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彼らってオルガルヒ

ロシアのオルガルヒ、とてつもなく金持ちらしい。
金持ちには縁がないから、他人事、他国のこと、と彼らの資産が凍結されようと、関心がなかった。

しかし、もしかしたら、彼らはオルガルヒの一員かもしれない、というロシア人を知っていることに気がついた。
正確にオルガルヒなのかどうかは自信がない。というのも、一度しかあっていないし、クリスマスイヴに、短時間あっただけだったからだ。

パリの従弟(本当の肉親ではないが、そう呼んでいる)の家で、クリスマスを過ごしていた、3年前のことだ。
アペリティフに上階に住んでいるロシア人夫妻を招いている、と彼がいう。
ロシア語は話せないけど、というと、英語もフランス語も達者に話す人たちだ、という。

若いカップルだった。二人とも40代だろう。美男美女のカップルだ。同じ建物で、エレベーターで移動するだけだからか、あるいはアペリティフだけの参加だけだからか、ラフなスタイルだ。

どうして従弟夫妻と知り合ったのか、つまりは同じ建物だから、エレベーターであって挨拶したりで、お互いの事情が似通っていたことかららしい。
それは、子供をロンドンの学校にやっている(従弟の子たちは、もう卒業してけれど)、という共通点があった。

ロシア人夫妻は、子供をロンドンの私立学校のボーディング(寄宿舎)にして、彼らは、ロンドンにも住宅があるけれど、パリにもアパートメントを持っていて、パリ住まいが主となっている、という。

ロシア人の金持ちは、ロンドンに住まいを持っている人が多い、とは聞いていたが、そういう人たちと知り合いになれるとは思っていなかった。
失礼にならない程度に質問をしていく。
不動産業が仕事で、時々、モスクワに帰っているのだそうだ。

パリのアパートメントは、古い建物だが、一戸の広さは200平米は超える。
ロンドンもいいところに住居があるらしい。
この若さでね、と私は独り言をいうだけだ。

子供たちがクリスマス休暇でパリに来ているし、クリスマスディナーは自宅でする、というので、アペリティフだけの参加になっている。

ロシア人はほかに知人もいないから、愛想のいい、世間慣れ(悪い意味でなく)した外国人、という印象しかなかった。

彼らは今、どうしているのだろう。不動産業はうまくいっているのだろうか。ロンドンの資産を凍結されてはいないだろうか。
子供たちは学業を続けられているだろうか?

僕たちはウオッカは飲まないのですよ、とシャンペンだけ飲んでいたかっこいい夫婦、ロシア人が敬遠される世の中でどう生きているのか、ちょっと気になった。
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ユスラウメ酒を造る

昨日、庭の山桜桃梅の実を収穫、果実酒用の焼酎につけ、ユスラウメ酒を仕込んだ。

ユスラウメ、私は数年前に初めてしった。
ウメとはいっても梅ではない。和名は山桜桃梅と書く。バラ科サクラ属なのだそうだ。つまり、バラなのだ。

検索すると、サクラの花が咲きだすころ、ウメに似た5弁の白、淡紅色の花をいっぱいに逆瀬、梅雨の初め頃直径1cmほどの真っ赤な小さい果実がつきます。熟果は生食でき、小果樹としても扱われています。中国原産ですが、江戸時代の初期にはすでに栽培されていました。当時は「桜桃」と呼ばれていましたが、明治時代になってサクランボとの混同を防ぐため「朱桜」(ユスラウメ)
と呼ばれるようになりました。(後略)
と出てくる。

生食できるのは知らなかったが、とてもかわいらしく、真っ赤できれいなので、ちょっと食べてみる。渋さもないし、甘さはそう強くないが、十分食べられる。
ジャムにすることもできるらしいが、種があるし、その種をどう出せばいいのか、友人が果実酒にすればいいのよ、という。

それは2年前のことだった。なんでも面倒がりの私としては、もし手持ちに材料があれば、とみてみると、なぜか氷砂糖はある。果実酒用にはアルコール度の強い焼酎が定番だが、我が家にはない。
しかし、それにかわるウオッカがあった。以前、つれあいがロシアに出かけたとき、入手したものだ。
だいぶ古いけど、まあいいか、とウオッカで作る。

