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小さな郷愁(1)洗濯

いつ降り出してもおかしくない、湿度77%もある日だけれど、2日おきの洗濯をする。
今日のメインはシーツだ。
私の洗濯は洗濯だけ。余計なことはしない、脱水はするけれど。
洗ったあとはベランダに干す。風がなければ、雨が降っても濡れることはないけれど、やっぱり室内に干しなおす。

普通だと、夕方乾いたあとに、洗濯済みのシーツを敷くまで、ベッドは乱れたままだ。枕カバーを外した枕、読書中の本、うちわ、いろんなものがベッドに散乱しているが、今日は、夕方までに乾く保証はなく、代わりのシーツ、枕カバーを使う。
そのシーツにはアイロンがかかっていた。というのも、やはり曇りの日に干して、すっきり乾かなかったので、アイロンをかけていたのだ。

パリッとしたシーツといいたいが、そんなにパリッとはしていない。糊をつけていないからだ。
いつからシーツに糊付けしなくなっただろう、とふと思った。
アイロンをかけ始めたのは、外国から帰って以来、これは外国で木綿類には必ずアイロンをかけることが習慣になっていたからだ。でも糊付けはしていなかった。

その昔、とつい年齢がいくと、昔を思い出す。
洗濯機もなく、アイロンもスチームアイロンではなかった時代、母は大人数の家族のシーツを何日おきに洗濯していたのだろう。記憶にあるのは、糊付けされ、天日に干され、ぱりぱりになったシーツを敷くときの気持ちよさだ。
残りごはんを数日ためてあり、それを木綿(さらし)のこし袋にいれ、少しの水にしぼりこむ。しっかり押さえて、のりの成分を絞り出す。

洗濯を今では労働とはしないようだ。亡くなったつれあいは、洗濯機がするだろう、と軽く言っていた。
とんでもない。洗濯はやっぱり労働だ。洗濯機にかけ、終わったものを、大きいもの、小物、形が複雑なもの、そうではないもの、いろいろ干すにも工夫がいる。
乾いたものを取り込んで、たたんでしまうのも一仕事だ。

そういえば、この頃は干すことをあまりしないようだ。
乾燥機能が洗濯機についていて、機械が止まれば乾燥まですんでいる、というようなのが普通になっているような電機メーカーのコマーシャルがテレビで見える。

パリに住む親族たちは、だいたい家事室に洗濯機が2台くらいある。そして、あわせてアイロン台がついている。
洗濯機がとまると、乾燥済となって、あとはアイロンをかけるもの、かけないものと分類し、たたんでしまう。
アイロンかけはだいたい、週に何回かくるお手伝いさんが担当する。
木綿ものはアイロンかけはマストだ。シーツといっても、あちらは上下のシーツがある。それにタオル類、下着類、その量たるや相当だ。

数年前に亡くなったフランスの両親の家は、昔風だった。ドライの機能のついてない洗濯機で、洗濯がすむと、台所にある干し装置に干す。それでも場所が足りないと、バスルームに干す。

外に干すというのは、地中海沿岸などはアパートメント住まいでも、堂々とそとに干し紐を張り巡らして洗濯ものがたなびいている、という風景が見られるけれど、もう都市部ではそれがない。

今回のウクライナ戦争から、ロシアの石油やガスの供給が得られれなくなり、石油、ガスを倹約する、という。冬場の需要増を考えて、今から対策を練っているというが、一般の人たちも、洗濯ものを干す、ということを考えているのだそうだ。
つまり、現在は干しで乾かすのではなく、乾燥機で乾かしている。

さあ、どこまで時代をさかのぼることになるのだろう。
庭やベランダに洗濯ものを干す、これは日本ではまだ当たり前の光景だ。

日本の天気予報では、お洗濯もの情報も言ってくれることがある。この情報、自分で判断できるわよ、と余計なものに考えていた。日本以外でみたことがない。
でもこれから、便利な情報のひとつになるのかもしれない。

今、この寒冷地でできる節電、節エネルギーを考えているが、日本の知恵をヨーロッパにも、と思いながら、エネルギーの消費がかくも増えてしまったことの罰なのか、と思ったありだ。
でも、母の時代には戻れない。
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