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危機管理ができない

台風19号、超大型とやら、まだ本体が来る前に、大雨での被害が広域に出ている。

わが村も、午後3時前に全村を対象に、避難指示から勧告へとアップした。避難所もたくさん開設されている。

私は自宅に残っている。というのも、避難所へ移動するより、自宅に残っていたほうが、雨の場合には安全、と判断していることがある。
しかし、これが風となると、とても不安だ。この20年以上、この村には本格的な台風は襲来しなかった。だから、とても油断している。

大風が吹けば、15号で被害を受けた千葉県のようになる可能性はとても高い。倒木は道路を寸断するだろうし、この地方の山林での倒木は、送電線を遮断したり、電線に枝が絡んだりしての停電は常に頭の中にある。

台風のみならず、地震に噴火、いろんな災害が多発しているにもかかわらず、私に危機管理の意識が薄いのはどうしてだろう。ないわけではない。しかし、薄い。
これはアフリカのある国に住んでいたときにも思ったことだ。

内乱がおこり、ドンパチの音も聞こえる家の中で、つれあいは仕事場に出かけ、私は一人、サロンの真ん中に座って、なにをすればいいか、一生懸命に考えていた。窓や壁の近くにはいないほうがいい、というのはわかる。だからサロンの真ん中にいるのだが、そこにじっとしているのが間が持たない、
そうだ、頭を保護しなければ、といって寝室に行き、頭巾になりそうなものを探すのだがみつからない。昼ご飯の準備を、とコックを探すと、彼は台所のドアのところで、ガードマンとおしゃべり中だ。

飲料水はあるか、非常食はあるか、チェックはするが、それで足りるのかどうか、つれあいと二人だけならある一定期間は大丈夫だろうが、使用人の分も確保すべきなのか、我が家に避難してくる人がいる可能性についてなど、つれあいに聞かなければならない。
そんなことに気持ちは向くのだが、解決策はみつからず、家の中をうろうろするばかりだ。

結局、今でも生きているのだから、どうにかなったのだが、どうしてあんなにうろうろし、映画のヒロインのように、きっぱり、しゃんとできなかったのだろう。

さあ、我が家の危機管理、停電対策はできていない。
懐中電灯はあっても、電池を長く交換していないとか、どうやればあかりが付くのか、わからないのもある。
携帯用のラジオはない。ここは電波が入りにくいところで、以前、買ったものの、使わないまま、捨ててしまったようだ。

飲料水くらいはあるけれど、生活用となると、一応、風呂のお湯を流さないで残している。

ズックは寝室に運び込んだ。服装はラフだけれど、外に出られるものにしている。
ハンドバッグは手元に、その中には車と自宅ドアのかぎも入れている。

これで十分か不十分か、きっと不十分なのだろうな。まだ亀の甲程度しか知恵がついてない。
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臓器提供への迷い

毎年、国民健康保険被保険者証を受け取る。その裏面には、臓器の提供について、1)脳死および心臓停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します、2)心臓が停止した死後に限り、移植のために臓器を提供します、3)臓器を提供しません、という記載がある。

私はずいぶん以前には臓器移植肯定派で、こういった記載が始まる前から、なんらかの形で臓器移植の意思表示をしたいと考えていた。
献血はずっと実行していて、日赤本社が近いこともあって、昼休みに献血のために通ったりしていた。

しかし、長い年月がたち、狂牛病のことから、ヨーロッパ滞在経験者の献血が拒否されるとか、年齢のこともあって、もう臓器提供の年齢でもあるまいと、この保険証になっても記載をしていなかった。

しかし、つれあいが亡くなり、自分の死というものが身近に感じられるようになってきた。
その時、臓器提供をすることを再検討しようか、と考えはじめたのだ。

身近に献体をされた人もいる。しかし、献体はプログラムには入らない。
臓器提供は提供者が何歳くらいまで受け付けられるのだろう。

眼科の先生に、正直に年齢を告げて聞いた。先生いわく、年齢にはこだわらないとのこと。
眼の場合には、脳死段階ではなく、心臓がとまった、いわゆる通常の死後でかまわないのです、と言われる。ご家族のご意見も確認しつつ、と言われるが、そのご家族がいないから、提供ということも考えるのだ。

