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ドナーカード未登録

昨夜、12時すぎまで本を読んでいた。「移植医」という本だ。

移植について考えされられた。この問題は昔から関心があって、ずっと考えてきたことだ。
ただ、昔と今では考えが変わっている。

まだ臓器移植が脳死者から認められていないころ、まだ運転免許証に移植の項目がないころだと思うが、まずアイバンクに登録していた。これは角膜を移植してもよい、ということだけだったと思う。次に、腎臓について、何かの形をとったような記憶がある。
友人の一人が、腎臓が悪くなり、透析をしていた。仕事をやめ、京都の病院で透析をうけていた。

献血はずいぶん回数をしたためか、日赤からの感謝の品ももらったことがある。しかし、骨髄移植の登録はしなかった。

外国の機関で働いているときには、その国の移植関連、医師の倫理の問題、などを調べていたこともある。

ところが、だんだんに臓器移植について、保守的というのか、否定的な考えになってきた。
生体肝移植などが行われると、健康体の人の体にメスをいれる、ということが納得できなかった。

年齢もあって、免許証のドナーカードの部分には何も印をつけない。お役にたてそうにないからだ。

「移植医」では、アメリカでの考え方が非常に強烈に書かれている。脳死者からの移植である。
心臓、肝臓、肺、角膜、腎臓、と使える臓器はすべて移植のために摘出されるらしい。

フランスの親戚の一人、私は知らない人だったが、40代の男性が病気か事故で急死したとき、本人の遺志だったのか、すべて使える臓器は移植のために、と遺言をしていたらしい。

とても勇敢だ、と従妹などが称賛していた。父の火葬にはあんなに拒否の様子をみせていたのに、臓器を提供することについては拒否反応がなかった。

輸血までは否定しないけれど、臓器移植まで治療といえるのか、というのが今の考えなのだが。

もう年齢で献血も拒否されるけれど、臓器の寄付はできるのだろうか。自分の考えとは別に、どうせ散骨、それもどこかの海に、と形が残らないことを希望しているのだから、ドナーカードにサインをしておくか、と考えてしまった。



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