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寄付の在り方、ふるさと納税から

この頃、ふるさと納税について、返礼品やその税の在り方について、議論がにぎやかになっている。


ふるさと納税が始まったのはいつだったろう。始まった時、これはいい制度だと思った。というのは、ふるさとを離れて久しいけれど、ふるさとへの思いは常にあった。

18歳までくらした土地、離れてひさしいにも関わらず、また東京でのくらしの方が長くなったけれど、特別な思いがあるからだ。

早速、ふるさとの市役所に連絡して、やり方を教えてもらった。まだそんなにやりかたもわかっていなかったのだ。
私としては、ふるさとへの感謝の気持ちを示せれば、という気持ちだったので、返礼品などについては考えもしなかった。しかし、市役所からはわざわざ電話があり、返礼品はなにがいいでしょうか、と問い合わせがあった。
そんなことに気をつかわず、全額寄付ということで、と辞退したのだが、事務手続き上、面倒をかけた様子だった。

その後、毎年、ふるさと納税をしていたけれど、そのうち、返礼品の魅力も感じて、食料品ではあったが、送っていただくようになった。

数年前、この制度の落とし穴に気が付いた。現在住んでいるのは、だんだん人口減が進んでいる村である。ふるさとは、一応、市として中規模で、産業基盤もある。一方、現住所の村のほうが資金源を必要としている。
それなのに、ふるさとに納税していることは、たとえ少額にせよ、現住の自治体の税収を減らしていることになる。

それ以来、ふるさと納税はやめている。

ふるさと納税には返礼品のほか、住民税の控除という特典もついている。これはなかなか捨てがたい魅力となっていた。

節税というのか、少しずつ、納税についても知恵がついてきたのか、ふるさと納税にかえて、寄付を増やす方向にもっていっている。

ここでもいささか自分のずるさがいやになってきているのだが。つまり、寄付先には控除が認められたところに限ってしまっている。

フランスの父など、数十団体に寄付をしていたものだ。寄付控除が得られるにせよ、これは多すぎると、彼の財産を管理していた甥が整理していたものだが。

今回の自然災害についても、寄付をするのに、控除が得られるかどうかを調べている。なかなか純粋な気持ちになれない自分である。

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籠池夫妻は今どうなさっているのか

もちろん、総裁選挙の論点となれば、政策が主になるのだろうが、片方の候補者の未解決問題、モリカケ問題がちっとも話題にならないので、イライラしている。

加計の場合は、臆面なく学校法人の経営にいそしんでおいでだと思うけれど、片方のモリは保釈中の身分、なにかと問題がおありのことだろうと思うのだ。

どこかのメディアで報道してくれないかと思うのだが、マスのメディアではちらりとも扱わない。

彼らは1500万円だっただろうか、保釈金もだれかに立替てもらったと聞いているが、その返却もあるだろうし、あの問題の場所に完成した小学校の建設代金はどうなったのか。土地代金がどうなるのか、というのもあるだろう。

まず、あの長い収監から解放されたにせよ、彼らがお元気なのか、なにをしているのか、興味は尽きないのだが。

いろんな問題があっても、ひとつ自然災害、交通事故、脱獄などが発生すると、すっとんでしまうこのメディアの在り方、どうにかならないだろうか。
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懐かしの映画シェルヴ―ルの雨傘

今週のBS3、午後1時からの映画の時間は、フランス映画を扱うらしい。昨日は「男と女」だった。ダバダバダというメロディとも歌詞ともつかぬ音を懐かしく思い出した。

さて今日はシェルブールの雨傘である。見る気はなかった。というのも、主演のカトリーヌ・ドヌーヴの若い時代を見るのがやるせなかったのである。
でも見てしまった。そしてこの映画が日本で上映された時代、私は大学生だったが、その時代のことを思い出した。