つれあいが亡くなった時、解剖もなく、すんなりと自宅へひきとった。病中は苦しんだけれど、死に顔は穏やかに、彼らしい顔になっていた。
傷つけることなく、お骨となったことにほっとした。

しかし、私の場合はどうだろう。すべての臓器(心臓、肺、肝臓、すい臓、小腸、眼球)を提供しようと、何もしまいと、私の後始末をしてくれるはずの弟は気にはしないだろう。
するかもしれないが、故人の希望です、と医療サイドが言えば、それを受け入れるだろう。

臓器は新鮮なうちに摘出されるのだから、葬儀が大幅に遅れるということもないはずだ。

持病というほどの病気もちでもなく、だいたい健康で年齢を重ねたこの体、提供できるものがあればお役にたちたい。

ただ、老化、劣化した臓器でもいいものかどうか、これをはっきり知りたいと思っている。
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老眼は治りません

今日は意を決して、眼科にかかった。
車で1時間ほどのところにある地域基幹の病院である。眼科は木、金、土開いている。

眼科にかかるのは制約がある。眼底検査のための目薬は、ある一定の時間、視力の妨げとなる。帰りの運転ができなくなるおそれがある。

どの診療科も混んでいるのだが、眼科は特に混んでいる。老人科といってもいいくらい、高齢者が多いのも事実だ。

とうとう私もその一員だ。診療前に看護婦さんの問診がある。相当前に受診したときのカルテもあったようだ。そういえば、まだつれあいが生存中、彼はしょっちゅう眼科通いをしたのだが、一度、私も受診して、帰路の運転のために、たいぶ病院内ですごしたことがあった、と思い出す。

急速に視力が落ちていること、光の陰影についていけないこと、動体視力の低下、白内障の可能性、などと受診の理由を述べたてる。

眼科医は女性であった。視力検査などは、あらかじめ、看護婦さんによってすませている。
昏く照明を落とした診療室、眼科独特だ。

結論は、老眼が進行している、ということだ。つまりメガネがあわなくなっている。今使っているメガネの度を調べてくれたが、現在の私の眼には、ほとんど役立たずなのだとか。
老眼はなおりようがありませんから、それに適合するメガネで矯正なさってください、白内障は今のところ、手術の要なしです、という診断だ。

レンズを使えば、1,0の視力はありますから、いい状態の方ですよ、と言われて、昔は裸眼で1,5ありました、というと、昔には戻れませんからね、もともと遠視のかたは老眼になりやすいし。全くその通りなのだろう。

白内障でないことはまだよかったのかもしれない。

先生のお名前をみて思い出した。亡くなったつれあいがかかっていた先生だ。もしかして、3年前くらいまでかかっていた患者でこういうものがいたか、ご記憶にありませんか?と問うてみる。
ああ、この頃はみえませんね、というお返事。覚えていらした。

亡くなりました、というと、そこにいた看護婦さんもそろって礼をされる。おつらいことでしたね、という言葉を聞いて、診察室を後にしたが、薬のせいではない涙があふれてきた。

老いに直面するのはなかなか難しいものだが、未知の道、歩んでいかなければならない。
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やっぱり多い外国人労働者

今回の草津温泉行で、発見したことがある。それは外国人労働者の存在だ。

過疎のわが村にも、季節的な外国人労働者はいる。たとえば、キャベツの収穫については、中国人の力をかりている。
しかし、都会ではコンビニが外国人不在では成り立たない、というけれど、わが村のコンビニは、日本人だけでまわっているようなので、別に外国人の労働力は必要としていないのだと解釈していた。

