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今が一番幸せ

先日、大阪へと行った。91歳になる”継母”に会うためである。
継母とは呼ぶものの、継母ではない。知人である。

50年前に知り合った。それ以来、付き合いに濃淡はあっても、ずっとお付き合いが続き、実母以上の配慮をしていただいたりで、ついには継母と呼ぶようになったのだ。

卒寿を迎えられたときに、お祝いに伺ったので、2年ぶりの対面である。

足腰が弱られ、外出もままならない、ということを聞いていたので、こちらも高齢者ではあるが、少しでもお手伝いができれば、という心構えであった。

ところが、何も手をだすことはなかった。
家事もほとんど一人でされる。歩くことが大変なので、ゆっくりゆっくりであるが、食事も全部手作り、食器はものすごい量があるなかから、料理に適したものを選んで、後片付けも、これが運動であり、楽しみでもあるのだから、と私が手を出すことを拒まれた。

2日間、おしゃべり三昧である。
はじめて知ったことも多い。恵まれた生まれ、育ち、そして結婚、と満ち足りた生活を過ごされたと思っていたのだが、多難な生活であることもわかった。
生家の経済状態が悪く、養女に出されたこと、夫がわの親戚の反対を押しての結婚、婚家の破産からずっと経済的助力をしてきたこと、姑、小姑、子どもの教育、そして子供が結婚してからの嫁姑の問題、4回のガン手術という健康問題、もう一通りの女の問題は網羅している。

配偶者は25年前に亡くなった。あっという間の死であったという。
病院に泊まり込みで看病したから、思い残すことはないし、あの時だからそれができたと思っている。

そして今、子どもと同居することもなく一人居だけれど、自分の思うように生活できて、今が一番しあわせ、と言われる。

91歳、もちろん健康問題はある。しかし、それをコントロールしながら、24時間、自分の思うようにすごすことができる。

2人の息子がいるけれど、子は頼らない、という。
いろんな問題があって、そういう結論に達したのだろうとは思う。
そして、もう70年、80年と続けてきた短歌の道を究めようとしている。

そんな覚悟、私にはできるだろうか。今でも、くれない病にかかっている。人が訪ねてきてくれない、電話をかけてくれない、手紙をくれない、自分から能動的にやらず、やたら受け身に何もしてくれない、とぼやいてばかりだ。
これからの人生がいつまで続くかわからないけれど、道を究める、というようなものもない。

かといって、今更、何かを求めるのも難しい。範とはしつつ、別のやりかたで、今が一番幸せ、と言える人生をすごしていかなければ。

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