この映画はとてもショッキングだった。現代風オペラというのか、せりふは歌で言われるのだ。だからフランス語がゆっくりで、聞き取りやすいということもあった。

この映画をみて以来、シェルブールという地名は特別なものになった。そののち、パリに一時滞在しているとき、アルバイトをしていた日本企業の仕事で、シェルブールへ行くことになった。
市街地を散歩し、雨傘屋があれば、絶対傘を買う、そして、シェルブールの雨傘よ、と自慢する、と心に決めて出かけたものだ。
しかし、自由時間が少なかったこともあって、雨傘を手に入れることはできなかった。そして、街並みは、映画ほどロマンティックではなかった。

この映画、母と娘が主人公なのだが、母子家庭となって、貧しい生活をしている、という設定なのに、なぜか、ブルジョワのような雰囲気なのだ。
お昼ご飯に、野菜だけが出ている。セロリが1本、お皿にのっていて、カトリーヌ・ドヌーヴがそれをかじる。
このとき、私はこの野菜を知らなかった。当時、そんな洋野菜は売っていなかった、少なくとも九州の街では。

母と娘の関係も興味深いものだった。母は宝石商との結婚をしてほしいと思っているけれど、半分、自分がその相手になりたいような、そんな雰囲気も漂わせている。未婚のまま、妊娠した娘を責めるけれど、それかといって、中絶などは考えない。当時、中絶は犯罪であったし。

徴兵制度の時代でもあったのだ。それも2年間という長期にわたっていた。
アルジェリア戦争の時でもあったのだ。

映画をみながら、その時代のフランスを思い出す。そんなに知っているわけではないが、現在とは大いに違ったフランスだ。

Je t'aime、とかNe me quitte pasといった表現がなつかしい。ロマンティックな時代だった。

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アンダー・コントロールの虚構

kの夏、ずっと自然災害のニュースばかりフォローしていたような気がする。

幸いといっては、災害にあった地方、方々に申し訳ないのだが、本当に幸い、わが地方は特筆するような災害にはあわなかった。

実家にしても、何度も大雨からくる水害の危機もあったけれど、浸水などの被害もなく、すんでいる。一度は大水害を経験しているので、わが家族は、洪水や浸水といった水の被害に敏感で、それに山崩れなどが重なっての被害には、もう言葉がでない。

記憶に新しいだけでも、西日本の大雨、その記憶というか、災害の処理を終わらないうちに台風21号、大阪北部の地震はいつのことだったか、それに今回の北海道とくる。

次なる台風22号も発生したというが、この進路次第ではどんな被害がおきるか、予測はできない。

フクシマについても、せんだって、汚染された地下水があまりにたまりすぎるというので、海に流したいというような話がでて、漁業関係者の総すかんをくらっている。
原発推進派は、薄めて流すのであれば許容できる程度のこと、と言っているらしいが、きりなく汚染地下水がでてくるような状態、これがアンダーコントロールと言えるのだろうか。

気象にかかわることはコントロールできない。もちろん、昔は雨ごいをしていたところを、今では飛行機から何かを蒔くことによって、降雨を促すくらいのことはできるようになった。
しかし、豪雨を避けることはできない。被害の予防というのはこれから人智を尽くして施されることになるのだろうが、常にその上をいくのが自然の脅威である。

ゴジラの映画をみているような気になることもある。これでもか、これでもか、と叩きつけられる。

もちろん、被害にあった家屋の建てられた場所をみたとき、山すそであったり、河川のすぐそばであったり、被害にあう可能性は高いことは予見できたといえるかもしれない。が、そういう選択をした理由もあったはずだ。

オリンピック招致のとき、首相が口にしたアンダーコントロール、どこまでコントロールするつもりであったのか、本当にフクシマをコントロールできたと言えたのか、新たな自然の脅威についてどうコントロールするつもりか、聞いてみたいものだ。

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これまでに類をみない。。。。

今年は何度、これまでに類をみない大雨、集中豪雨、強風、などの自然現象にたいする警告をうけたことだろう。
被害のものすごさ、本当に50年に一度とかこれまでになかった、という言い方が納得できるような有様だった。