草津で宿泊したホテルは、老舗の大型ホテルであった。フロントは応対した人が日本人であったため、普通に日本人スタッフばかりだろうと解釈した。
しかし、レストランにいけば、90%のスタッフが外国人のようである。何国人であるのか、労働資格があるのか、研修生なのか、アルバイトなのか、それはわからない。

しかし、テーブルを指定する人、案内する人、飲み物の注文を聞きに来る人、皆さん、日本語にアクセントがある。

ああ、こういう風に外国人に頼っているのだ、と実感する。ホテルといったサービス産業は、人手というのはどうしても必要だ。
皆さん、忙しく働いていらっしゃるので、余計な質問は避ける。

彼らがどういう資格で働いているのか、研修生とすれば、それなりの研修を受けられているのだろうか。

彼らに日本人の職場が奪われている、ということはあるのだろうか。
わが村は夫婦共働きというのが多い。ホテルなどで働いている人も多い。送迎車で往復する人たちが、コンビニの駐車場に集まっている風景は目に慣れている。

こういった労働形態がもう日常化しているとしても、正常かどうか、それは時間をかけての判断になるのだろう。

こうして、旅行などで生活の場から離れると、現実の1面をみることができるのだ。
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Velours du Kasai 草ビロード

屋5-6日の週末、北軽井沢クラフトフェアなるものが開催された。これは毎年10月に行われている。それに参加したショップの一つに、アマゾン屋というものがあり、このお店はペルーの民芸、泥染めの製品を取り扱っている。

話題はそれではない。アマゾン屋の女主人は親しい知人なのだが、我が家にはアフリカの民芸品がある、と話したのだ。テーブルセンターにするような、ちょっと厚めのものだけど、我が家ではちょっと使いづらくて、しまったままだ、と話した。
すると、彼女、それって草ビロードじゃありませんか?という。初めて耳にする言葉だった。

携帯で検索すると、(以下引用)「ショワ族が生み出した幾何学模様の刺繍布。ラフィア椰子の若葉を干して裂いた繊維で男性が平織りの生地を織り、その後女性が刺繍で幾何学模様を描き出す草ビロード。無限ともいわれる草ビロードのバリエーションの豊富さはこの布をさらに魅力的にしています」とある。

初めて知ったことばだ。アフリカ布、民族布、クバ王国の布といった表現もある。

クバという言葉でフランスの辞書(Dictionnaire de l'Afrique)で調べてみる。草ビロードに相当する言葉は、velours du Kasaiと載っていた。
昔のザイール、現在のコンゴ民主共和国の東カサイ地方で作られる民族布なのだ。

この地方には、まだMatwoon王朝が存在するのだとか。そういえば、記憶をたどると、我が家にある布は、王様から賜ったもののような気がする。

キンシャサに住んでいるとき、スペイン人のお宅での昼食会で、立派な服装のコンゴ人の男性にお目にかかった。隣席に座ったので、どうお呼びすればよろしいでしょうか?と問うと、Sa Majesteと仰せになる。つまり陛下とお呼びせよ、ということなのだ。
ホストもホステスもそう彼のことを呼んでいるので、私もコンゴは共和国なのに、などと思いながら、陛下、と呼んで会話をすすめた。

この陛下、ある日、突然我が家へみえ、スペイン人の家での昼食会に、あなたへのギフトを持参していなかったから、とこの布をいただいたような記憶がある。

ご下賜品なのだ。あだやおろそかにしてはいけなかった。

ビロードと表現するけれど、どちらかといえば、軽めの絨毯のような風合いである。男性が平織りで女性が刺繍、と共同作業というのはいい。
きっちりした幾何学模様もずっと以前からの模様なのだろうか。

1枚を織るのに、どのくらいの時間が必要なのだろう。今頃になって好奇心が生まれる。
無知がゆえに、アフリカの文化を滞在中に理解できないままだった。ラフィア椰子というのも実感できない。

