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心臓CT(冠動脈CT)を受ける

今日の午後、心臓CTを受けた。初めてのことだ。
そんなにたびたび受ける検査ではない。
これまでにも検査をいくつか受けたことはある。MRTとか、レントゲン、エコーなど、だが、今回の検査は進行の説明や、していいこと、してはならないこと(昼食をとらない)などの説明もある。

丁寧な説明もうけ、注意書きもいただき、再読もした。それでも頭のなかにはあまりはいっていない。

血圧をはかる。いらずのことを言う。「今朝、はかったときはこれこれの数字でした」、看護師はやさしい。いい数値ですね、現在値をとりますからね、と至極ごもっともなことだ。

点滴、初めてだ。採血などはしょっちゅうだが、点滴といのはしたことがない。緊張して待っていると、いつもテレビなどでみる大きなボトルではなく、小さな袋にはいった液袋の点滴だ。ちょっと予想とは違う。

いくつかの手順を終え、検査室に移る。
いやー、大きな装置だ。半円形のトンネルに入るようだ。
そのしたの細長いベッドに横たわる。
両手をバンザイスタイルであげる。器具に括りつけられたような、フリーのままのような。

スプレー薬を舌下に入れて、造影剤を使ってCTを撮ります。というスプレー薬が造影剤なのだろう。
刺激的な薬だ。

息止めの練習もある。息をとめるのに、思いきって深く息を吸ってというのではなく、普通に呼吸をしているその時に”はい、息をとめて”と声がかかる。”はい、楽にしてください”と言われるまで止めておく。
はい、ちょっと長く止めていただきます。だいたい20秒くらいです、という。
20秒というのはどのくらいの長さだっただろう。
一度、スパイ映画を見ていた時、満水のところを潜って逃げるとき、ヒーローがヒロインにいう。2分の辛抱だから、と。ヒロインはためらうが、僕が一緒だから、というヒーローに励まされて、無事に2分の無呼吸を成し遂げるのだ。
その映画を見たとき、2分なんてたいしたことはないのだ、と思った。
しかし、今、そんなヒーローはそばにいない。一人で20秒、2分の6分の1だ。できるだろう。

はい、とめて、とあっさり言われて止めたはいいが、最初から苦しい。秒を数えそこなった。機械が振動しているが、秒速より遅いのかな?なかなか10までも到達しない。息をしたい、声を出すなら息をしてしまう。どこまで我慢すればいいのよ、ああ、私の心臓は爆破寸前、呼吸ができなくて死ぬのなら、検査なんて受けるんじゃなかった!
 はい、楽にして、と言われ、ハーハー、もう呼吸ではない、なんというか、心臓は破裂寸前、収まらない。どのくらいハーハーが続いただろう。

 はい、これから本番の検査です。もう一度、長い呼吸止めがありますが、さきほどの長さほどではないから大丈夫ですね、大丈夫じゃない!と叫びたいが、俎上の鯉状態にある。検査機器にとらわれの身、神妙にうなずくだけだ。

はい、終わりました。終わりはあっさりしている。準備室に戻って、血圧を測り、点滴を抜いて、お着換えして、それで検査終了となります。

まだ呼吸困難の余韻のなかにあるのに、検査室を追い出される。
MRIでの脳の検査よりも、ガンガンの音が少なかったし、楽だったような気がするけれど、昼ご飯を抜いたこともあるのだろうか、疲労度がはんぱではない。

検査だけだから、本日は終わりだ。会計をすませれば無罪(?)放免。
有罪か無罪か、軽い執行猶予か、病気にそんな言葉はつかえないけれど、次の週に担当医の診察で、検査結果の診断が告げられるはずだ。とすれば執行猶予か。

この頃、時代小説を読んでいるが、江戸時代であれば、心の病、と言われるのだろう。

飲酒禁止のお達しもなかったが、とても飲む気分にはなれない。
昼を抜いたのに、緊張から空腹も覚えない。
迎えに来てあげるといってくれた友人に、大丈夫だからと電話をかけて、そろそろと運転して帰る。

