SSブログ

冬到来

立冬が過ぎて、今更の冬到来でもないけれど、今朝の雪をみると、とうとう冬がきてしまった、感がする。
天気番組では、やたら、どこそこで初氷、初霜、などはしゃいでいるけれど、我が家ではとっくの昔に初霜も初氷も体験済みだ。
もちろん、初霜、屋根や庭が真っ白になっている景色をみると、ああ、今朝は寒いんだ、と思うし、初氷、これを見るのは、野鳥のための水飲み容器にどれだけの氷が張っているか、で判断するのだが、表面だけの氷でも、マイナスの気温であったことを知らされる。
水道管の凍結予防の装置が赤くなっているのをみても、気温の低さを認識する。

しかし、冬を意識するのはやっぱり雪だ。山に3度降雪があれば、里にも降る、といろんな地方でもいい、我々の場合は浅間山を意識するのだが、初冠雪から何度降ったのやら、今年は回数を確認しなかった。

そして今朝、積もり方はまだ優しいものだが、たしかに積雪だった。初めての積雪、運転に緊張する。
下りのカーブ、日陰、そんなところでスピードは出る。セカンドに落としても、やっぱりスピードがこわい。ゆっくりブレーキを踏んで減速を試みる。

これからが冬だ。

冬来たりなば春遠からじ、という言葉があるけれど、この言葉は今は使えない。春なんてまだ宇宙の果てくらい遠い。
春のことばを使える、使おうという気持ちになるのは、年が改まってからか、せめて冬至のあと、日が少しずつでも長くなっていくようになってからだ。

もちろん1月2月の寒さは厳しいものがあるし、降雪、凍結、条件は悪くなるばかりだが、日の長さに救いを感じる。

今年の冬は、野鳥がこない。昨年の今頃は、朝起きて、寝室の雨戸をあけると、そこにヤマガラが待っている。エサがほしくて、首をかしげてチュンチュンというのか、おねだりの鳴き声だ。
とりあえず、1回1粒のひまわりの種を与え、それを2、3回すませて階下に降りる。
階下でも雨戸をあけると、もうそこにそのヤマガラが待っている。

他の野鳥は、エサ台周辺やら、ベランダのまわりを飛び回っているが、一羽だけがひたすら私の手から餌を食べるのだった。

そんな健気なヤマガラが今年はいない。エサ台にエサをおけば群がってくるけれど、手から食べようとするヤマガラがいない。

きっと去年のヤマガラはもういないんですよ、と周囲の人は言う。そうなのだろう、と思う。

けれど、昨年のあのヤマガラはどうしてあんなに慣れていたのだろう。
ヤマガラとの交流なくして、この冬を乗り越えられるのか、とうとう落ち葉掃除ができないまま降雪となった庭をみている。
nice!(0)  コメント(0) 

ccTLD:Country Code Top Level Domain

11月23日の新聞に見開きで「ドメイン名は世界のインターネット住所!!」という見出しで、JPRS(Japan Registry Services)というところからの広告が載っていた。
「国別トップレベルドメイン」を網羅しているようだ。全部で251あるという。

国の数はそんなにないから、国と地域ということになるだろう。
その昔、小学生のころだから大昔になるけれど、国名と首都名を表にしてトイレに張り、沈思黙考の時間をそんなものを覚える時間に変えていた地理好きの私としては、新しいドメイン名というのが興味深い。

jpは日ごろ使っているから、日本のドメイン名とすぐにわかるし、フランスがfrというのもわかりやすい。
日本のドメイン名でもわかるように、アルファベットの最初の二文字というわけでもない。とはいえ、国名から推察されるドメイン名は多い。

一番面白いのは南極、.aqなのだそうだ。今のところ、南極にメイルを打ったことはない。
ここに表示してあるもので251、そのうちのいくつ使っているのだろう。
最初の国は、.acでアセンション島、最期は.zwでジンバブエになっている。

新聞見開きだから、これをトイレに貼るのも大変だ。右端から左端までみわたすにはメガネも必要だ。

そのうち、小学校の授業で、地理の時間に、国名、首都、国旗、ドメイン名、と覚えさせられることになるのだろうか。
国際的になるのもこれからは大変だ。

そんなことを言いながら、ドメイン名が何のために必要なのか、ちゃんと理解できないでいる。

nice!(0)  コメント(0) 

