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できていない危機管理

昨夜はさんざんだった。
停電、通電とおもうと、また停電、が結局10回ほど続いたのだ。
さっとテレビが消える。テレビだけではない、すべての電気が消えてしまうのだ。
まだ5時頃、しかし照明もつけているし、テレビもなにもかもが消える。
村の広報の機械だけが、電池に切り替わりましたと音声でいう。
ほかのものも蓄電池につないでおけばそうなるのだろうが、我が家に蓄電池はない。

7,8回の停電(ほんの数分間ずつ)が解決したのか、次の停電がないので、急いで台所にたつ。
ごはんをたき、ほかの副菜を用意して、いそぎ食べる、

埼玉県の大雨は報道で知っているけれど、群馬県にはそんな警報も出ていない。まして停電の原因になる雷は音も稲妻もない。
停電になる理由がわからないのだ。
近所の友人に電話するが、通じない。先方もかけていたらしい。電気が通じると、すぐに電話が鳴る。

どのくらい広範囲なのか、なにもわからない。通じたからもう安心ね、ということで電話を切る。

九州の弟から電話がある。どういう情報を得たのか、わからないが、心配しての電話だ。
もう停電は終わったから大丈夫よ、というと、姉さんちは危機管理ができてるんだよね、という。

アフリカから帰国したあと、かの地で頻発する停電に悩まされた。
その停電は数日、あるいは1週間を超えるものもあり、どうやってそれをしのいだのか、もう記憶がないけれど、停電、断水、各種の危機に遭遇したので、日本に帰ったら、日本だってどんな危機があるかしれないから、しっかり準備をする、などと大言壮語したらしい。

実際、3.11の大地震では、計画停電など、しっかり群馬県もその対象になったし、ガソリンがない、などの問題もあった。
その当時は、発電機をつけるとか、電源を複数化する、などと、張り切っていたけれど、だんだん、面倒くさくなった。
たとえば、発電機用のガソリンなどをきちんと準備できるのか、それを使う機会がなくて、機材の保守はどうすればいいのか、太陽熱の機器にしても、その劣化が起きた場合、どう処分すればいいのか、考えれば考えるほど、面倒になってしまった。

これではいけない、と常に思っている。危機はいつでも、どこでも、発生するし、それが短期間で終わるという保証はないし、それが全国的であれば、群馬県の山の中、助の手がくるかどうかわからない。

それにしても、ほんの数分間であっても、予告や告知があるわけでない。もう照明もつける時間となると、電気がないとどうしようもない。
まだ真っ暗ではないけれど、一応、照明がわりにろうそくをともす。ほんのお飾り程度のローソク、これでなにか仕事をしよう、とはならない。懐中電灯にしてもおなじことだ。

本当になにもできない。もうお手上げだ。それかといって、寝てしまおう、という時間でもない。冬でないのがせめてもの救いだ。

とうにか、回復して、さあ、お風呂にはいってさっさと寝ましょう、と、お湯をためる。
そして入浴したとたん、また停電。なんなのよ、これ、と文句を言いたくても、どうしようもない。
もう明かりがないと暗くて、手元、足元もおぼつかない。
せめて月あかりでも、星あかりでもあれば、すこしは救われるのだが、外は雨がふりそうな黒い空だ。

結局、暗いなかで最低の入浴儀式をすませる。そこは長く住んでいるだけに問題はない。しかし、こういう時に事故はおきる。そこに連絡の手段はない。すべったらおしまい、つまづいたらおしまい、ゆっくり、確実に、と唱えながら、どうに入浴をすませた。

節電ならします。でも停電はごめんだ、と叫びたいけれど、どこに叫べばいいのやら。
ほどなく回復した電気にほっとしながら、このまま電気が通じていますように、とテレビを見ていた。
安心・安全、そんなことを保障したいと政治家は言っているけれど、こんなことでも不安は生じる。
この程度であたふたする我が家、もう少し、きちんと危機管理を考えなければ。
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