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古い預金通帳の処分

つれあいの遺品の処理もまだ終わっていないけれど、自分の終活もスタートさせよう、と身の回りの品で、処分できるものを出し始めた。

母の遺品もまだ残っている。弟に全部送ったら、弟のお嫁さんがいやがるだろうな、と思う。やっぱり黙って処分すればいいのか、と。

大した量ではないが、ずいぶん以前からの預金通帳がたまっていることに気づいた。これを処分しよう、と決める。

表紙に大きく「済」という判がおされている通帳、独身時代のものもある。

中のページをみると、なんともいじらしい数字が並んでいる。
収入は勤務先のみ、入金されると、まず、積み立ての金額がひかれている。決して高額の収入ではないけれど、きちんと積み立て預金をしていたらしい。
引き出しの金額がかわいらしい。2000円、とか3000円という金額でおろしている。万円で下すことはあまりない。

つましい生活だったことを思い出す。勤め先には歩いて通えるところに住んでいたので、交通費もかからず、昼ご飯も家に帰って食べていたのかもしれない。
財布に1000円もあれば、どうにでもなった。
当時の貧乏だけれど、精一杯、翼を広げて、世界をみよう、というような意気込みの若い自分自身を思い出す。

日記帳とちがい、数字だけであるのに、意外と語り掛けるものがある。

さあ、どうやって処分しよう。シュレッダーにかけるのか、焼却するのか、もう少し、自分史として数字を読んでみよう。

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老人不可為冒険

2週間も毎日、ルーティンのことしかしない生活をすると、さすがにうんざりしてくる。

今日は、お天気もいいし、ちょっとばかり遠出をすることにした。ガソリンがなくなりそうなので、ちょっと遠くの、私の知る範囲での最安値のガソリンスタンドまで行くことにしたのだ。
1時間半くらいかかる。ついでに寺泊の直売魚屋さんにもよることにした。

道路はよく知っている。途中、この道はいつか来た道、と思うと、つれあいの病院通いに通っていた道であることに気づく。病院の木々は、紅葉がもう散り始めている。
2年前の今頃、この病院に入院していたはず、と涙がでてくる。

結局、往路は通いなれた道路だけを走ってしまった。

そして帰り道、吾妻川の川沿いでお昼を食べることにした。犬を散歩させている人が1人、2人しかいない。

運動場がある周囲をまわって、本来ならまた元の道路にもどるべきなのだが、もしかしたら通り抜けできるかもしれない、と冒険してみることにした。
ずっとつれあいと通った道ばかりだったので、違うことをしてみたかった。

川沿いの道が終わって、上に登る狭い道がある。一応舗装されているし、車1台は通れそうだ。行っちゃえ、と思い切った。
ところが、途中できびしい曲がり角、とても普通乗用車は通れそうにない。
あきらめた。

となると、来た道をバックで戻るほかはない。バックは不得意、冷や汗ものだが、ほかに手段がないことは自明である。
そろそろとバックするのだが、ハンドルは思う方向に曲がっていかない。というより、ハンドルに私の意思が通じない。左は壁というか崖の状態、右はガードレール、すぐに警笛がなる。

どうすりゃいいの?と右に左に少しずつ動かし、警笛がなると、もう一度前に出して、方向修正をする。

そこに上から軽トラがやってきた。いよいよ焦る。軽トラは待っていてくれるのだが、私のバックはまだ半分も終わっていない。

このままいくと、車をこするか、ガードレールを越えて落ちるか、どっちかだ。さあ、きっと老女が運転を誤って、とか逆走ではないけれど、狭い道に侵入した、とか、新聞だねになるのかな?
免許証を返納するように、と言われるかもしれない、保険はどうなる?
考えることはいっぱいでてくるが、車はデッドロックだ。

