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「ビルマの竪琴」についてわかったこと(3)

まずは「ビルマの竪琴」の荒筋をみてみよう。
舞台はビルマ、中部にあるマンダレーに近いところか、タイに近い山岳地帯あたり。
時は1943年あたりから46年の復員するまで。
主要な登場人物は、小隊長、古参兵、水島上等兵、彼らが属する小隊隊員、

ビルマの山岳地帯に駐留する日本軍、そのなかにうたう部隊があった。戦闘において歌うわけではないが、部隊が平地で作戦まちのときなど、歌うことで士気を養っていた。
そのなかに水島上等兵がいたが、彼は竪琴をよくし、偵察に行くとき、竪琴を持参し、鳴らす音楽によって、敵の部隊がいる、とか、味方が侵攻しても大丈夫だ、というような情報をしらせていた。

戦局は好転せず、結局、部隊は敵(イギリス軍)に降伏する。
その後、玉砕的に戦う日本軍に降伏を説得するため、水島上等兵が派遣される。しかし、激しい戦闘に巻き込まれ、水島上等兵は行方不明になる。

うたう部隊は捕虜収容所にはいる。そこにビルマの僧が現れるが、水島上等兵によく似ている。しかし、その僧は、彼らの呼びかけに答えない。

日本への帰還が決まり、最期の日、収容所に僧が現れる。そして竪琴を奏でるが、それは部隊が得意としていた「埴生の宿」であった。
収容所に出入りする老婆の手を通して、僧からの手紙が届く。やはり水島上等兵であった。
戦闘の地から収容所へと向かう道に、死んだまま放置されている日本兵を弔うため、帰ることはできない、と、ビルマ僧となった水島上等兵は苦悩の告白をする。

というようなことなのだが、これだけであれば、戦争ものなのだが、児童文学であるかをら、ビルマの農民との交流や、一つには、ちょっと余計に感じる、人肉を食べる山岳民族との出会いなどもはいっている。

竹山氏は、ビルマに行ったことはない。情景描写は、大正年間に旅をした台湾の風物(山間部)を参考にしているらしい。どちらも亜熱帯か熱帯に近い風景である。
首狩り族についても、台湾で聞いた話を用いているらしい。

ルポでもないし、ドキュメンタリーでもない、小説なのだから、風景によほどの間違いがない限り、うるさく言うこともない。

ただ、水島上等兵がビルマ僧になったいきさつや、戒律に厳しいビルマ僧が竪琴を弾く、というようなところにはいくらかの違和感を感じる。

また、部隊が愛唱していた歌にしても、日英交流というのは実際にはなかったらしい。第一次大戦クリスマス時にあった英独両軍の交歓の話をもとにした可能性はある、という解説もあった。

歌についてはまた明日。

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