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戴冠式を思い出す

10月22日に行われた即位にかかわる儀式は、欧州の王室などでの王位継承時に行われる戴冠式に相当するものだろう。
これで正式に126代目の天皇となられたのだ。

こういった儀式に詳しいわけではないが、戴冠式などの言葉から思い出したことなど、書き連ねてみる。

アフリカにいたとき、ある場所でお目にかかった王様との会話で、日本は125代目の天皇、つまりは皇帝が元首だ、と話した。日本では象徴とされるが、外国では元首と言わなければ通じない。
そうすると、その王様いわく、私は(朕とは仰せにならなかった、というよりフランス語ではjeとの表現だった)200代(おおよそ)目の王である、と。
そして、その数日後、我が家に突然お見えになり、その証拠として歴代の王様の系図が記載された書籍をみせてくださった。

年数的には日本の方がずっとさかのぼるわけで、歴史的な意味も異なると思うのだが、アフリカの歴史にうとかったので、王様の説明を謹聴したのだった。

戴冠式となれば、私が思い出すのは、ナポレオン皇帝の戴冠式の絵である。彼は王の称号ではなく、皇帝の呼び名を選んだし、当時は王権神授説というのか、神の意思によって王になる、という考え方であったのを、自分の実力でこの地位を得たと、ローマから呼び寄せた法王の手から戴冠するのではなく、自分でかぶり、皇妃ジョゼフィーヌに対して冠を授ける、という予定外の行動に出た。これはダヴイドの絵画で有名だ。

自分で皇帝の地位を設けたのは、近現代では、アフリカのボカサがいる。彼はフランス軍に入り、第二次大戦にも参加、軍功をあげた。独立した中央アフリカで、フランスの後押しもあって、政治的にも地位を占め、大統領、終身大統領を経て、皇帝となったのだが、その戴冠式は喜劇にも似ていた。

ナポレオンもボカサも、結局、一代でのし上がって、自分で皇帝になったわけで、次代に受け継ぐことなく、自分自身が失墜することになる。

こうしてみると、126代まで続けられた日本というのは、とても特殊な国なのだろう。
万世一系というけれど、血統だけで続いたとも思えない。何がそうさせたのか。
伝統的な儀式をみながら、そんなことを考えていた。


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