軽トラのお兄さん(40代の男性)がとうとう降りてきた。代わって運転しましょうか?とやさしい一言、救われた。

もちろん、ゆっくりだったが、とても確実にバックの運転をして広いところまでおろしてくれた。

帰宅する途中で、体に震えがきた。やっぱり冒険はするべきではない。山道、田舎の農道、いままで通ったことのない道路にはいりこまないこと、教訓をまた得た。

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フランス版イキコモリ

今朝のフランス2のニュースを見ていたときである。イキコモリという言葉が聞こえる。なんだか、聞いたことのある言葉だが、イキコモリというのはなんだ?とテレビの画面をみると、一人の若い男性が写っている。

日本ではイキコモリというが、という説明に、ああ、引きこもりのことなんだ、と納得した。
フランスでは何というのか?テロップをみると、Sortir me rend maladeとある。一言での表現ではなく、「外出することは、自分を病気にする」直訳すればそうなるのだが、つまり外出ができない、ということだ。

こうしてみると、引きこもりというのは、フランスではまだ普通ではないらしい。日本ではもう認知された病気というのか、現象である、とテレビで説明している。

フランス版では若い男性が、アパートメントに閉じこもって、外出ができなくなっている状態を説明していた。

現代病というのは、だんだん万国共通のものとなってきている。カウチ族ということばはフランスでもよく耳にした。
パラサイトは、実際にリストラにあった初老の男性が、母親のアパートに住み着いて、母親は追い出すこともできず、困惑していたケースをみた。

生きにくい世になったということなのだろうか。

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フリースのパジャマを着る

先日からフリースのパジャマを着ている。ユニクロで購入したものだ。

冬の衣類を買いにいったとき、同行した、ユニクロ商品に詳しい友人が、これはいいわよ、と推薦してくれた。
パジャマが必要だから、友人も使っているというから、とあまり考えずに、商品もチェックせず購入にいたった。
実際に着てみて、なんとも違和感を感じた。

ふんわり、ほっこりしているのはいいのだが、肌に直に来ていると、なにか変な感じがする。

長い年月、肌に直接触れるものは、天然繊維でなければならない、というのがインプットされている。これまでのパジャマは冬は綿ネルだ。
綿ネルも肌にやさしいが、このフリースの柔らかさは特別だ。

この頃、このフリース製品がもてはやされている。毛布もフリース製がある。純毛の毛布が珍重されたのはもう昔話といっていい。軽くて暖かくて、洗濯も自宅で手軽にできる、となると、それは便利だ。

天然繊維にあまり重きをおかれなくなったのはいつ頃からだろう。綿の下着など、登山やスポーツにはよくないらしい。汗や雨などで水分を含むと、それが乾かない、化学繊維であれば、速乾性があるというわけだ。

純綿、純毛、なぜか絹は純絹とはいわず、正絹と呼んだけれど、こういう純粋のものより、混紡、あるいは化学繊維そのものが重宝される。

フリースのパジャマは、首のところがモコモコになっていて、首が暑い。お風呂あとに着ると、首に汗をかく。

違和感をいだきつつこれで3晩着ているけれど、どうも熟睡できないでいる。

軽いのは、高齢者にやさしいのだが、なんだかそぼかゆいような、暖かさが化学的暖かさというのか、肌にしっくりこないのだ。

ヒートテックだ、フリースだ、と、新しいものに適応するのも大変だ。

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庭木伐採計画

午後、植木屋さんがみえた。北側の庭にある赤松を伐採するため、様子を見に来てくれたのだ。
いやあ、大きくしすぎたね、というのが赤松をみての言葉である。

こんなに大きくなるとは思わなかったのです、というと、木は一人で大きくなるからな、との返事。

北側の庭を購入したとき、雑木林だった。そのおかげか、北側だからか、涼しい風が夏場には得られたから、そのままでいい、と思っていた。
しかし、庭にするには少し手をいれたほうが、とつれあいが言った。
そのとき、特に大きくて目立つカラマツを中心に10数本を伐採してもらった。

