなど、あんなにたくさん作っていたのに、食べる人間も2人から1人になったのに、なくなるときにはあっという間だった。
次に作るのは7月にならないと実もできない。アメリカ産のブルーベリーもまだスーパーではみかけないし、ちょっと買う気分でもない。

いちごはこれから庭に植えようか、というタイミング、自家製であればやっぱり7月までは待たなければならない。

朝食時にヨーグルトに自家製ジャムをたっぷりいれる。それがなによりの楽しみなのだ。つれあいも私の作ったジャムをたいそう好んでいた。
つれあいが亡くなって、ジャム作りもやめようか、と思ったけれど、昨年はついつい頑張った。今年はもういいや、と思ったりしていたけれど、さて、市販のものを買うかとなると、やっぱり自分で作ろうということになる。素材は買ってきてもだ。

このごろは人に差し上げることも少なくなったけれど、地元の友人に家でなった型崩れのいちごのジャムを差し上げたら、今年も期待していいですか?と言われてしまった。

この地に住んでいるから、自家製ジャムという気持ちにもなる。これはとても贅沢なことだと、つくづく思う。数少ない贅沢、やっぱり捨てがたいものだ。
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王室の在り方

今日はイギリスの王孫ウィリアム王子の妃キャサリンの出産でもちきりだった。第3子、男児である。しかし、イギリスでは生まれた順序での王位継承になっているので、姉のキャロリンが継承権では先行するのだそうだ。

36歳のキャサリン妃、3800グラムの赤ちゃんを出産して7時間後には退院、それもハイヒールをはき、ヘアもきれいにまとめ、メーキャップも完璧というので、なんだこれは、というような驚きに声もある。

姉がその昔、2児をイギリスで出産した。最初の出産の直後に訪問したのだが、駅まで姉が自分で迎えにきてくれたとき、びっくりした。出産の数日後のことだった。
姉も初めてのことで、イギリスのやりかたに驚いていた。出産直後にシャワーを浴びさせられ、歩け、歩けと言われるのよ、産道なんか、まだ血がでていそうなのに、と言っていた。
自宅から駅までの道もアップダウンがあって、休み休み、もうだめ、もうだめ、と言いながら歩いて戻ったのだ。

私には出産の経験がないので、その大変さがわからない。イギリスは特別だというけれど、フランスあたりでも、産婦に負担がかからない出産を、としているようだ。日本の出産は、有痛が当然という思想なのね、と言われたことがある。

出産方法はともかくとして、イギリス王室の開放度、だんだん進んでいる。1か月後にはヘンリー王子の結婚式がある。お相手はアメリカ人、離婚経験者だ。
こうなると、ウィンザー公のことも思い出す。「王冠をかけた恋」などと話題になったけれど、見方をかえれば、責任放棄でもあった。
離婚経験者との結婚というのは、以前ではタブーであったはずなのに、王位継承者のチャールズ王子にして、ダイアナと離婚、昔の恋人カビラ夫人(既婚歴、離婚、子どもも孫もいる)と再婚している。

こういうイギリス王室、日本がいくらかモデルにしてきたところもある王室が、こんなに開放されているのだ。その開放性を日本の皇室にも適応させてはどうなのだろう。
皇位継承を男子に限ることもなく、またプリンセスの結婚相手の母親の借金がどうのこうの、ということもなくなるだろう。
そこまで、日本は特殊な国であるべきなのだろうか。

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117歳まで生きるということ

日本最高齢女性の田島ナビさんが亡くなられたとのニュースがあった。1900年8月4日うまれ、117歳だという。1900年生まれというと、私の伯母が同年の生まれだった。彼女は99歳でなくなったけれど、同年のかたがまだ生きていらした、ということなのだ。

7男2女、9人の子供をもち、子ども、孫、ひ孫、やしゃご、来孫(らいそん、やしゃごの子)5世代、計160人もの子孫ができたのだそうだ。

117歳まで生きるというのは、いくら100歳時代になったにせよ、容易なことではない。いつまで体は動いていたのか、ぼけないでいられたのか、ぼけたとしたら、いつのことなのか、細かいことも知りたいものだ。100歳の双子、きんさん、ぎんさん姉妹も驚きだったけれど、やっぱり110歳を超えて生きるというのは驚異だ。

上の姉など、このままでは120歳まで生きるかも、と健康を自慢しているが、お嫁さんはやめてくださいと言っているらしい。

160人もの子孫を残したというのもすごい。私など、子どももいないし、残す子孫ゼロ、という身からすると、驚異の数字である。

昨日、40代の女性と夕食を共にしながら、単身女性(男性も同じかも)の行く末を案じたのだった。彼女の場合は両親が存命中であるのだが、一人っ子だから、先細りどころではない、先はゼロの世界です、という。

9人の子供を育て上げるという世界は想像外になる。どんなにドラマがあったことだろう。このナビさん、子どもの名前は憶えていられても、もし、9人の子供に平均3人の子(孫)ができたとしたら、27名分の名前を憶えられただろうか。そしてひ孫とくれば、数すら確かではなくなるだろう。

ゼロの世界から160人の世界、まったくの別世界である。きちんと働き、世の中に貢献してきたという思いはあるのだが、残すものゼロ、となると存在価値があったのか、という思いも抱く。

