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31年ぶりの再会(2)

こうして無事に空港での再会を果たした。女性のマナーとして、お互いにちっとも変わっていない、と言うけれど、31年の年月は無視できない変化をもたらしている。

自分の変化はわかっている。しかし、友の変化を見ると、31年の大きさとその間に生じたことの重さを実感する。

私はギリシャ語はわからない。彼女は勿論日本語はわからない。英語とフランス語、どちらもいい加減な程度の力だが、それに頼らざるを得ない。

31年前、7、8歳だったむすめたちが、もうちゃんとした大人になっている。
31年前の訪問を思い出すことから始まった。共通の思いでにもかかわらず、覚えていることに違いがある。
長女がウイーンに住む次女の写真をタブレットで見せてくれる。浴衣姿で、ハープシコードを弾いている。この着物、プレゼントだよ、という。誰の?と聞くと、勿論あなたのママからよ、と言う。
そんなことがあったっけ、と記憶を辿ると、訪問後、帰国したあと、母が娘たちに浴衣を縫って送ったようなことをおもいだした。
しかし、31年もたって、子供用の浴衣をまだ、それも大人がきれるなんて、とよく見ると、帯も子供用をそのまま使っているし、帯上げもなく、ストーンとそのままに着ている。写真だからそうおかしくもないけれど、日本人が見たら、なんじゃこれは、と思うだろう。

娘たちの寸法をとったこと、その後、浴衣、彼女らにとっては着物なのだが、ちゃんと送って来たこと、それより先に、年配の外国人の言動が子供に与えたショックはとても大きかったようだ。
外国というものを意識させ、成長に合わせてその意識を広げていった、と娘たちは言う。

ウィーンに住む次女は空手もやっている、俳句も読む(日本語ではない)、というし、長女は音楽を教え、その中で、能を学んでいる、という。
驚くべきことだ。その全てに、母と私が寄与したわけでもないだろうが、端緒となったことは確かだ。

今、友と少しずつ、31年のことを話している。こうして再会を果たせたのはやっぱり神の思し召しなのだろうか?
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