周囲の反応は、半分は、歳だからね、みたいなものだ。そうなのだ、歳なのだ。

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小さな郷愁(1)洗濯

いつ降り出してもおかしくない、湿度77%もある日だけれど、2日おきの洗濯をする。
今日のメインはシーツだ。
私の洗濯は洗濯だけ。余計なことはしない、脱水はするけれど。
洗ったあとはベランダに干す。風がなければ、雨が降っても濡れることはないけれど、やっぱり室内に干しなおす。

普通だと、夕方乾いたあとに、洗濯済みのシーツを敷くまで、ベッドは乱れたままだ。枕カバーを外した枕、読書中の本、うちわ、いろんなものがベッドに散乱しているが、今日は、夕方までに乾く保証はなく、代わりのシーツ、枕カバーを使う。
そのシーツにはアイロンがかかっていた。というのも、やはり曇りの日に干して、すっきり乾かなかったので、アイロンをかけていたのだ。

パリッとしたシーツといいたいが、そんなにパリッとはしていない。糊をつけていないからだ。
いつからシーツに糊付けしなくなっただろう、とふと思った。
アイロンをかけ始めたのは、外国から帰って以来、これは外国で木綿類には必ずアイロンをかけることが習慣になっていたからだ。でも糊付けはしていなかった。

その昔、とつい年齢がいくと、昔を思い出す。
洗濯機もなく、アイロンもスチームアイロンではなかった時代、母は大人数の家族のシーツを何日おきに洗濯していたのだろう。記憶にあるのは、糊付けされ、天日に干され、ぱりぱりになったシーツを敷くときの気持ちよさだ。
残りごはんを数日ためてあり、それを木綿(さらし)のこし袋にいれ、少しの水にしぼりこむ。しっかり押さえて、のりの成分を絞り出す。

洗濯を今では労働とはしないようだ。亡くなったつれあいは、洗濯機がするだろう、と軽く言っていた。
とんでもない。洗濯はやっぱり労働だ。洗濯機にかけ、終わったものを、大きいもの、小物、形が複雑なもの、そうではないもの、いろいろ干すにも工夫がいる。
乾いたものを取り込んで、たたんでしまうのも一仕事だ。

そういえば、この頃は干すことをあまりしないようだ。
乾燥機能が洗濯機についていて、機械が止まれば乾燥まですんでいる、というようなのが普通になっているような電機メーカーのコマーシャルがテレビで見える。

パリに住む親族たちは、だいたい家事室に洗濯機が2台くらいある。そして、あわせてアイロン台がついている。
洗濯機がとまると、乾燥済となって、あとはアイロンをかけるもの、かけないものと分類し、たたんでしまう。
アイロンかけはだいたい、週に何回かくるお手伝いさんが担当する。
木綿ものはアイロンかけはマストだ。シーツといっても、あちらは上下のシーツがある。それにタオル類、下着類、その量たるや相当だ。

数年前に亡くなったフランスの両親の家は、昔風だった。ドライの機能のついてない洗濯機で、洗濯がすむと、台所にある干し装置に干す。それでも場所が足りないと、バスルームに干す。

外に干すというのは、地中海沿岸などはアパートメント住まいでも、堂々とそとに干し紐を張り巡らして洗濯ものがたなびいている、という風景が見られるけれど、もう都市部ではそれがない。

今回のウクライナ戦争から、ロシアの石油やガスの供給が得られれなくなり、石油、ガスを倹約する、という。冬場の需要増を考えて、今から対策を練っているというが、一般の人たちも、洗濯ものを干す、ということを考えているのだそうだ。
つまり、現在は干しで乾かすのではなく、乾燥機で乾かしている。

さあ、どこまで時代をさかのぼることになるのだろう。
庭やベランダに洗濯ものを干す、これは日本ではまだ当たり前の光景だ。

日本の天気予報では、お洗濯もの情報も言ってくれることがある。この情報、自分で判断できるわよ、と余計なものに考えていた。日本以外でみたことがない。
でもこれから、便利な情報のひとつになるのかもしれない。

今、この寒冷地でできる節電、節エネルギーを考えているが、日本の知恵をヨーロッパにも、と思いながら、エネルギーの消費がかくも増えてしまったことの罰なのか、と思ったありだ。
でも、母の時代には戻れない。
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