言葉の小さな疑問

先日からの桜を見る会問題について、国会答弁を聞いていて、おや、官僚の答弁だな、と思ったフレーズがあった。
それは、大塚内閣府官房長の答弁で、「招待者名簿は会の終了をもって遅滞なく廃棄する」の「遅滞なく」という言い方である。

大学を卒業して、社会人となったころである。官僚となった友人が、なにかの会話の折に次のような話をした。
「直ちに」、「速やかに」、「遅滞なく」という表現のなかで、最も重いものはなにか、もっともはやくにというのはなにか、というのである。
直ちにならat once, あるいはimmediately, right awayなのか、速やかにだとspeedily かsoonを思うけれど、遅滞なくだとwithout delayなのかな?遅れなければいいんでしょ、これは一番ゆっくりだよね、などと返事をすると、いやいや、遅滞なくが一番重要なんですよ、これには罰則が伴うんです、などと、なにかの例をひいて説明してくれた。

その時、文章を書くのが趣味だった私は、文学的表現のほかに、法律上の規制のある表現法というのが存在することを知ったのだ。
後日であるが、この表現例をほかの男性友人に話したところ、そんなの常識ですよ、と軽く言われ、社会人でも働く場所によって常識が違うことを実感したのだった。

そんな記憶があるために、「遅滞なく」という表現が極めて印象に残っていたのだが、内閣官房長というおえらい人が、「遅滞なく廃棄する」というのだから、やっぱり差し障りがある前に急いで廃棄したのだな、と答弁に納得(廃棄した行為についてではない)したのである。


この2日は、ローマ教皇についてである。まず、呼び方を法王から教皇に変える、ということが、新聞にものり、テレビでも報じられたのが、20日、21日のことだった。
これは政府が呼び方を「法王」から「教皇」に変更するという発表したことによる。その理由について外務省は、カトリックの関係者をはじめ一般的に教皇を用いる例が多いことと、法王が国家元首を務めるバチカン側に、教皇という表現について問題がないことが確認できたためだと説明していう、とのことだ。(朝日新聞11月21日より)

テレビでも教皇と呼んでそれはいいのだが、ローマ教皇フランシスコと何か、違和感のある呼び方をしている。フランシスコのあとに何も敬称をつけないのだ。フランシスコ教皇のほうがよかろうに、などと思いながら、さて、宗教人の敬称はなんだっけ、と思った。一度だけ、どこかのテレビで台下を使っていたが、猊下の表現があったのでは?と思い出す。

電子辞書で簡単に調べると、台下は貴人の敬称、猊下は高僧の敬称、各宗の管長の敬称などとあり、英語ではHIs Majesty, HIs Holiness, His Grace, His Eminenceなどが当てられるようだ。
これは国際的な儀典の問題になるけれど、こういったかしこまった呼び方より、このフランシス教皇は、我々カトリック教徒にとってはパパ様と呼びかけるのが一番あっている。

これは言葉の問題ではないけれど、雅子皇后の馬アレルギー、いつからでていらっしゃるのだろう。
何年前になるか、皇太子妃時代、適応障害の病名がでたあとであったか、たしか大変重要な賓客の宮中での昼食会を欠席されたけれど、その時間のころ、宮内庁で乗馬をしていらした、ということをきいたことがある。病気の治療にいい、という医者の勧めで乗馬をなさっていた、ということだったが、その当時は馬アレルギーはなかったのか、と思い出した次第だ。

歳をとると、若いころ仕入れた知識や記憶が断片的によみがえって、それがまた断片的であるがゆえに、正しいやら間違っているやら不確定であることをとりあえず記しておく。
nice!(0)  コメント(0) 

Gilet jauneジレジョーヌ活動再開

先週のF2では、地方のとあるところで細々と、というのか、地道に、というのか、昨年11月にこの運動が始まった土地で、1年を経た現在も活動を続けている人々を取材していた。
そうか、1年たつのか、と思い出す。

燃料税の新設かアップを政府が打ち出した。その一部は、環境政策に充てられるはずで、名目としては妥当なものだったが、燃料価格の少しのアップも生活に響く運輸業に就いている人々が反対運動を始めた。