高齢者が、生まれて初めての経験だ、と言われることもある。そうなると、50年どころではない、60年、70年、あるいは100年らい、初めてのことなのかもしれない。

これまでに類をみない、という表現、この裏に隠されたことを読み取る必要がある。これからはしょっちゅうおきるかもしれない、という意味である。

もしかしたら、今、地球の気象は変化しつつあるのかもしれない。雨の降り方をみながら、そう思うのだ。この降り方、どこかで経験したような、そうだ、赤道に近いアフリカの地で、雨季に降ったスコールそのものだ、と。

この夏の暑さ、異常な、というけれど、これが通常の暑さになるのかもしれない。日本はもはや、温帯ではない、亜熱帯だ、という人もいれば、いや、亜熱帯どころではない、もう立派な熱帯気候だという人もいる。

実際どうなんだろう。冬の寒さを思えば、まだ温帯なのだろうと思うけれど、夏だけみれば、立派な亜熱帯だ。

この台風21号のニュースは世界のあちこちで報道されたらしい。ギリシャの友人は、心配して電話をかけてきた。Are you all right?を何度も繰り返している。フランスからはメールが入っている。

今回、せんだっての豪雨も、今回の台風も、幸いなことに、わが地方は被害を免れた。しかし、いつ自分の番になるか、前回の大被害の台風から40年ほどたっているらしい。そろそろなのかも、と土地の人たちが言っている。自然はこわい。
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ふるさとに住まいを求める

先日、兄嫁から分厚い封書が届いた。普段は兄の名前で頼りがあるのだが、兄嫁からの手紙はめずらしい。この厚さは何だろう、と少しびくびくしながら封書を開ける。

中にはいっていたのは、マンション売り出しのちらしである。兄嫁の手紙に、私が以前話題にのせていた場所に建築されるらしいマンションのチラシが、郵便箱にはいっていたので、お送りしますとある。

そうだ、数年前の市の広報に、以前はスーパーだったところの跡地はマンションが建つことになる、という情報が載っていて、実家に問い合わせをしたのだった。兄嫁はそれを覚えていて、贈ってくれたものらしい。

さて、とそのチラシをとっくりと眺める。建設予定地はわかっているし、付近の状況も承知だ。だから、建物と価格だけを問題にすればよい。
地の利からいえば、JRの駅に数分、実家とも5分ほどのところにある。買い物は不便だが、バス便はいい。わが母校、小学校、中学校、高校、すべて歩いて10分圏内にある。チラシでは文教地区と謳っているが、もう縁はなくていい。

さあ、価格はどうだとみてみると、60平米台の広さで無理すれば手が出ない価格でもない。でも無理か、ローンは組めないし、ここに死ぬまで住めるわけでもない、施設にはいる資金は残しておかねばなるまい、となると、共同出資者を求めるしかない。

唯一の候補は弟だ。将来的には弟にすべて譲るということで、出資を求めよう、と心づもりをする。

しかし、何点は、この地の暑さだ。今年は異常尽くしとはいうけれど、毎日のように、異常高温のリストに載るという名誉とも不名誉ともいえないが、異常とははっきり言える記録を打ち立てた。
寒冷地に体がなれたから、異常な暑さに耐えられるとは思えない。


弟の反応はネガティフであった。当然だろう。弟は自宅もあるし、2人の息子たちはもう就職しているが、当地に住むとは限らない。それに私と共有にして、私がいつまで住み続けるか、わからないのだし、20年も30年も住み続けたあと、弟に渡しても、何の価値もなくなっているかもしれない。

それはそうね、と引き下がる。束の間の、もしかしたら、マッチをすって消えるまでの夢だったのかも。しかし、ふるさとというのは不思議なものだ。18歳まで住んで、その後は帰省するだけの場所だったけれど、帰るという表現を使えるのはこの地だけだ。

