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ギリシャについての私見、雑感

ギリシャについて、本当に無知だ。それを恥ずかしく思うのだが、なかなか勉強とはいかない。

ギリシャの歴史、古代は別として、現代史についても、現在の民主主義の形をかろうじてとったのが40年くらい前でしかない、と聞いて、そうなんだ、と変な納得をする。

というのも、私の記憶には、国王を追放しての軍政、圧政の時期がかすかに記憶にのこっており、特に「旅芸人」のついたタイトル(正確に覚えていない)の映画の記憶が強烈だったのだ。
この映画、もう筋もはっきりしないのだが、やたら暗かった。あまりに暗くて、最期まで見終わるのがつらいほどだった。しかし、当時の親しい友人が、この映画をとても称賛していて、お付き合いで見たのを覚えている。

追放された国王の名前も思い出さない、が、王妃はスペイン王家から嫁いだひとであったことを覚えている。

国土にしても、列強がご都合で決めたもので、まるでアフリカみたい、という友人の言葉が印象的だった。

浅黒い人が多いギリシャ、強い夏の日差しのせいなのか、あるいは各地の人たちとの混血の結果なのか、純粋なギリシャ人とはどんな人たちなのだろう。

料理の数々も、トルコとの共通性が感じられるし、きっとアジアの色も濃く感じられるのは、アレクサンダー大王の遠征の結果なのだろうか。

少しずつ、これからギリシャ研究をしていくつもりだが、少なくとも、地理と歴史、これだけは知識をきちんとしなければ。
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テッサロニキの観光の仕方

テッサロニキは海に面した街だが、その反対側は丘陵になっている。丘陵を上ったところに、旧市街があるのだが、道路が入り組んでいて、迷子になりそうだ。
それを言うと、テッサロニキでは絶対迷子になることはない、と友人が言う。なんせ、道を下れば港にたどり着くのだから、と。

ホテルのフロントで、"Thessaloniki on the go!"という公営バスのCultural route探訪バスを紹介された。たった2ユーロで、50分、49のポイントをみてまわる。その間にいくつかの乗降できるバスストップがあって、1枚のチケットで、何度も乗り降りができるようだ。

出発点のホワイト・タワーには、2階席のあるバスもあるのだが、これは10ユーロするのだとか(12ユーロだったかもしれない)。
2階席はオープンだから、展望はきくかもしれないが、そんな価格差があれば、当然2ユーロを選ぶ。
2ユーロでも馬鹿にしてはならない。ガイドがギリシャ語と英語で説明してくれるし、バスの中にはビデオ映写装置もある。

50分でこれだけの見どころを見て回れるものだろうか、と心配したが、結構コンパクトに名所旧跡がまとまっている。バスの中から見るだけだから、右をみて、左をみてということで、一巡りできた。

当初の予定では、テッサロニキには3泊、1泊は友人も一緒だが、2泊は一人きり、自由になる時間は1日半、マイペースで見物を、と思っていたのだが、結局2泊になり、友人がしっかり夕方まで付き合ってくれたりで、自由になる時間はほとんどなかった。

友人はもちろん、テッサロニキには何度もきているので、特別、遺跡をみよう、というような気持ちにはなれないようだ。
遺跡より現代よ、とばかり、繁華街でのウィンドーショッピング、いや、実際のショッピングをしたがる。
特別買い物にも興味はないのだが、彼女の気持ちも尊重すると、ギリシャのみならず、ヨーロッパのお店が並んでいる、いわばテッサロニキ銀座を歩くことになる。

街の規模が小さいだけに、時代の集積がみてとれる。アテネもそうだが、アクロポリスの遺跡を下りればそこは現代の繁華街というわけだ。

もうギリシャの歴史など、覚えていないのだが、マケドニア文化やビザンティン文化、ヘレニズム、いろんなものが混在して、その分類に迷ってしまう。

港を見渡すエレクトラ・パレスホテルのルーフ・ガーデンでお茶を飲みながら、ここにはもう一度きて、一人で歩きまわろう、と心に決めた。

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空港でのセキュリティチェック

9月末の旅行は、3月以来の海外であった。
今回、セキュリティチェックで、おやっと思ったことがある。

それは、腕時計まではずしてチェックにかけることだった。

これまで、男性は靴をぬいだり、ベルトを外したり、おやおやそこまで、と思うようなチェックもあったけれど、またITグッズについては、バッグなどから別にだしてチェックをうけるけれど、腕時計をチェックされたのは初めてであった。

トルコ、イスタンブールのサウジアラビア総領事館におけるカショギ氏失踪事件をみて、そうか、腕時計もウエアラブルのITグッズであることに、ようやく気付いたのである。
先進技術についていけない私にとって、単純な腕時計しかしていないし、これを警戒されることもなかろう、と思うのはこちらの判断、セキュリティはもっと包括的になされるわけだ。

