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プレイバック2011・3・11

今日は1日、とても重い気分だった。
朝からフランスの教会で求めたキャンドルをともしていた。火事になってはこわいので、いつもはつけて数分後には消すのだが、今日は午後2時46分を待つ意味でも、つけたままにしていた。

3月11日のことも思い出すが、たられば、でフクシマ原発の爆発さえなければ、これほどの悲劇にならなかったのでは、と思わずにいられない。

3月11日、被害にあわれた人たちは、自分たちがどんな状況にあるか、自分の周囲のことだけしか、わかっていなかったのだ、という事実をあとで知ったけれど、津波にのみこまれそうな人に、テレビのこっち側から、津波よ、気を付けて、とか、もっと上に逃げて、などと叫んでいたことを思い出す。それだけでも、悲劇中の悲劇だったのに。

フクシマの爆発、地震と津波の1日あとか2日あとだったか、前橋の仕事を終えて、帰宅している車の中で聞いたような気がする。
水素爆発、それがどういう意味なのか、ちっとも分からなかった。
危険度は3とか、チェルノブイリ原発事故の時ほど深刻ではない、などというラジオの声に、ならよかった、そこまでいってなければ、どうにかなる、と一人安心したりしていた。

フランス電力の資料を翻訳したことがあって、そのとき、原子力発電所のところで、日本語の技術用語がわからなかったのだが、建屋とか、いろんな簡単な言葉でも、現場で使っている用語を新聞で簡単にみつけることができて、用語集を作れる、などと無責任に思っていた。

無責任といえば、当時の官房長官であったか、枝野氏を思い出す。彼の発言、危険はありません、的な表現に、すっかり安心していた。弁護士でもあるという彼の発言だから、信用していいだろう、と何の根拠もなく思い込んでいた。

彼にしても、原子力発電所の事故など想定外で、東電情報に従って発表していたのかな、と思ったりするけれど、やっぱり無責任だったな、と今では思わざるを得ない。

フクシマから200キロ離れていれば安心だ、など、それも結局はどこまで信をおいてよかったのやら、我が家は安心圏だ、とすっかり思い込んでいたけれど、あとではそうでもなかったことがわかったり。

汚染水のタンクが敷地全体を占め、もう余地がないところまできているらしいのに、原子力発電を危険視しない人たちがいる。
安定した電力が得られる?そんなはずはない。最も安価?フクシマの後始末の費用も考えず?

もう復興税は終わったのだろうか。

安倍首相は、復興は着実にすすんでいる、といった。
秋篠宮はいまだ被災地あるいは避難の地で苦しんでいる人たち、と決して復興が着実ではないことを述べられている。

8年前、東日本と分断されて、いかに日本のライフラインが脆弱であるか、思い知らされたけれど、今では話題にもならない。

明日は、この東日本大震災に隠れてしまっているけれど、長野県栄村で地震が起きた日だ。

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