まあ、ふるさとは遠くにありて想うもの、なのかも。
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No Deal Brexit(合意なき離脱)

どうもイギリスは、EU離脱の合意ができないでいるらしい。普通の夫婦でも、結婚はやさしいけれど、離婚となると大変なんだから、と、そのために離婚をしない夫婦も知っている。

EUに加盟するときの大混乱というのか、七面倒な手続きも大変だったろうが、離脱となると、とてもじゃないらしい。

イギリスはもともと、入国のときにも質問を浴びせてくるし、なにかと複雑だったので、EUになってもその大変さは残っているような印象があった。

テレビなどで、どんなところで問題発生か、と分析している中に、イギリスでよく食べられているBLTサンドイッチの価格上昇必至、というのがあった。BLTサンドイッチ、食べたことはないし、なんだか知らないな、と思った。Bはベーコン、Lはレタス、Tはトマトの略で、この3つをいれたサンドイッチがイギリス人好みなのだとか。

イギリスを旅行中、どんなものを食べていたか、あまり記憶にない。中華がインドカレー、そんなものが多かったようだ。有名なフィッシュ&チップスも実は食べたことがない。

クレジットカードのコミッションが高くなるとか、いくつもの不都合を言い立てるけれど、物価が上昇するのは100%確かなことらしい。
EUへの負担金は減るかもしれないが、一般国民には即、物価上昇がかぶってくるのだろう。

EUもこれまで6か国から始まって、28か国まで増える一方だったが、このイギリス離脱から、少しずつ、離脱の国が出てくるのだろうか。そしていつの日か、発足当時の国だけになることもあるのだろうか。
歴史は繰り返すというから。
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夏時間、廃止の方向とは

長いこと、フランスのニュースを無視していたら、一挙にEUでの夏時間廃止の動きのニュースに接することになった。

ヨーロッパでは廃止の動きがある、とは聞いていたが、フィンランドだけかと思い込んでいた。ところが昨日、EUの委員会が、夏時間の廃止を提案したのだという。
調査によると、EU国民の80%以上が廃止を肯定しているのだそうだ。

今朝のF2でも、それを受けて、夏時間問題を扱っていた。
フランスで1976年だったか、始まるときには、それは論争が起きた。日曜日の午前2時を3時に、そして冬時間に戻すときには、3時を2時に、というこのやり方がいいのかどうか。そして当初は9月末に冬時間になっていたのが、イギリスが10月末であったので、それに合わせるために、10月最後の日曜日となったのだが、もう10月といえば、寒い時期、夏時間と呼ぶのがうそっぽかった。

昼が長いというけれど、それは朝の時間が早すぎて3月など、ふつうでも朝が暗いのに、1時間早めると、まだ星空の時間に起きることになる。
パリの父の家では、8時ごろ起床というゆったりした時間割りだったが、それでもまだ薄暗いのにびっくりしたものだ。

変更時に体調が狂うこと、交通事故が増えること、といったデメリットがあり、当初いわれたほどの省エネの効果がない、ということが今回強調されている。

ただ、夏時間を設けることを反対する人、国、がある一方、それなら夏時間を通年で、という国もあるらしい。これから調整が図られることになるのだろうが、たとえばフランスは冬時間を通年でとし、ドイツが夏時間を通年で、と選択すれば、これまで時差のなかった国でも、時差が生じてくることになる。

ヨーロッパの人たちがそんなに不便をかこっているとは思いもしなかった。私は朝に弱いから、暗いなかでの起床はいやだったが、夜、遊んで帰っても、まだ本当に暗くなっていないのは大変たすかった。

でもなんにせよ、マラソンのためだけに(それだけとは言わないのだろうが)、サマータイム採用は行き過ぎだ。マラソンだけではない、オリンピック、パラリンピックを切り札にして、制度変更をしようとするが、私はオリンピックそのものにも賛成ではない。

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