そのうち、メガネも外してください、といわれるかもしれない。それに女性ではネックレスやブレスレット、指輪、こういったアクセサリーも全部はずして、といわれる日も数年のうちにはくるのかも、と思う。

手荷物のなかにある一定量をこえる水分を持ち込めないのは、普段使っている化粧品は、預ける荷物のなかにいれなければならない、手荷物にはいれられない、という不便にはどうにかなれた。

そのうち、いろんな制約が増えると、海外旅行そのものがいやになるのかもしれない。それより、体力・気力がついていかないから、大丈夫、と口の悪い友人は言っている。

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C級グルメの私たち

土曜日、若い友人夫妻が我が家に来てくれた。8月に会って以来だ。9月に彼らはフランスへ遅い夏休みででかけ、私は9月末にギリシャへといった。

その旅行の報告や、お土産披露というのが来訪の目的である。
フランス土産、そのナンバーワンは塩である。友人夫妻も私もフランスのカマルグの塩が大好物、それをフランスから買ってきてくれた。
日本でも入手は可能なようだ。東京ではあるデパートでも売っているらしい。しかし、我々はフランスで買わなければ、カマルグの塩という気分になれないのだ。

塩に凝っているかれらは、今年は塩田での塩づくりにも参加したそうだ。カマルグの塩のほかに、フランスといえば定番になっているゲランドの塩や、ほかの産地の塩も買ってきている。

私も対抗して、ギリシャの塩なるものを買ってきた。ギリシャの塩については何の知識もないので、スーパーでよさそうな塩を見立てただけである。
この塩はこれからいろいろ料理に使ってみることにする。

友人たちは、ほかにも凝っているものがある。蜂蜜、ジャム、ほかにもいろいろあるようだが、今回、私もギリシャから持って帰った蜂蜜とジャムを披露する。
ギリシャの蜂蜜は、一つはサフラン入り、もう一つは、ギリシャの秘薬マスティハ入りである。
通常の蜂蜜の感じではない。とてもスペシャルだ。サフラン入りはぴりっとした感覚があり、マスティハ入りは、薄荷入りというのか、すっきりした味わいがまず感じられる。

これがギリシャか、とその特殊な味わいを認識する。お国ぶりというものがあるのだ。

星付きのレストランにいくわけでもなく、料理を追及するわけでもない。ただ、なにかしらの単品で味を追求する我々は、C級グルメとでもいうのだろうか。
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10連休でだれが喜ぶの?

今年があと2か月半となると、来年のことを考え始める。
特に、来年は今上天皇のご退位と新天皇ご即位が予定されている。

今日、日程についての案が提示されていた。5月1日の代替わり、この日を祝日にするのだそうだ。
そうすると、その前日4月30日、そのあとの5月2日の平日が、4月29日昭和の日、5月3日の憲法記念日という祝日にはさまれ、祝日にはさまれた平日は休日になるという法律に基づき、休みになって、4月27日土曜日から5月6日月曜日まで10連休になるのだという。

こんなことがあってもいいのだろうか。

5月1日は来年限りの限定祝日なのだそうだ。それなら、その日だけの限定にすればいい。

もちろん10連休、うれしい人も多いだろう。しかし、10日間、そのうち4月27日は単なる土曜日だけれど、これだけの間、働かなくていい、と思うのか、働きたくてもはたらけない、と思うのか、それぞれ立場によって違うけれど、そうそううれしい人ばかりではないと思う。

農業や漁業関係者などは休みです、というわけにはいかないだろう。それかといって、市場が休みであれば、生産したものを売ることもできないかもしれない。

日給月給の人など、月の3分の1を休むことになったとき、収入は激減する。

観光地は賑わうのだろうか。

もし、5月1日の前後を休みにしなければ、3連休があって、1日働き(4月30日)、1日の休み、そしてもう一度1日(5月2日)働いたあと4連休となる。
とびとびに働くというのも面倒なのかもしれないが、10連休、ミゾユウと麻生さんならいいそうだ。

これから論議もされるのだろうが、毎日が休日の身分として、その特権を奪われることへの危機感からの発言なのかもしれない。

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ギリシャには原発がない(?)

