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脱獄ってわりに合うか

だtようやく逃走していた受刑者がつかまった。逃走後23日目だそうだ。よくもこんな日数を逃げていたものだ。

今朝の朝日新聞を読んでいると、言葉がやわらかいことに気づく。たとえば脱獄ということばはない。そもそもが牢獄に収監されていたわけではない。松山刑務所大井造船作業場から逃走したのであって、脱獄というようなものではないという。

「刑務所での人間関係が嫌になった」というのが動機らしいのだが、逃走して、逃げ切れるとでも思ったのだろうか。日本の警察力からいえば、いつかは捕まるはずだ。そうなると、刑はもっと重くなるのは自明の理である。
平尾君はそれを承知の上だったのだろうか。

個人での刑務所破りはその後がむずかしい。バックアップをしてくれる人がどうしても必要だ。
脱獄の成功例を思い出してみた。犯罪や受刑者といったことに詳しくないので、いわゆる有名な例だけれど、私が知っている(映画でみて)ので印象に残っているのは「パピヨン」である。これはフランスの話だけれど、アメリカの映画だったと記憶している。

フランスで重罪を犯した犯罪者は、南アメリカにある仏領ギアナに送られる。そして離れ島につくられた刑務所に収容されるのだ。パピヨンというあだ名の受刑者、何度も何度も脱獄を試み、最期には成功して、フランスへもどり、名をかえて命をまっとうしたのだと記憶している。
彼の場合、支援団体がいたのかどうか、記憶にないが、ある程度の支援はうけられたのだろう。

アメリカではサンフランシスコ湾にある脱獄不能といわれた刑務所から数名が脱獄したことも映画になっている。

内容はほとんど記憶にないけれど、昔住んでいたマルセイユの刑務所からも脱走があったし、フランスではパリのサンテ刑務所などからのヘリコプターを利用した組織的脱出なども思い出す。

平尾君の場合、本当に一人きりでの脱走だけれど、この23日間、何を考えていたのだろう。成功の暁は何をしたかったのだろう。

広島にいかず、東京にいったのだったら、もっと見つかりづらかったのではなかろうか。

そうだ、モンテクリスト伯も危険な脱獄を試みたのだ、とだんだん歴史的な例にまで思いがとんでしまった。

TVBこれはtout va bienというフランス語の略語だが、フランスのもう亡くなった知人が、ドイツ軍の捕虜となって収容されていたとき、脱走に成功して、家族に書き送ったか、知らせたことばだとか。

暇にまかせていろんなことを考えてしまう。
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