赤松はまだそんなに大きくも感じなかったし、もしかしたら、その根元にマツタケでも出るか?などと欲をだした(それはないのだが)のか、赤松をそのままにしたのだ。

それから数年、あれよあれよと、赤松は成長した。
松は常緑樹、それは正しいが、決して同じ葉が残っているわけではない。葉はいれかわるのだ。
落ちた松葉の始末に困ること、広葉樹の落ち葉はいつしか腐っていくけれど、松葉は腐らない。
先がとがって、素手で扱うと痛い。

去年あたりから、家の管理をお願いしている人に、切りたい、切りたいと話していたのだが、そのうち、という返事でなかなか先に進まなかった。

植木屋さんの話では、クレーン車が必要、1日ですませられるかな?ちょっと難しいけれど、クレーン車の賃料が高いから、1日ですませなきゃ、ということ。老人から高いお金はとれないからな、という言葉に、高齢者であることを強調する。

巨大化した赤松だけをクレーン車をつかっての伐採にし、その他のナナカマド、モミジ、カシ、などの木については別途、ということで見積もりがくることになった。

自然保護もほどほどでなければ、時宜を失してしまうものだ。

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庭木伐採計画

午後、植木屋さんがみえた。北側の庭にある赤松を伐採するため、様子を見に来てくれたのだ。
いやあ、大きくしすぎたね、というのが赤松をみての言葉である。

こんなに大きくなるとは思わなかったのです、というと、木は一人で大きくなるからな、との返事。

北側の庭を購入したとき、雑木林だった。そのおかげか、北側だからか、涼しい風が夏場には得られたから、そのままでいい、と思っていた。
しかし、庭にするには少し手をいれたほうが、とつれあいが言った。
そのとき、特に大きくて目立つカラマツを中心に10数本を伐採してもらった。

赤松はまだそんなに大きくも感じなかったし、もしかしたら、その根元にマツタケでも出るか?などと欲をだした(それはないのだが)のか、赤松をそのままにしたのだ。

それから数年、あれよあれよと、赤松は成長した。
松は常緑樹、それは正しいが、決して同じ葉が残っているわけではない。葉はいれかわるのだ。
落ちた松葉の始末に困ること、広葉樹の落ち葉はいつしか腐っていくけれど、松葉は腐らない。
先がとがって、素手で扱うと痛い。

去年あたりから、家の管理をお願いしている人に、切りたい、切りたいと話していたのだが、そのうち、という返事でなかなか先に進まなかった。

植木屋さんの話では、クレーン車が必要、1日ですませられるかな?ちょっと難しいけれど、クレーン車の賃料が高いから、1日ですませなきゃ、ということ。老人から高いお金はとれないからな、という言葉に、高齢者であることを強調する。

巨大化した赤松だけをクレーン車をつかっての伐採にし、その他のナナカマド、モミジ、カシ、などの木については別途、ということで見積もりがくることになった。

自然保護もほどほどでなければ、時宜を失してしまうものだ。

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レジ袋がなくなたら

マイクロプラスティックの問題が脚光を浴びて以来、コンビニで毎朝新聞を買う時、袋はどうしますか?と聞かれて、結構です、と辞退し、週に1回のスーパーでの買い物時も、レジ袋辞退が続いている。

フランスではずっとスーパーのレジ袋が有料で、つい、出かけたついでの買い物では、買い物袋を準備しそこなって、ほんの少額とはいえ、有料のレジ袋にくやしい思いもした。

一時期、レジ袋はなるべく渡さないというような店のアクションもあった。レジのところに、レジ袋辞退します、という札があって、それを買い物かごにいれておくと、「ありがとうございます」ということばとポイントを得られたものだった。

それが再び、レジ袋はほしいだけもらえるようになったけれど、この頃、ちょっと風向きが変わった。マイクロプラステックの問題が、プラスティック全体の問題と変化してきているのだが、これだけプラステックの便利さに慣れてしまうと、プラスティック無しの生活に戻れるだろうか。