結果:わからない・
というのも、飲まなかったからだ。
そんなに酒好きではないし、味のわからない、アルコール度の強い酒を飲む、そんな気になれない。

隣家にきた若い人が、あるとき、アルコール飲料を買うのを忘れました。なにかありませんか?と夕方来た時に、これを試してみたら?とユスラウメ酒と残りのウオッカを渡したのだった。

そして去年、もうウオッカはなかったので、果実酒用焼酎を購入。それで造った。
梅酒用などに使う大きなびんは購入しない。ジャムをいれる大き目のびんにわけて作る。

結局なんだかんだと人に差し上げて、自分の飲むことはなかった。

今年こそ、と意気込んでいる。4個できた。ユスラウメの実は真っ赤に熟し、生食してもとてもおいっしい。岩石に似た大きさの氷砂糖を惜しげもなくぶっこんだ。
果実酒だから、どちらかといえば、食後酒かあるいは何かおかしに使ったりするだろう。とすれば、少し甘めのほうがいいだろう、という判断だ。

2日たって、ユスラウメが浮き上がっている。色も少し薄くなった。エキスが染み出ているのだろうか。
どのくらいたてば飲めるのだろう。
もういただきたい、という予約がはいっている。4個の瓶に対して、今度の週末には、ウオッカ仕込みを飲んだ若い人たちが来るらしい。そして夏休みに来るという酒豪の友人、果たして、私の口にはいるだろうか?

ユスラウメはまだいくらか実が残っている。頑張ってもう一瓶分、作ることになるのだろうか。
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参議院議員選挙についてのいろいろ

期日前投票にいったことを、昨日書いたのだが、ちゃんと処理していなかったのか、アップされていなかった。
昨夕、テレビのニュースで、東京は定数6,それに対して、35名の立候補者がいるのだと言っていた。
選択肢が35もあるのはすごいな、と感心しつつ、都民の有権者が35人分の公約をフォローしているのだろうか、と選択肢多いからと言ってよい選択ができるわけではない、と思ったり、での1人選挙区に5人の選択肢よりはいいな、とうらやましく思ったりした。

そして、今日は朝日新聞の「声」欄に、「期日前投票 宣誓書なぜ必要か」という投書が掲載されていて、意見を同じく人の声に接することができた。

また、首相の動静を記したところに、2日の動静として、午前8時35分、東京・九段南の千代田区役所。参院選の不在者投票。とある。
新聞記者の書いたものだから、正しいとすれば、まだ不在者投票という言葉は有効らしい。
期日前投票という言葉が使われるようになる前、この不在者投票という言葉で言っていたが、当時、その不在の証明が必要だった記憶がある。記憶違いかもしれないが。
今、求められている宣誓書ではなく、しかるべき書類を要求されたような、例えば、会社からの出張命令とか、なにかしら、だ。

もし、今、そんな制度が残っていたら、首相の不在証明はだれが出すのだろう、内閣府なのか、自民党なのか。
そして思う。選挙応援のための不在、そして時間のすべてをそのために使っているのに、総理大臣やそのおつきの人々、出張手当がつくことはあっても、その給与から業務以外の仕事をしているのだからといって、減額されることはないのだろう、なんだかおかしくはないか?と思ったりする。
それとも、私的業務として、旅費から食事代、すべて私費からだされ、給料も時間で計算して減額されているのなら、申し訳ないつぶやきだけれど。

今日はその新聞の一面に、政治思想史研究者、片山氏の深論が乗っている。「参議院を科学者議会にする」というのが彼の主張だ。
現在の参議院、第二院にすぎない存在と化したことはみな、承知している。
以前は良識の府と言われていた。その名もなつかしい緑風会といった、政治色より良識ある人々の団体と言われる集団もいた。
今や、候補者のいうことは、衆議院の選挙と全く変わりがない。

片山氏の言われる科学者の議会、というのも一案だな、と思うのだが、科学者の定義は何なのだろう。
人文科学も含まれるのだろうか。どうも科学というとサイエンスだけを想像してしまう。

また直接選挙でなくてもいい、ようなことを言われているのだが、科学者をだれがどういう風に選ぶのか、その方法についての言及はない。
英独仏の上院は今も直接選挙ではない、ことにも触れている。

英と独の上院については知識がないのだが、仏の上院、選挙人が議員を選ぶ。選挙人になれる人は、国民議会議員や地方、県、市町村議会の議員たちである。
これもいろんな問題があるらしい。つまり、国民議会の意向がつよく反映される、というのが、上院より国民議会が優越していることの証になる、という意見があるのだ。
しかし、大統領制のフランスで、副大統領が存在しない。そして大統領代行は、上院の議長なのだ。

