SSブログ

ギリシャ料理

旅行をすると、旅先の国や地方の料理を食べることも、旅の楽しみの一つである。
若いころはその土地の料理を食べられるという、好奇心でいっぱいだった。好き嫌いはあまりなく、油っぽくても、肉ばかりでもおいしく食べられた。

今でも拒否はしない。だが遠慮はする。

今回は、友人の家でほとんど食べた。コザニという町にいたとき、最期の2日、ランチをレストランでいただいたものの、ほかは3食、彼女の手になるものだった。

ギリシャ料理といえばムサカなどを思い出すが、今回、ムサカは食べなかった。

何を食べたか、せっかく彼女が毎回手料理をふるまってくれたにも関わらず、写真もとらず、メモもとらず、その名称は記憶から逃れてしまった。

到着した日、もう食欲はない、というのに、彼女は肉の煮込み、スープ煮のようなものを出してくれた。トマトがはいっていて、ちょっと酸っぱく、意外とさっぱりしているな、と思いきや、羊のチーズをそのスープにいれて食べるのだという。
このチーズをいれるのは、おかゆみたいな食べ物についても、サラダ(野菜だけ)にも、なにやらのチーズを加えて食べる。

チーズとオリーブ油は必須のもののようだ。チーズは数種、必ず用意されていた。自宅の朝食でもチーズ一切れ食べるといったら、チーズの盛り合わせがでる。これも、あれも食べろと迫ってくる。1日1種でいいの、といっても、ナチュラルなものからスモークしたもの、ちょっとずつでいいから食べてみて、という。そのちょっとだけ、というのが量が多い。

ギリシャで楽しみなのはギリシャヨーグルトだ。これも、日本で考えていたものよりよほどこっていりしている。1パック食べろと迫られる。

思いがけない料理は、ロールキャベツの変形だ。日本のロールキャベツは俵型というのか、お稲荷さんスタイルだが、彼女の作ったロールキャベツは、テニスボールとソフトボールの間くらいの大きさ、球形だ。
これはクリスマスに絶対必要な料理なのだという。

ひき肉はよく使われる。パイ地に挟まれて、あるいはミートボールとして、肉のかたまりを食べたことはなかった。

赤のパプリカ、これはギリシャ料理のマストなのだそうだ。彼女も付け合わせでは、パプリカを焼いて皮をむき、オリーブオイルに浸したものをよく出した。ピューレの瓶詰などもよく売っている。
野菜では、ズッキーニのスライス素揚げや、ほうれん草よりざらつく舌ざわりだが、青菜野菜の炒め物など、単純なものがよかった。

友人は料理好きなのか、私に食べさせようと、朝も昼も夜も、台所にたって、手作り料理を供してくれた。小さな台所なのに、4炉のIH(というのか)、それにオーブンを使って、あっという間に作り上げてくれる。

香料はたくさん持っていて、巧みに使い分けている。この香料多用も、きっと胸にもたれるようになった原因の一つだと思うが。

その昔、母や姉一家とエーゲ海クルーズに参加したあと、アテネに戻って、日本料理店にいき、当時のおかねで1000円もする、と母がぎょとしていたが、なべ焼きうどんを食べたときのことを思い出す。

今回の私は、ドバイ空港で、フォーを食べたのがきっとそれにあたるのだろう。

友人がギリシャ料理の素材をたくさん持たせてくれた。さて、私にできるだろうか。

nice!(0)  コメント(0) 

ギリシャに住みませんか?

たった10日間の滞在で、結論をつけるのは妥当ではないと思うのだが、ギリシャに住みませんか?と言われると、きっとウーンと考え込んでしまうだろう。 今回の友人宅での滞在、もう文句をいう余地のないほどの歓待を受けた。友人は92歳の寝たきりの母親を一人で介護しながら、私に上げ膳据え膳のごちそうを作ってくれ、私は女王様のごとく、サロンのソファーをベッドにかえ、ふんぞり返っていたのである。 92歳の母親は、寝たきりになって2年、ずっと彼女が介護している。2人の娘の長女が結婚してすぐ近くに住んでいるが、夫と4歳も息子もい、働いてもいるので、恒常的な手伝いはできず、何かがあるとき、手伝う程度だ。 母親は、ボケも始まったのか、会話は少しはするけれど、理解しているのかしていないのか、はっきりしないときもある。 あなたも一人、私も一人と一緒、あなたの都合のいいときに来て、1カ月とか2か月とか滞在しない?と聞いてきた。ここが窮屈なら、同じ市内にアパートを1室持っているから、そっちに滞在してもいいわよ、という。 同じ市内にすむ長女もそうすればいいのに、と言い、ウィーンに住む次女も、そうしたら、ウィーンにも来れるじゃない?という。 次女の義理の父はザルツブルグに大きな家を持っているという。そこにも遊びにいけるし、とあこがれのザルツブルグへのお誘いもある。 小さな国境沿いの町を訪ねながら、昔していた旅行を思い出した。その時々、自分の好きに移動するという旅行だ。 2か月もあれば、エーゲ海の島々、それにギリシャの近隣の国々にも行けるだろう。悪くはないかな? が、やっぱりだめだ。何がだめ、というと、ギリシャの言葉が全くわからない。音で聞いても、文字でみても、チンプンカンプンである・ ふつうのアルファベットなら、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、いくらかの推察はできるし、音からもわかる言葉もある。しかし、ギリシャ語はだめだった。 10日間の旅行にたった2冊の本があっという間に終わった。もし2か月いるとなると、どんなに大量の本を持参することになるのか・ 情報を得られないのはこんなにつらいことなのか。アフリカでも、フランス語と英語の放送を衛星放送で受信できていたので、これほどの飢餓感はなかったような気がする。 それに食べ物、洋風な食べ物は大好きだったのだが、今では、オイルが多すぎると胃にもたれる。 やっぱり長い食生活の違いだろう。92歳の母親は、毎食友人が準備するのだが、最期にオリーブオイルを1滴、2滴なんてものではなく、相当量流し込んでいる。 高齢になってもオイルは適当にとらなければ、消化や排せつに問題がでてくる。母親もそれでおいしく食べているのだから、それがいいのだろう。 3日目くらいから、オイルが胃にこたえるようになった。これは料理の量が多くて、これもあれも食べろと言われるせいだと思っていたけれど、必ずかけてあるオイルも問題なのだということがわかった。 ブレという、ありとあらゆるスィーツにテイクアウトもできるお惣菜一式を売っているお店で、ランチをしたときのことである。 なるべくオイルのないもの、とシーフードサラダを選んだ。これならさっぱり食べられそうだ、と安心していたら、お店の人が私に手渡す前に、オリーブオイルをどどどっと注ぎ込んだ。エッー止めて、といいたい私の気配を逆にとって、もっといれるか?と聞いてくる。 この2つをもって、旅行ならできるが、すむことはできない、旅行も2週間がせいぜいだ、というのが今回の結論だ。 それにギリシャ風の生活時間(これについては別途)、それにトイレの問題、プラス、お風呂、シャワーが主で、浴槽にお湯をためて、ということはとうとうしなかった。 すめば都、どんなに鄙の地にあろうと、我が家が一番、という気配を感じたのだろう。友人はさみしそうに、いつでもいいからまた来てね、もっと長く長くね、と言ってくれた。そうするとはこたえたのだが。
nice!(0)  コメント(0)