我が家ではレジ袋は、ごみ用の袋として利用している。最終的には、村指定の大きなごみ袋にいれるのだが、毎日の生ごみ、小さな紙類のごみ、あるいはプラスティック関係のものも、レジ袋にいれ、1日分たまると、それをしばって村の大きなごみ袋にいれる。

2重にプラスティックを使うことになるが、そうすることで、3日なり4日分のごみを区分していれることができる。

以前は、細かい分別を必要としていたけれど、今では、不燃物とはっきりわかるガラスや陶器、それに缶類を除き、ほとんどを可燃性でいれられる。プラスティック類も可燃性にいれることができるのだ。

とても便利にはなったけれど、昔を知っている人間としては、常に後ろめたい。

レジ袋を辞退しても、ためておいたレジ袋がまだある。しかし、そのうち、スーパーでレジ袋をもらえなくなって、かつ、ためおいたものもなくなったら、さてどうしよう。
プラスティックというあまりに便利なものに慣れすぎた罰がこようとしている。
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ポイントって使えないからいや

消費税が来年10%にアップする際、購買意欲の減退を避けるため、カード利用の場合、ポイントを増やしてくれるとか。

カードを利用する人たちへの優遇策、カードを持っていない人たちはどうなる?という反対論も出ている。

私はポイントなるもの、あんまり好きではない。嫌い、とはっきり言いたい。とはいいながら、メインで使っているカードは、ある程度、ポイントが貯まるるので、ある程度たまると、なにかしらと交換している。

しかし、サブで使っているカードは、なかなかポイントがたまらない。そのうち期限がきて、有効ではなくなるのでは?と、不安になる。使えてもたいしたものには交換できないのだが。

ポイントがすぐダメになるのは、フランスのデパートのポイントだ。有効期限が短い。それに外国の航空会社のマイルも有効期限が短くて、使いようがない。

先日、ドコモのポイントで苦労した。2年ちかくたっているので、相当なポイントがたまっているとのメイルは入ったのだが、どこで、どのように使えばいいのか、それが私にはわからない。
できれば、料金の支払いにあててくれればいいのだが、と友人に相談すると、いろいろ検索してくれた。
私のドコモ用のパスワードが要求される。知らない、とあっさり返事をすると、それがなければ先に進めませんといわれる。それはそうなのだが、ふだん必要としないし、メモに記したいろんな言葉のどれがドコモ用なのか、わからない。
どうにか到達して、料金の一部にあてることができるようになった。

消費税アップ後のポイントがどうなるのか、まだわからないけれど、なくてもいいのに、と思っている。

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クリスマスデコレーションを出しました

1カ月前くらいに出そうと思っていたクリスマスグッズを、少し早いかなと思いながら、今日出してみた。

2年ぶりだ。1昨年は、つれあいが入院中で、とてもクリスマスなんて気分にはなれなかったので、それに連日、病院通いもあって、デコレーションなしだった。
昨年は、12月中旬にフランスへ行き、クリスマスに新年はパリですごすことになり、我が家はデコレーション無しだった。

先日、東京に行ったのだが、デパートをはじめとする商業施設は、もうクリスマスモードになっている。刺激を受けた。

といっても、我が家のクリスマスグッズは少ない。以前はツリーを含め、いろんなものを持っていたのだが、今ではほんの少々だ。
基本は小さなサントン人形のクレーシュ、キリスト生誕の様子である。

昨年、フランスの家庭をたくさん訪問したのだが、どの家もクレーシュをメインに飾っていた。教会も人形の大きさがいろいろあるけれど、基本はクレーシュ、それに伴う田園風景や、人々の暮らしの様子が違うだけだ。