2院制のなかで、両方とも直接選挙にするべきか、あるいは一つだけで十分なのか、選挙制度というのはあっちよければ、こっちが悪いと、完璧なものはないだろう。

だけど、どうしてあんなに候補者がいるのだろう。無所属はわかるとして、初めて見る、初めて聞く名前がたくさんある。こちらが無知すぎるのか。
供託金もあるのに、運動にお金もかかるだろうに、と彼らの懐具合を心配している。

でも選挙は興奮する。
昔、昔のその昔、衆議院議員の選挙事務所で手伝ったことがある。
事務所での電話当番、応援者の方々からのお手紙に対し、毛筆での返事が必要なときにそれを書く、といった雑用だったけれど、面白かった。
一度は落選、そのあとすぐに解散があって、また選挙、ここで当選。

候補者を応援して、というより、選挙を経験してみたいという興味本位だった。

今や、この選挙、他人事というより、よその国のこと、のような感覚だけれど、もっと身をいれよう。
といってももう投票してしまった。

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参議院議員選挙についてのいろいろ

期日前投票にいったことを、昨日書いたのだが、ちゃんと処理していなかったのか、アップされていなかった。
昨夕、テレビのニュースで、東京は定数6,それに対して、35名の立候補者がいるのだと言っていた。
選択肢が35もあるのはすごいな、と感心しつつ、都民の有権者が35人分の公約をフォローしているのだろうか、と選択肢多いからと言ってよい選択ができるわけではない、と思ったり、での1人選挙区に5人の選択肢よりはいいな、とうらやましく思ったりした。

そして、今日は朝日新聞の「声」欄に、「期日前投票 宣誓書なぜ必要か」という投書が掲載されていて、意見を同じく人の声に接することができた。

また、首相の動静を記したところに、2日の動静として、午前8時35分、東京・九段南の千代田区役所。参院選の不在者投票。とある。
新聞記者の書いたものだから、正しいとすれば、まだ不在者投票という言葉は有効らしい。
期日前投票という言葉が使われるようになる前、この不在者投票という言葉で言っていたが、当時、その不在の証明が必要だった記憶がある。記憶違いかもしれないが。
今、求められている宣誓書ではなく、しかるべき書類を要求されたような、例えば、会社からの出張命令とか、なにかしら、だ。

もし、今、そんな制度が残っていたら、首相の不在証明はだれが出すのだろう、内閣府なのか、自民党なのか。
そして思う。選挙応援のための不在、そして時間のすべてをそのために使っているのに、総理大臣やそのおつきの人々、出張手当がつくことはあっても、その給与から業務以外の仕事をしているのだからといって、減額されることはないのだろう、なんだかおかしくはないか?と思ったりする。
それとも、私的業務として、旅費から食事代、すべて私費からだされ、給料も時間で計算して減額されているのなら、申し訳ないつぶやきだけれど。

今日はその新聞の一面に、政治思想史研究者、片山氏の深論が乗っている。「参議院を科学者議会にする」というのが彼の主張だ。
現在の参議院、第二院にすぎない存在と化したことはみな、承知している。
以前は良識の府と言われていた。その名もなつかしい緑風会といった、政治色より良識ある人々の団体と言われる集団もいた。
今や、候補者のいうことは、衆議院の選挙と全く変わりがない。

片山氏の言われる科学者の議会、というのも一案だな、と思うのだが、科学者の定義は何なのだろう。
人文科学も含まれるのだろうか。どうも科学というとサイエンスだけを想像してしまう。

また直接選挙でなくてもいい、ようなことを言われているのだが、科学者をだれがどういう風に選ぶのか、その方法についての言及はない。
英独仏の上院は今も直接選挙ではない、ことにも触れている。

英と独の上院については知識がないのだが、仏の上院、選挙人が議員を選ぶ。選挙人になれる人は、国民議会議員や地方、県、市町村議会の議員たちである。
これもいろんな問題があるらしい。つまり、国民議会の意向がつよく反映される、というのが、上院より国民議会が優越していることの証になる、という意見があるのだ。
しかし、大統領制のフランスで、副大統領が存在しない。そして大統領代行は、上院の議長なのだ。