そのシンボルは黄色のベストで、この運動は、たちまちのうちに全国へ広がり、また首都パリで、毎週末、地方から反対運動をしている人々が集まって、大がかりな行進をし、それが過激化して、パリの中心地での破壊活動にもなったのだ。
このジレジョーヌの行動がこれからどうなっていくのか、予測はつかないようだ。

アラブ諸国、南アメリカ、世界の各地でストライキやデモなど、またそれが過激化して暴動になったりしているようだが、フランスでもこのまま運動が拡大し、暴力化するのだろうか。

平和裡に終わってほしい2019年、まだ予断を許さない。

それは年を越しても続いていて、いつまで続くか、と心配したものである。
まるで、現在の香港に似ていた。空港までの道が閉鎖されて、飛べなくなった飛行機、空港までたどりつけない利用者、ここまでくると日本だと暴動と言われてしまう、と言いながら、結構、支持する市民もいることが明らかにもなった。

1周年の取材、報道のあと、この土曜日に、rい
nice!(0)  コメント(0) 

パスポートの有効期限

今日、新しいパスポートの申請をした。現在所持しているパスポート、来年の3月までは有効だ。
今年もあと1カ月半、今年と来年早々には旅行の計画もないことだし、来年になってゆっくり手続きすればいいや、と思っていたのだ。

ところが、やっぱり何かは起きる。旅行するかもしれない?という可能性がでてきた。
そこで気になるのが、パスポートの有効期限だ。どの国もそうなのか、というのはわからないが、入国時にパスポートの有効期間が3か月以上あること、といった注意書きをときたま目にしていた。

旅行予定の国にもその規定が適用されているのかどうか、旅行代理店に聞いてみる。別にその代理店を利用しての旅行ではないので、ちょっと申し訳ないのだが。気持ちよく調べてくれた。
適用されます、出国予定はいつですか?などと聞かれ、はっきり決まったわけではないけれど、というと、気を付けてくださいね、というご注意をいただく。

今、持っているパスポートは、亡きつれあいと一緒に県庁に付属しているパスポートセンターまで出かけて得たものだ。10年間の前半は、つれあいも海外旅行をする元気もあって、カンボジアやベトナム、フランスへも行った。来年には失効するのだから、どうせ切り替えは必要と思っても、つれあいとの共通する部分がなくなる、と思うと、未練はでてくる。

今では、市町村の役場で取得できる。それも申請から発行まで1週間ですむという。なんという進歩だろう。
役場の建物の外に、証明写真をとれる自動の装置がある。これも進歩の一つだ。
少し、お化粧をして顔を整え、服装もきちんとしたものに、と思いながらも、実態と違った写真で疑われるより、現実をそのままに撮影したほうが、と思い直す。

10年のパスポートだと、最初の1年目と最後の10年目の差たるや、大変なものだ。2代前のパスポートの写真は、これが私か、と思うほど、きれいに映っていた。たしか、有楽町の交通会館のパスポートセンターわきの写真館で撮ったものだ。修正はされていないけど。
そのパスポートを有効期限の最期のころに、とある外国の入国手続きで出したところ、係員がパスポートを回している。どうしたのですか?と聞くと、写真がきれいすぎる、というのだ。
自分でもわかっていた。10年前はまだ輝き?があったけれど、今では身なりも何もかもがしょぼくれている。その差異たるや、大変なものだと。

そんな経験から、しみもそばかすも、しわも、髪の乱れも、訂正することなく、普段着のまま撮影とした。

村役場の担当者は、10年になさいますか?5年になさいますか?と問う。今の健康状態からいけば、5年で十分だろうが、もし6年も可能なばあい、パスポートがないから、という理由で海外行きをあきらめるのもつまらない、それかといって、5年後にちゃんと申請できる知力、体力が残っているか、疑問だ。だから10年で申し込む。

そういえば、亡くなった母は、80歳くらいまで海外に出かけたけれど、彼女はパスポートの申請をどこでしていたのだろう。個人の旅行ばかりだったから、旅行代理店に頼むこともしていなかったはずだ。最後の旅行は、退院後、一人にできないと、中東にいた姉が、引き取った旅行だった。

