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純愛に泣いた(「ある愛の詩」を見て)

今、テレビではイギリスのロイヤルウェディング、実況放送中だ。ハリー王子とメーガンさん、このお二人も純愛なのかもしれないが、先日、BSで放送された「ある愛の詩」にはまた泣いてしまった。

1970年制作のこの映画、もう何度もみている。最初にみたときは、もう涙、涙で瞼がはれてしまった。
数日前、テレビで放送されることを番組表でみたとき、またか、と思い、もう見なくてもいい、もう見飽きた、などと思ったのだが、その日は体調が悪く、あいにくと庭仕事に出る気分ではなかったので、テレビを見ながらの休養日、仕方なくみていた。

最初にこの映画をみたときは、設定された主役たちと同年代、自分もこんな愛を経験できるかも、と思ったりした。
アメリカのアイヴィーリーグの大学に留学すれば、こういうめぐり逢いに恵まれ、ラブロマンスのチャンスもあるのか、と思い込んだものだった。

もちろん、こういうのは映画、作られた話であることは承知なのだが、まだ夢見る余地も残した年代、もしかしたら、という気持ちになるのだった。

この設定自体、財閥の跡継ぎ、イタリア移民の娘、といった組み合わせだからドラマになる。これが貧乏人同志だったら、みじめな話になって、ピーナツバターを塗ったパンの昼ご飯も、現実味がありすぎて、おいしそうにはみえない。

階級の違い、というにはアメリカらしくないかもしれないが、現実、こういう設定は多い。これが70年の時代であっても、昔からある、身分違いの恋物語を彷彿させるものだ。

アメリカに留学しなくても、もしかしたら、日本の、東京ででも、こういうめぐり逢いがありはしないか、と、こちらは貧しいサイドだから、金持ちの、つまりは玉の輿などといわれる結婚の可能性を考えながら、それでも、最期に死が二人をわかつシーンでは、変にあまりの幸せは長続きしないものだ、ということの教訓も得たものだ。

それからうん十年、それでも泣いた。愛の話で泣けるというのはまだいいものだ。

テレビでは二人が指輪の交換をしている。これが同じ宗教だからいいのだろうが、もし違ったら、どうなるのだろう。結婚にいたることはできないのだろう。
愛をつらぬくのは難しい。

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