ギリシャ、テッサロニキに到着、友人のお迎えをえて、コザニへと向かう車のなかから、周囲の景色をみていた。

高速道路がなんともすばらしい。まだ新しいのか、路面に穴がない。とてもスムーズな走り、そして走行する車の少なさ、日曜日なのに、日曜日だから?ギリシャの車の事情にはうといので、なんともいえないが、道路がいいことはいいことだ。
これはまったくEUのおかげなのだそうだ。EU加盟国の端から端まで、走りとおせるように、道路を整備しているのだという。結局、この道路、反対側はトルコに向かっているのだが。

と、走行中に、煙をだしている発電所を発見。発電炉なのか、その形状が原子炉に似ている。あれは原発ですか?と運転をしている娘婿殿に聞く。
いえ、あれは石炭発電所です、という。そしてギリシャには原発は存在しません、とのこと。

なんとすばらしい。石炭による火力発電所とすれば、もちろんCO2の排出問題もあるだろうが、原発のもたらす危険度よりは少ない(と思っている)。
海岸でもなく、川もみえないところに、原発がある、というのがちょっと奇妙だったので、その建屋が石炭発電所というのは納得だ。

彼曰く、この地方は豊富に石炭を算出するので、ここでみられる発電所は全部石炭の発電です。

次々に発電所の建屋がみえるのだが、またその近くに、炭田というのか、そんなものがみえるのだ。

ギリシャの電力供給がどんな具合になっているのか、もうドキュマンタリストとしての気力もなくなって、調べることもしないのだが、もし、自国で産出する石炭だけで賄っているとすれば、すごい武器である。

隣国トルコと同様、ギリシャも地震国、大地震にみまわれることもあろう。原発の危険性より火力発電のほうが被害が少なくてすむことは自明だ。
滞在2日目、気温急落で、冬のような気候になったとき、安心してヒーターをつけたのだった。



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読めない字にあふれている

今回の旅行では、いろんな人と話す機会があった。
なまず、羽田でのチェックインを待つ間、私の後ろに並んでいたのは、20代後半?とも思える女性2人であった。フランス語で会話しているので、退屈まぎれに話しかけた。

彼女らはパリジェンヌ、2週間の日本滞在を終えての帰途だという。日本滞在はどうしたか?と問うと、素晴らしかった、という返事。そしてなよかった点の一つには、トイレ事情があった。清潔でシャワー設備がすばらしい、という。

では、ダメなところは?と聞くと、日本語がわからない外国人にアルファベットの案内が少なすぎる、というのだ。
そんなものかしら?と周囲をみると、空港だから、ある程度のアルファベット表記はあるけれど、日本語での表記ばかりが目立っている。

そうして、こちらが外国人の立場に立ったギリシャ、西洋文明の発祥の地とはいえ、ギリシャ文字はまた違う。
アルファとかシグマ、など、記号としては知っていても、文字としてとらえたことはない。

パリの父は、ギリシャ語を理解するというのが自慢であった。フランスのインテリは、ラテン語はもちろん、ギリシャ語もわかるべきなのだ、と。
私はフランス人でもなければ、インテリでもない。ギリシャ語はチンプンカンプンだ。

またギリシャ、それも地方にいったせいだろう。レストランのメニューも英語表記はなく、ギリシャ語オンリーというところばかりだ。

本当に困った。といっても、友人がいたから、自力での行動ができなかっただけで、不自由はないのだが、これまでの旅行をほとんど自力でこなしてきた自信がうせてしまった。

まだ旅行だからいい。2月に旅行したラオスでも、ラオ語はまったく理解できなかった。現地にいた友人は、赴任前にラオ語をマスターして、この奇妙奇天烈(なんていうのも失礼だが)な文字も解読できていた。

日本には、漢字のほかにカタカナ、ひらがなとあるから、外国人にとっては、それこそ奇妙奇天烈に思えるだろう。

最低のレベルをどこにおくかが問題だが、すくなくとも、固有名詞はかならずアルファベット表記も添えることにしないと、それも東京のみならずだ、外国人は目にみえても迷路であることになる。

日本に帰ってきて、目に見え、耳にはいる情報が理解できるという安心感であった。

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マケドニアのことなど

ギリシャ北部の町、コザニからカストリア、あるいはフロリナという都市へとドライブした。道路標識に、国境という言葉がでてくる。
日本は海が国境になっているから、つい、道路でつながった国境ということに意識がいかないのだが、ここは大陸、そうか国境に近いのだ、と感じる。

最初にいったカストリアはアルバニアに近い。フロリナはマケドニアだ。時間に余裕があれば、陸路、隣国にも足をのばしたかった。

友にそのことを話すと、乗り気な返事は返ってこない。アルバニアは最近ましになっているけど、マケドニア、この言葉がギリシャでは禁句にもなっている。マケドニアはギリシャの一部で、国名としてマケドニアを称しているのは、間違いである、とギリシャ人は言うのだ。
旧ユーゴスラビアのマケドニア(便宜的に)は、とっても貧しいから、行くのはやめた方がいいよ、という。