2院制のなかで、両方とも直接選挙にするべきか、あるいは一つだけで十分なのか、選挙制度というのはあっちよければ、こっちが悪いと、完璧なものはないだろう。

だけど、どうしてあんなに候補者がいるのだろう。無所属はわかるとして、初めて見る、初めて聞く名前がたくさんある。こちらが無知すぎるのか。
供託金もあるのに、運動にお金もかかるだろうに、と彼らの懐具合を心配している。

でも選挙は興奮する。
昔、昔のその昔、衆議院議員の選挙事務所で手伝ったことがある。
事務所での電話当番、応援者の方々からのお手紙に対し、毛筆での返事が必要なときにそれを書く、といった雑用だったけれど、面白かった。
一度は落選、そのあとすぐに解散があって、また選挙、ここで当選。

候補者を応援して、というより、選挙を経験してみたいという興味本位だった。

今や、この選挙、他人事というより、よその国のこと、のような感覚だけれど、もっと身をいれよう。
といってももう投票してしまった。

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期日前投票をした

先日、参議院選挙の期日前投票をした。
今回はかろうじて、選挙公報が届いたあとだった。
熟読玩味して投票に臨んだか?というと「はい」とは言えない。というのも、あまりにも薄っぺら、質・量ともになのだ。

投票より前に(公示後だが)、東京へ行った。日中35度を超す気温におそれをなし、高齢者は熱中症になりやすいから、というのを口実に、ほとんどの移動を車でしたので、現実にはちょい見だったけれど、公示版にはびっくりした。
何人の候補者が写っているのだろう。選挙区と全国区に分かれているのだろうか?ちらっと見ただけで、様子がわからなかったのだが、わが群馬県との違い!!!!

わが選挙区の公示版にはほんの数名(書こうと思うと正確な人数がでてこないが)5名である。
公報によれば、自由民主党、参政党、日本共産党、NHK党、無所属である。
全県で1名が当選する。つまりは小選挙区みたいなものだ。
衆議院選挙なら、数区あるのだけれど。

選抜するにも5人から1人、東京は何人から選ぶのだろう。当選者は数人いるとしても、選挙民が投票用紙に記入するのは一名だから、その選択の幅は大きい。

先日、テレビの政治討論番組で、各党の選挙公約を読んでいる選挙民は少ない、とある政治学者が指摘していたけれど、私も熟読はしなかった。得意の斜め読みだ。
なぜなら、公約はみんな眉唾だからだ。
これまでの選挙を通じて、同じような公約を言われ、期待し(でもないが)、裏切られて、それでもまた公約を熟読せよ、というのか。

まず、打たれ強いだろうから自民党候補者の公約、安心・安全な国づくりをすすめます、子どもに夢を、若者に希望を、お年寄りに安心を、とある。
夢ははかなく、すぐに消えるもの、希望は絶望に、年寄にいただける安心とは?
と突っ込みたいことばかりだ。

ほかの政党、候補者の公約にしても、文句が多い人間といつも言われる私でなくても、容易にいちゃもんつけられる内容だ。

期日前投票は役場でする。いつも期日前投票なので迷うことはない。しかし、昔は不在者投票と言っていて、不在の理由を書かなければならなかった、と思い出す。それが期日前に呼び名がかわったとしても、なぜ期日前投票をするのか、という理由は欠かされる。といってもいくつかの理由がかかれていて、そこに印をいれるだけなのだが。
「別にここに書いてある理由ではないのですが、その他、あるいは該当理由なし、みたいな項目はありませんか?」とそこにいるスタッフに問う。「チェックしなくてもいいですか?」とも聞いてみる。
返事はノーだ。そこにある理由のどれかに印をつけることになっている、という。
こういう縛りがいやなんだ、と思いつつ、強いて口論するだけの気力のないこの頃だ。
適当に印をいれて、渡せば、まずは選挙区の投票用紙、その5名の中から選べというわけだ。

支持政党の候補者がいない。この群馬県は超保守、自民党が強い県で、その候補者は2世候補だ。
野党も頑張って候補者を立てる気にはならないみたいで、まあ、共産党、あるいは比例選出のための票数稼ぎといった思惑をもつ政党からの候補者がいる。

全国区になると、まあ政党数や比例代表リストの候補者の多いこと!極小の印字を選んだのか?と思うほど小さい文字だが、政党名、候補者名をすべて一覧表で納めるにはこの大きさになるのだろう。
眼鏡のピントが合わなくて、すべてを読み取ることはできない。
もうどうでもいい心境になる。支持政党というほどの入れ込みはないが、まあ、投票の実績はつくらねば、と記入して投票する。