しかし、新しいパスポート、どんな国のスタンプがおされるのか、とっても楽しみではある。
nice!(0)  コメント(0) 

園遊会と観桜会

今は「桜を見る会」と呼ぶらしい。以前はたしか、「観桜会」と呼んでいたはずだ。
園遊会は天皇・皇后両陛下の主催、観桜会は首相の主催である。

勝手な解釈だが、以前の観桜会と呼んでいた時代は、園遊会に呼ばれない人たちを救うのが観桜会、だと解釈していた。
それなりに各界の主だった人たちが出席をし、メディアが取り扱うのもそんな人たちだったからだ。

ところが近年、2級、3級のタレントがごっそり出て、首相を囲んできゃあきゃあ言っている場面ばかりがでてくるのが観桜会、いや桜を見る会と思わざるを得なくなった。
そしてタレントたちに囲まれる前に、別の場所で、山口県からの人たちと記念撮影をすませている、という首相をメディアはとらえていた。

もうずっと前から、首相の選挙区の人たちの特別扱いは周知の事実だったのに、ことさら、初めて知ったというジャーナリストもいる。なんとうぶな人たちだろう。

観桜会といえば、新宿御苑で、桜は終わって、かろうじて遅咲きの八重桜あたりが残っていて、観桜の意味をなさないね、と言っていたものだが、今日、テレビに映っている写真などでは、見事な桜を背景にしている。

園遊会や観桜会に招待される人たちの選抜理由というのは何だろう。

ずいぶん以前のことになるが、義兄が園遊会に招待された。民間の会社社長、経営者団体の役員などもしていたから、そんな功績が認められたのだろうか。
招待状にあるドレスコードに、姉がどうしよう、と相談してきた。

とうとう出席することはできなかったが、つれあいも園遊会に招待された。
それはそれは儀式ばった封筒が届く。それより以前に、出身団体から、このたび園遊会にご招待されますが、お受けになりますか?という問い合わせがある。諾と返事すればこの招待状が届くのだ。
はっきり覚えていないけれど、出欠の返事は、出席・欠席ではなく、参・不参となっていたように思う。

ドレスコードは厳しい。男子はモーニングコート、紋付羽織袴、制服または背広、であり、女子は、デイドレス、白襟紋付または訪問着等、となっている。

桜を見る会は、主催の首相自体が背広だから、特別なドレスコードはなさそうだ。気楽なパーティにすぎない。
それにしても、1万5000人以上も集まるようなパーティ、ありがたみも何もない、と思うのはお招きに与からないから言うのかもしれないが。

園遊会にしても、両陛下とお話できるのはほんの一握り。2000人は招かれるのだがから、その他大勢に分類される人のほうが多いはずだ。
姉に聞いたところ、遠くから皇族ご一同が移動されているのを見ていただけだ、といっていた。

縁なき衆生から言えば、あんまり大げさなことはやってほしくない。


nice!(0)  コメント(0) 

冬支度の買い物をすませて

昨日は軽井沢アウトレット、今日は長野県のユニクロ、と連日、買い物をしている。
まるで、昨日は日本橋、今日は銀座みたいなものね、と冗談を言うが、価格や対象となるモノがおおいに違う。

この買い物は数年定例になっている。アウトレットもユニクロも、丁度バーゲン中なのだ。
どのくらい安くなるのかは知らないが、バーゲンということばで血が騒ぐ。

平日のこともあって、アウトレットはさしたる人出ではなかったが、やっぱり中国人の多さは目立った。
彼らの好みがどこにあるのかわからないのだが、アディダスやアシックスといったスポーツ用品の店には大勢入店していた。
たくさんの靴、スポーツシューズ、スニーカー、なんと呼べば正確なのか知らないが、試着(靴の場合何というのだろう)用の椅子を占拠して、また別の商品を探しにいっている。
すみません、ちょっと場所を開けてください、というと、それは素直にものを動かしてくれたけれど。あらかじめ、他人に気を使うという礼法はなさそうだ。