その貧しさを現地で確認したいのだけど、というが、いい考えではないという。

9月30日、テッサロニキにいた。この日、旧ユーゴのマケドニアでは、国名を変更する国民投票が行われた。
それに合わせてなのか、このテッサロニキでは、マケドニアはギリシャのもの、というデモが行われていた。マケドニアという呼び方が、ギリシャを表すし、ギリシャの北部がマケドニアという呼び名になっている。それを強調したデモらしい。


結局、旧ユーゴのマケドニアはマケドニアに何かをくっつけた国名になったはずだが。歴史的な問題は今も尾をひいている。

友はいう・トルコだって昔はギリシャの領地だったと。どの昔なのだ?トルコにいわせると、オスマン時代はギリシャはトルコのもの、というだろうに、と、この論争が時代をこえたものであることを感じる。

ギリシャは西欧という範囲でみると、貧しい国となるのだが、旧ユーゴの国々、あるいは旧共産圏の国々に比べればまだましな国だ。
だから、その近隣諸国からの移民が多いらしい。

私には区別がつかないが、友にはその言語、服装、言動から、どの国からの人と判別できるらしい。

海からの移民・難民のほか、陸からの人の移動も可能なギリシャ、マケドニアだけでなく、多くの問題を抱えていることを実感させられた。

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ギリシャは古い国?

古代のギリシャを言うのではない。現代のギリシャなのだが、はたして、ギリシャというのは、意識の上でどの辺に位置するのだろうか。

友人は言う。ギリシャは意識が古いのよ、と。彼女は20年前に離婚した。夫が家庭放棄をしてしまったのだという。妻も娘2人も捨てて、家をでてしまったのだと。
結局離婚ということになったのだが、当時、ギリシャで(全体なのかどうかはわからないが)離婚するというのはあまりなく、恥であったとか。

肩見せまい思いをした。食事に招待されることもなくなり、時には、離婚女性への蔑視も感じたという。

現在ではそうでもないのだろうが、夫婦の単位で動くところで、単身でいることの不自由さは私も感じる。彼女は20年もそれを感じてきたのだ。
そういう一面があるけれど、娘はほかのことを言った。娘は結婚して、4歳の男の子がいるのだが、夫とは別姓でいるという。法的にどうなっているのか、確認はしなかったが、夫の姓にするまたは別姓で通すという選択があるようだ。
また子供については父親、もしくは母親の姓、どちらでも選択できるのだとか。

夫婦別姓の制度ができている。これはギリシャのこれまで、きわめて保守的な国の印象、からして、とても進歩的にみえた。
EUの共同規範みたいなものがあるのだろうか。

また、以前、ある一定の年齢から上の女性は、すべて真っ黒の衣服をまとっている人が多かったように記憶しているが、今回、あまりみかけなかった。

特定の地域を訪問しただけで、ほんの短期間のことだから、これだけの印象で決めるべきではないけれど、なにかしら、ギリシャの変化をみたような気にもなる。

しかし、京都で先の戦争というのは、南北朝の戦いのこと、などというように、ギリシャでの感覚は、もしかしたら、アレクサンダー大王にまでさかのぼるような、そんな気分になるときもあった。

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存じ上げなくて。。。。

昨日の本年度ノーベル平和賞の受賞者名と国名を聞いて、いささかショックだった。

私がいたことのあるアフリカ、コンゴ民主共和国の婦人科医デニ・ムクウェゲ氏と、イラク出身のナディア・ムラド・バセ・タハ氏が受賞者という。

お二人とも私にとっては初耳、ナディアさんはどうだか知らないが、ムクウェゲ氏は以前から候補者になっていたことがあるのだそうだ。欧州議会が人権活動者などに授与する「サハロフ賞」(2014年)を受章するなど、戦争による性的被害をうけた女性の救援に尽くしていたことは、周知だったようである。

1997年から2000年までこのコンゴ民主共和国に滞在(中の1年、内乱のために日本に避難)していたが、その間に一度もないこのお名前に接することがなかった。
情報のない国というのは言い訳にはならない。
彼が首都キンシャサで活動していなかった、というのも言い訳にはなるまい。
彼の病院があるブカブにはとうとう足をはこべなかった、というのも理由にはなるまい。

この戦争による性暴力という問題については、キンシャサに当時いらした日本人シスターともよく話したし、その後のメディアの報道でも耳にしていた。
内乱や過激派による侵略行為には、大義というものがあまり感じられることがなく、ただの暴力行
為といえる場合が多い。

戦争に伴う悲劇として、あってはならないけど、ありうることと、知識として受け止めるだけで、それを防ぐためになんらかの行動をとらなければ、というところには至らなかった。

自分を恥じる。少なくとも、なにかの形で活動に参加できていたのでは?という思いがでてくる。

コンゴ民主共和国、このような形で存在が知られるのはうれしいことだ。

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