ナビさん亡きあとの次の女性最高齢は116歳の女性だとか。それも別世界の出来事だ。
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白根山噴火

今朝、軽井沢への車のなかで、白根山噴火のニュースを聞いた。この界隈、噴火が続いている。

先日、万座温泉へ行ったとき、お釜まで足(車)を延ばすことはなかったけれど、その噴火予測などしていた。4月20日の草津・志賀道路の冬季閉鎖を経ての開通後、2日で噴火による閉鎖となってしまった。

普通なら、草津から白根、お釜の下の道路を、雪の回廊もあるなかで、志賀高原までの雄大な景色が楽しめる。せっかくの好天がうらめしい噴火となっている。

まだ制限が2でとどまっているからのんきなことも言えるけれど、実際に噴火がおきて、噴煙、そして噴石が飛んでくるとなると、のんきにはしていられない。

といって、何をどうするのか、我が家の場合は、浅間山の噴火のケースを予測したものしか配られていない。

火山の恩恵、景観や温泉といったものを十分に受けているのだけれど、噴火というのは、迷惑千万と勝手なことをいいたてる。

草津は温泉自体は危険ではないだろうが、草津から志賀へ抜けようという人たちがこなくなるとか、白根の景色を楽しめないとか、プラスアルファのものがなくて、温泉の魅力だけで人を呼べるのか、またもやのマイナスだ。

この日、軽井沢はゴールデンウィークの1週間前というのに、大変な人出だった。軽井沢はいいわね、と友人はつぶやくけれど、浅間次第はわが村と変わらない。
浅間山の中腹を通る有料道路を通りながら、浅間のご機嫌伺いをするのだった。

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いろんなハラスメント

今、財務事務次官によるセクシアル・ハラスメントが話題の中心になっている。一般にセクハラといわれるこのハラスメント、いつ頃から使われるようになったのだろうか。

この頃はセクハラのみならず、いろんなハラスメントが取り上げられるようになった。まずはモラル・ハラスメント、その一種だろうが、アカデミック・ハラスメントやドクハラと略されるドクター・ハラスメントもある。

今回の事務次官のハラスメント、録音された言葉だけなのだろうか。触らせてくれなど、しつこく言葉で迫っているけれど、行動には移さなかったのだろうか。

モラル・ハラスメントもモラ・ハラという略語、私はセクハラ、モラハラ、ドクハラといった略語が大嫌いなのだが、以前は職場のいじめ、地位的に上のひとが下の人にたいして、高圧的な言動をすることで受けた心理的なダメージを言っているのだが、フランスではずいぶん以前から問題視していた。

今回のセクシアル・ハラスメントで、テレビ朝日の女子社員が当事者なのだそうだが、匿名にしていても、事務次官なり、財務省にしても、特定はできているはずだ。
心配で仕方ない。以前、菅官房長官の記者会見で、しつこく(といっていいのか)質問をして、問題点を明らかにした東京新聞の女性記者、なれ合いになっていた記者会見に風を吹き込んだと評価されたのはほんの一時で、のちには、別のメディアで、過去の経歴や私生活など、悪意をもって扱われていた。

今回のテレビ朝日の女性記者、そんな二の舞にならなければいいのだが、と願っている。変なところで、私生活を暴露したり、追跡したり、いろんな嫌がらせが生じはしないか。
働きづらくなりはしないか。

木村太郎氏がいいことを言っていた。週刊誌にこの録音を渡したから、これだけ問題になったのだ、テレビ局内ではうやむやにしてしまったことだろう、と。

すべての材料をみたわけではないが、週刊新潮の録音おこしをみていると、次官のいやらしい言動にもかかわらず、取材を続けている、その意気やよし、だ。

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ハキダメギクよりみじめな言葉

今日の朝日新聞、天声人語に植物の呼び名のことが書かれていた。小さな白い花なのに、ハキダメギクと命名されてしまった植物、これは掃きだめで見つかったから、そういう名前がつけられ、現在も変わらず使われているのだそうだ。

次に「豚のサラダ」が訳されたブタナというのもある、とある。タンポポに似るが、茎はすらりと長い。群生すると、たくさんの黄色い点が空中に浮いているかに見える花である、ということだ。

フランス語で気の毒な名前はpissenlitである。タンポポのこと。ベッド(lit)の中でのおしっこ、つまりはおねしょのことなのだろう。タンポポに利尿効果があるのでつけられたのだろう。
フランスから帰ってきて、タンポポをみるたびに、おしっこをしたくなったのはこの言葉のせいである。

南仏に住んでいたとき、家事を手伝ってくれていたフランス人女性が、庭のタンポポをつんでもいいか、ときいてきた。雑草だし、なんにするのか、と聞くと、サラダで食べるのだという。「おねしょ」を食べるのね、と思いながら、好きなだけ摘んでいいわよ、と返事したものだ。

この豚のサラダ、気になって辞書をみた。学術用語なのか、Lactuca pernnisとあり、salade de porcとも書かれている。プタ菜と訳されて、それがブタナとなったのだろう。Lactucaはレタス、チシャのことだという。

ブタナも食べられるのかは知らない。でも、言葉次第では食べたい気持ちになれないものもある。
名前も大切な要素だ。

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