今日のユニクロでは驚きだ。フリース全盛期である。それにほとんどの品にヒートテックの文字がついている。
数年前まで、フリースはきらいだった。しっかりしたウールが最高、という昔の教えがしっかり身についている。スコットランドやアイルランドなどの北国のウール、カシミア、アルパカ、これらを身に着けることが望ましい冬対策であった。

しかし、それらの製品はとても高価だ。なかなか手にいれられない。
そこにフリースの登場だが、安っぽいと敬遠していた。しかし、そうと言っていられない事情がでてきた。
軽い、安い、洗濯可能、3拍子がそろっている。

昨年の買い物のほとんどがフリース製品になってしまった、というのもむべなるかな、である。
今年も同様だ。かえって、フリースであること、ヒートテックであることを確認して買い物をする。

会計のところでまたもやショックを受けた。なんと呼ぶのだろう。買い物かごにいれた商品を、一つひとつ出さなくても、一挙にすべてをリストアップして、金額が表示されるのだ。
強力なリーダーで、値札についたマークを読み取っていくのだろう。
こんな高性能の機械があって、その代金をカード支払いとしたとき、カードのデータもすべて読み取られているのではないか?と恐怖を感じる。

1000円以下で、生地代、縫製代、販売の費用、どうやって賄っているのやら不思議な、990円という品も買った。

これで冬がきてもこわくない、とは言えないが、一応準備はできたかな?


nice!(0)  コメント(0) 

身の丈ということば

「身の丈」発言が問題、ということを聞き知ったとき、その内容を知らなかったので、「身の丈」という言葉が否定的に扱われているのに、ちょっと違和感を感じた。
というのも、身の丈ということばは気に入っていて、今や、それこそ身の丈にあった生活を、と心掛けているところだからだ。

しかし、話題の発言をフォローすると、決して肯定的なものではなく、どちらかといえば、身の程にあった、と表現を変えてもいいような内容だった。

仕事をやめ、収入も年金だけの生活にはいったとき、なかなかに現役時代の生活を忘れられず、キョーイク、キョウヨウがなくて、それがつまらなくて、悪あがきをして、消耗することばかりで、充実感のない日々を送っていた。
しかし、今は、その「身の丈」を知った生活モデルがようやくできて、少しは心惹かれても、支出が大きなことには参加しない、不要なものを買わない(以前は、いつか役に立つだろうとやたら買ったものだ)、なるべく外出を控え、自宅での生活を充実させる、となった。

広辞苑で調べると、「身の丈」は身の高さ、背丈、身長、とあり、「身の程」は身分、分際、身分相応、とある。
萩生田大臣は、むしろ「身の程」と言われるべきであった。

若いときは、身の程を知りなさい、などと言われると猛反発したものだ。まだ女だから、といった発言も簡単に出てくる時代であったため、身の程を打ち破ってみせる、という気概もあった。
だから、今回の萩生田大臣の発言には猛烈に反発を感じた。残念なことに、いつもよく視聴するBSフジの番組での発言であったということだが、その日の放送は見ていなかった。

大学受験とはもう縁もなく、制度としても関心も持っていなかったけれど、英語の試験のやり方は、不公平さをいくつも持っている。

コンサルタント的な仕事をしていたとき、高校生をかかえる母親から、高校授業料無償化のことで言われたことを思い出す。彼女は貧困がゆえに、高校生の子どもの授業料は免除されていた。すべての高校生が免除されるのはいいことですね、と言うと、かえって不公平さが増します、余裕がなくて塾に通わせられなかった家庭も通わせられるようになるし、最貧困との差がまたでてくるんです、という。

今の世、塾通いはもう常識となっているのだとか。大学まで進学を考えたとき、塾に通っていない生徒のハンディキャップは大きいという。
昔は塾なんてなかったのに、という「昔は」とか、今回の萩生田大臣のように「身の丈」つまりは親の経済力に相応した形で受験勉強を、というのは酷なことだ。

世の中、平等でも、公平でもないことは、社会人になればわかるけれど、学問の公平さは維持していくべきだ。給付型の奨学金を増やすとか、問題は限りなくある。

この英語民間試験の見送りがどういう結果を受験生にもたらすのか、身の丈にこだわらず、勉強に励み、成果を得るように、頑張れよ、受験者諸君!
nice!(0)  コメント(0)