世界の政治制度をいくばくか調べてみて、選挙が公平に、何かの圧力を受けることなく、実施されている国はあまりないことを承知している。
この選挙方式(たとえば比例代表選出の導入)がベストでもないだろうし、参議院のありかた、あるいは鳥取県と島根県が合体した選挙区になっているというような人口構成による区分け、また投票者が自分で記入しなければならない、というほうしk

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高級化粧品を買う

東京でフランスのブランド化粧品を買った。
東京で買うのは初めてに近い。
なら、これまではどこで買っていたのか、国際空港、だいたいはパリのシャルルドゴール空港免税品店である。コロナ禍の一つだ。

毎年、海外に出かけるとき、次の一年分の化粧品を免税店で買うのを常としていたのだが、この3年近く、海外旅行がなくなった。
間は悪いもので、最後の海外旅行のときは、化粧品がまた残っていて、さして緊急性がなかったので、買わずにいたのだ。ばか

基礎化粧品はやむなく身近な店で、国産を買っていたのだが、メーキャップ化粧品は、コロナ禍のマスク使用ということもあって、使用頻度は少なく、どうにか耐えしのいでいたのだ。

家籠りの日々だから、化粧もしないし、たまの外出、それも都会や人に会う(それなりの気をつかう人)時に一通りの化粧をしていて、さすがに残量が不安になってきた。

化粧品は高い。それも私が買いたいと思っているブランドものはバカ高い。
心の中でためらいはある。だいたい、化粧で化けることもできない年齢になっているのに、いつまで化粧をするのか?自問自答する。

その昔、と常の自問がでる。小さいとき、そのころ40台であったと思う叔母が化粧をし、赤い口紅をつけているのがとてもいやだった。
貧しい時代だったから、化粧というのは贅沢で、母もたまには化粧をしたけれど、月に1回もなかったように思う。
40台の叔母は、戦争未亡人で、娘をつれて実家(私の家)に帰ってきていた。
父と小さな弟を除いて女ばかりの家、最高齢は祖母、それに大叔母、母、叔母といたけれど、祖母に大叔母は常に素顔、そんな中で、叔母が化粧していると、女を感じて、それがいやだった。

昔の田舎のつましい家庭の意識というのはそんなものだった。小学生だったに違いない私には、叔母は叔母であって、女であってはいけなかった。特に従姉がいるのだから、女を捨てて、母親として生きていくべき、などと考えていたようだ。

だから当時の祖母にも匹敵する年齢になった現在の私が、美魔女でもない、年齢相当なのに、そんな高価な化粧品はいらないのに、と言われそうなのに。でも今はだれもそんなことは言わない。
いくつになっても、女性は美しくなりたい(願望に制限はない)、と思えばそうしていいのだ。
エステに通い、美容整形をし、いろんな努力、それがどんなに費用がかかろうと、本人がしたくて、その費用が賄えるのなから、どうぞご自由に、なのだ。

そこまではしない。ただコンパクトとほほ紅が欲しい。

友人とデパートへ出かけた。私が求めるブランドの店の前には行列とまではいかないが、少しお待ちください、と言われる。
店の中では、若い(私に比べて)女性がメーキャップを受けている。私は必要なものを買うだけでいいのよ、というがいずれにしましてもお待ちください、と言われる。

さあ、お待たせいたしました。こちらへどうぞ、と椅子をすすめられる。友人が、座ってメーキャップしてもらいなさいよ、と勧める。
ちゃんと買うのだから、メーキャップの方法を教わってもいいだろう、と居直る。
それでも、やっぱり、年齢や普段はメーキャップせず、庭仕事をしているので肌が荒れてしまって、と言い訳をする。
店員さん(とは言わないのだろう)はやさしく、しみも少なくて、きれいな肌をしていらっしゃいますね、とお世辞で対応してくれる。

美容院でも感じるのだが、人に髪は肌を触ってもらうのはとても気持ち良い。そしてプロはプロなのだ。自然な感じで、かつ肌はランクアップするような化粧品を選んでくれる。

この頃はこれが最後のなんとか、と枕詞で最後をつけるのだが、この化粧品が最後になるか、それともまた免税で買える機会がくるのか、でも女性の特質かもしれないが、化粧品2点だけで、とっても幸せになった。少なくとも、これがなくなるまではがんばるぞ!
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