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台風から一夜あけて

昨日は朝からずっと台風対策に心身共にかかり切っていたので、夕方、早めの夕食、入浴をすませて、寝室にこもった時には、もう疲労困憊、6時前に寝室にはいったあとの長い事、夜になると、いよいよ本格的に風を伴って豪雨になる、という予報に身構え、心構えをしているはずが消耗しきっていた。

友人たちとのメールのやりとりも、だんだん読むだけになって、とうとう10時くらいには退場になった。そして、ちょっと耳をすませてみると、雨は小降りになり、風が強いばあいに聞こえる、大木の幹のしなりもきこえない。
友人はチャットのなかで、もしかしたら、台風の目のなかに入っているかも、というが、このあとは、どうにでもなれ、と本格的に眠る体制にはいった。

そして今朝、はめ込みの窓のカーテンを閉めていなかったので、朝の明るさがしっかり見える。
ああ、お天気なんだ、台風一過なんだ、とほっとする。
風は強いけれど、空は台風が去ったことをはっきり表している。

寝室のベランダから庭を見下ろすと、別に変化はない。草花、特に花をつけた植物が倒れているのは見えるけれど、それももう季節が終わるころだったのだろう。
8時になるやならないか、玄関のチャイムが鳴る。管理事務所が様子見にきてくれたか?と思えば、それは別荘を建てたときからの村の知人、一人暮らしを心配して様子見に来てくれたのだ。

我が家は被害もなさそう、というと、周囲はそうでもないとのこと。2ブロック先の家は、庭がくぼ地になっているため、池の状態になっているという。
舗装されていない別荘地の道路は、大雨でそぎ取られて、大きな穴ができたり、水路に変化したところもあるという。

本当に雨はすごかった。テレビでもわが村の名前が何度も出たし、レベル5の退避が勧告され、この24時間の降雨量も、箱根の900ミリ越えには及ばないながら、411,5ミリという数値を出したらしい。
雨どいをつけていない我が家は、まるで滝のように、それも軽井沢の名所のように、ずっとカーテン状態になっていた。

今日は出ない方がいいですよ、と知人はアドヴァイスする。彼の家の一帯は、停電しているのだそうだ。
停電、断水、これがこわかったけれど、さいわい、なんの不都合もおきなかった。

そうなると、被害状況をみてまわりたい。まずは別荘地のその池状になった家を見、道路状況を確認し、ほかに新たな被害がないか、調べて回る。
管理事務所は、別荘地内を一巡し、通行不能になった道路に赤いコーンを置いている。

駅の近くのコンビニに電話をする。毎朝、新聞の取り置きをお願いしており、今日はあきらめるか、午後から行くか、などと迷っていたのだ。開店しており、新聞も届いているという。
おそるおそる車を出す。別荘地の真ん中を通る村道は、さしたる被害がなかったけれど、県道にでてからが、各所に小規模ながら土砂崩れが起きている。重機がでて、その土砂を処理しているが、ほんの車1台通れる空間を作ってくれているので、どうにか通っていく。

JRの線路沿いがひどい。線路は盛り土をして作ってあるためか、やたら土砂が道路にでている。
そういえば、北陸新幹線はどうなっているのだろう。車庫となっていたところが水没してしまったとか、長野―東京間は運行するのだろうか。

前橋から前日帰れなかった友人が、お昼すぎに、う回路などを通って、どうにか帰り着きましたが、車で自宅までは入れない、道路に陥没箇所があって、300メートルくらい前までしか通れなかった、とメールで言ってくる。

テレビをみれば、もう幾多の河川が氾濫している。多摩川も氾濫したのだとか。義娘の住むマンションは多摩川沿いにある。無事であればいいけれど。

中学時代あたりの地理の教科書をみるような、日本の河川図がテレビに映し出されている。メインの大きな川、そして支流、信濃川や千曲川が日本海側に流れるのだというのを、この地に住んで学んだ。分水嶺というのも実感した。
水の豊かな国ニッポン、このありがたさは外国にいってよくわかったけれど、こういう災害のもとでもあるのは忘れてはいけない。

村の稲田も水につかっていた。もう刈り取りが終わって、脱穀をすませたところはいい。しかし、刈り取ったあと干していたところ、この週末に刈り取りをしようとしていたところ、この豪雨でどうなったのだろう。11月初めにあるという集落の収穫祭を楽しみにしていたのだが。

災害は本当にいつ起きるかわからない。
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