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名もなき雑草などない

雑草と呼んでいる草にも、すべて名前がついているらしい。学名ももちろんだ。
名もなき雑草などない、ちゃんと名前がある、それを知らないだけだ、というようなことを仰せになったのは昭和天皇である。
吹上御殿のお庭を散歩されていたとき、道端の草に目をとめ、庭の管理をしている人にきかれたらしい。その職員が、名もなき雑草、といった返事をしたときの、天皇の反応がこういった言葉であった、というのは、世代の人間、だいたい知っている。

吹上御殿には名もなき雑草はないかもしれないが、わが庭には、名も知らぬ雑草がたくさんある。
まず、雑草とよんではいけない、野草と呼ぶべきらしいが、私にとっては雑草だ。ひゃっぱひとからげ、に雑草とよぶ。
名前を知らないのは私の無知によるもの、しかし、とても一つ一つの名前を記憶できはしない。

一雨、一日光、ごとに、まあ、ほかの花卉類も成長してくれるけれど、雑草たちのたくましいこと。
ほんの先日、庭の管理をお願いしている人が、草刈をしてくださったのだが、もうその名残もない。
もう、庭は隅々まで緑一色になっている。

聖歌にもある。基督は小さな花々にもお恵みをくださる、というような歌だ。
我が家の庭の草草はきっとお恵みを十分に受けているのだろう。

草を抜きながら、世が世なら、天皇陛下のお叱りを受け、獄門か、切腹か、追放か、などと思う。
あなたたちは、吹上御所に生えればよかったのよ、それも昭和の時代にね、今は例話、ここは御所とは違うの、と草草に言い渡す。
これで4日続きの雨、庭にでることもできない。草は遠慮してくれない。小さいからと見過ごしていた草もしっかり自己主張していそうだ。

雑草はなぜ嫌がられるのか。食用のものもあろうに。といってもこれまで人が食べてこなかったものは、苦いとか毒があるとか、それなりの理由があるはずだ。
そのうち、飢饉がおきたら、あなた方の活躍の場もあるかもね。その時はよろしく、だけど、今はバイバイ、とでも声をかけることにしよう。
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