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「ビルマの竪琴」についてわかったこと(4)

「ビルマの竪琴」の中で歌われた曲はどんなものがあったのだろう。
新潮文庫の本には、付録で楽譜と歌詞が載っている。それらは
*荒城の月 *朧月夜 *巴里の屋根の下 *埴生の宿 *蛍の光 *春爛漫の花の色(寮歌)*秋の月 *からたちの花 *野なかの薔薇 *嗚呼玉杯に花うけて(寮歌) *庭の千草 *故郷の空 *都の空に東風吹きて(寮歌) *あふげば尊し *海ゆかば

これらの歌をみて、日本の歌のほかに、シャンソンあり、スコットランド民謡あり、ドイツの歌あり、と外国の歌が半分くらい占めている。
日本の歌では、旧制高校の寮歌が目立つ。

と分析しても、これらの歌が本当に歌われていたものか、竹山氏の創作なのか、それははっきりしない。
一つ、参考にできるとすれば、後述する予定だが、このうたう部隊に所属していた人で、水島上等兵のモデルなのかも?といわれる中村一雄氏が書いた曲目だが、演奏会をするとき、まずは日本の歌をメドレーで歌い、次にはホスター(フォースター)の曲をよく歌った、ということがあった。ほかにイタリアのカンツォーネ、シャンソンなども適宜、歌っていたそうだ。

ちょっと疑問もある。日本では英語が敵性語として厳しく規制されていた当時、戦場で、敵国の歌を堂々と歌っていられたのだろうか。

しかし、現地にいた中村氏も、外国の歌を歌っていたことを書いているから、歌えていたのだろう。

そんなところに、なぜ埴生の宿がはいって、ふるさと、が含まれていないのか、私には不思議でしょうがないのだが。

野営ばかりの日々ではなかったようだが、いづれにせよ、ピアノやオルガンといった音をとるために必要な楽器がなくて、楽譜もなくて、ド素人の召集兵たちに、複雑な2部なり3部合唱を教えられたものだ。
彼らがどのくらい音楽の素質を持っていたのだろうか。学校で音楽教育を受けた時代でもないだろう。

その音楽性の高さは、こうして小説になるほどだ。

それにしても、竹山氏の小説があまり見事すぎて、私だけではなく、多くのひとたちが、これを実話と思い込んでいた。
だから、と言い訳になるが、ミャンマーの日本人墓地で、水島上等兵のモデルと言われている、とガイドブックにまで記された人のお墓(ではなかった)にお参りしたいと思ったのだ。

モデル説への疑問のいろいろはまた明日。
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