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山椒を摘む

庭の端っこにある山椒にたくさん実がついていた。
今日はたまたま庭の隅まで行って気が付いた。

緑の葉に緑の実、そばに行かないと気がつかない。
木は老木、もう樹齢では何歳になるのか、ここに家を建てたとき、隣家の方が下さったものだ。

葉を料理のあしらいに使うこともなく、実については考えもしなかった。
ところが年齢を重ねると、山椒の香りが気持ちよくなった。それをあしらわれた料理を食べる機会も増えた。あら、これなら家の庭にあるわ、とだんだん、自家製欲が出てきた。

せんだってはユスラウメ酒、山椒の酒は聞いたことがない。お醤油につけて山椒醤油、あるいは佃煮、魚を煮るときに臭みけしに使う、というところだろうか。

山椒という木にはとげがある。バラのとげに似ている。泥棒除けになるわよ、と隣家の婦人は言われたが、庭の片隅、そんなところから泥棒ははいらない。

たくさんなっていた。この頃、自然の恵みに敏感になっている、といえば耳にいいが、なんのことはない、けちになってきたのだ。
あるだけ利用しなければ、と摘んだものの、これが大変だ。

へた、と呼ぶのだろうか、小さな実が3,4個ずつ固まってまた一塊になっているのだが、それを除いて実だけにする必要がある。
辛抱のいる仕事だ。それに集中力もいる。このごろ、この二つ、いや、小さなものを見る眼力もいるが、これらのものがなくなった。

気が遠くなる。しかし、手伝いはいない。いっそ木に戻したい。それは不可能だ。とった私自身が悪い。
鳥のさえずりを聞きながら、ベランダで山椒のヘタとり、鳥はいいけれど、詩的でも美的でもないな、と自嘲気味だ。

市販の品ではなく、こうして、自家にあるものを利用するというのは、聞こえはいいけれど、なかなか大変なのだ。

この古木から苗木をとって、成長させた山椒の木がまた別のところにある。もうこれは実がついているかどうか、みないことにしよう。
この山椒、粉にして、ウナギに散らすのもいいかも。だれかウナギ持参でこないかな。
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