我が家は、南仏で購入したサントン人形のクレーシュを飾る。
そのほかは玄関にリースを飾り、テーブルクロスをクリスマスのものにする。

玄関にかけるリースは、その昔、母が作って送ってくれた。だから20年くらい前のものだ。母は器用な人で、なんでもきれいに仕上げていた。
マツカサや木の実などをあしらったものだが、20年も飾っていると、ずいぶん飾りがなくなっている。それでも捨てられず、それかといって、新たに飾りを加えることもせず、そのままに飾る。

クリスマスデコレーションをしたからといって、気分が浮き立つわけでもない。
この季節は、つれあいの病状が悪化した記憶が強く、なかなか厳しい時期なのだ。
それに、つれあいがクリスチャンではなかったので、クリスマスといっても変化はなかった。

派手にするのがきらいで、クリスマスプレゼントももらったことがない。
せいぜい、24日の夕食にワインを飲むくらいだった。

去年はステキなクリスマスを過ごした。パリの父とともに、父の甥の家に招かれ、プレゼントのシャワーを浴び、これがフランスの家庭のクリスマス料理、というものを食べ、にぎやかに語り合い、ピアノでキャロルを弾いたりした。

冬の夜、外出はかなわないので、教会のミサには行けない。ホワイトクリスマスになるのか、今からはわからないけれど、きっと静かなクリスマスであることは確かだ。

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ゴルフボールの耐久性

先だってゴルフをするにあたり、ゴルフバッグの中のボール数を調べた。20球以上はいっていた。どれがニューボールか、古いボールか、定かではないものも多いが、パッケージのなかにあるものはニューボールであることは間違いない。

しかし、これらのボール、いつのものだろう。去年はハーフ1回、今年はワンラウンド1回プレイしたけれど、それまでの4、5年、つれあいの体調不全もあって、ゴルフはした記憶がない。
ということは、それ以前に購入したか、いただいたものだ。

一時期、テレビではゴルフボールのCMが多く放映されていた。ボールでそんなに飛距離がかわるもの?とつれあいに聞くと、飛んでほしいというはかない希望で、ボールを選ぶんだ、飛ばせない人間はね、と言っていた。

つれあいが亡くなって2年近い。亡くなってすぐのころ、思い出を断ち切りたくて、つれあいのものをどんどん捨てた。ゴルフセットもそうだ。しかしボールは残した。結局、いつか使うこともあろうと、つまりは私がゴルフを再開するかも、と思ってのことだった。

この頃、もう一度、物置の整理を始めたのだが、ボールが出てくる、出てくる。
ニューボールも多い。結局、これらはつれあいがしまい込んでいたものだ。
なんで、こんなにボールを残したの?と聞きたくなる。

おそらくは、アフリカ時代の残りなのかもしれない。
アフリカでは、ニューボールを購入するのが難しかったので、たくさん持ち込んだ。
居住地には、中心地にゴルフ場があった。ラフの雑草の茂り方、グリーンは砂と芝の混在、ひどいゴルフ場だったが、ほかに娯楽もすくなく、外国人の社交場だった。

私はテニス派だったが、テニスにはパートナーが必要、ゴルフなら一人でもできるというので、ゴルフを始めた。

ここでは、ラフに入ると、なかなか見つからない。池ぽちゃになると、脇にいたゴルフ場の雇員でもない、ただのボール拾いを職業としている人が飛び込んでさがしてくれる。

しかし、時には見つからない。特にニューボールを使った場合がその可能性が大きい。

結局、ロストボールとして、彼らの収入源となるわけだ。プレーヤーはそのくらい、大目にみなければならない。

そんなこんなで、つれあいはたくさんのボールをアフリカには持参したのだが、そんなに頻繁にゴルフができるわけでもなく、私もみつからないような距離を打てるわけもなく、というので、日本に持ち帰ったものだろう。

これらのボール、これから私が年に数回、ゴルフをしても10年以上はもちそうだ。
ボールのためにゴルフをするのも逆発想だが、まだニューボール、捨てるのももったいない。

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