民芸品は奥深い。
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OG旅行の楽しさ

先日、元職場を共にする同性の友人4人で1泊の旅行をした。
旅行といっても、私にとっては、とても近場の温泉に、残る3人が来てくれたのだ。

職場を共にしたといっても、同期ではない。ただ、ある一時期を共にした、というだけ。それも当時は一人は顔もしらなかった。
アルバイト勤務で、最短の一人は、3か月の試用期間も終わることなく、職場の男性に口説かれて、寿退職となり、もう一人はやはり1年程度の勤務で、彼女の働く職場の男性と結婚した。

働く部屋も違い、机を並べてというわけではなかったので、こうして50年後までお付き合いするとは思いもよらぬことであった。
何か人生には縁がある。そんな縁でつながって、あるときから毎年会うことになったのだ。

旅行会は最初はドンと海外旅行で始まった。なんで話がまとまったのやら、今では誰も説明できないのだが、あるとき、バリ島へ行こうということになり、たちまち実行に移ったのだ。
その旅が楽しかった。それから、毎年の国内温泉旅行へと結びついたのだ。

といってもまだ3回である。四万温泉、伊香保温泉、そして今回の草津温泉と、群馬の温泉を訪ねる旅行をしている。

旅行をするのは4人がいいという。もちろん2人、3人、という組み合わせもあるのだろうが、我々は4人、どうも3銃士プラスダルタニャンみたいな組み合わせになっている。ダルタニャンがだれであるか、それはその時々で異なるのだが、現地参加の私ということも考えられる。

3人だと2対1に分裂する可能性があるけれど、4人であれば2対2、というふうに均衡がとれるのだそうだ。

この年齢になると、そう自己主張はしない。折り合いをつけることも知っている。だれかが何かを提案すれば、だいたいその提案は受け入れられる。

今回の提案のメインは、宿、交通手段、昼ごはん、宿にはいるまでの時間つぶしなどであった。
宿は今回、4人が同室で、ということで選んだが、いいような、わるいような、であった。
というのは、4人同室ではあったが、ベッド2、和室にお布団2組という構成では、だれもがベッドを希望。お布団組の不満が残った。

また4人に1つのトイレというのはしんどいものがあった。一人だけが配偶者との2人ぐらしだが、ほかの3人は一人暮らしである。自由自在にトイレを使用している。ところが4人で使うとなると、入るタイミング、あるいはトイレ滞在時間、残り香、いろいろ気をつかう。

そのうち、みんな個室で泊まることになるかしら?と思わず言い出す人もいた。

西の河原露天風呂にはいった。大きな露天風呂だ。ここはただつかるだけ、洗い場なのはない。
ひたすらつかるだけだ。幸い、お天気のいい午後だった。皆さん、行楽中なのだろう。そんなに人はいない。広いけれど、泳ぐことはできない。ひたすらつかっている。

男性と女性に分けられていて、人も少ないとなれば、立って歩いても、脚を振り上げても、きままにできるのだが、ただおとなしく坐っている。
見上げれば、青い空に松林、まだ紅葉には早い。このまま夜までつかっていようか、と思うけれど、湯に飽きる。30分が限界だ。これで途中で体を洗うといった動作が伴えば、1時間はすごせるだろうが。

50メータープールより大きいだろうか?大きいのだけれど、お湯の温度はだいたい一定している。表面も底も温度はさして変わらない。滝で落ちているところ、あるいは湯口から噴き出しているところは、少しは熱い部分もあるけれど、すぐに希釈されているのか、熱い湯を求めている人も、そう熱くないわ、と言っている。それかといって、ぬるすぎもせず、この適温を維持する方法はなんだろう。我が家のお風呂はすぐに冷めていくのに、とうらやましくなる。


温泉とおしゃべりだけで満足するOG、今回も楽しく終了した。
また来年10月に、と言いながら、ふと、今回限りという日がくることもありうることに気づく。
旅行会社の最低3人催行とか2人催行ということはありうるだろうか。

OG仲間との旅行の楽しさ、学校仲間とはまた違った味がある。来年は近場の外国でも提案してみるか。

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