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ふるさとに住まいを求める

先日、兄嫁から分厚い封書が届いた。普段は兄の名前で頼りがあるのだが、兄嫁からの手紙はめずらしい。この厚さは何だろう、と少しびくびくしながら封書を開ける。

中にはいっていたのは、マンション売り出しのちらしである。兄嫁の手紙に、私が以前話題にのせていた場所に建築されるらしいマンションのチラシが、郵便箱にはいっていたので、お送りしますとある。

そうだ、数年前の市の広報に、以前はスーパーだったところの跡地はマンションが建つことになる、という情報が載っていて、実家に問い合わせをしたのだった。兄嫁はそれを覚えていて、贈ってくれたものらしい。

さて、とそのチラシをとっくりと眺める。建設予定地はわかっているし、付近の状況も承知だ。だから、建物と価格だけを問題にすればよい。
地の利からいえば、JRの駅に数分、実家とも5分ほどのところにある。買い物は不便だが、バス便はいい。わが母校、小学校、中学校、高校、すべて歩いて10分圏内にある。チラシでは文教地区と謳っているが、もう縁はなくていい。

さあ、価格はどうだとみてみると、60平米台の広さで無理すれば手が出ない価格でもない。でも無理か、ローンは組めないし、ここに死ぬまで住めるわけでもない、施設にはいる資金は残しておかねばなるまい、となると、共同出資者を求めるしかない。

唯一の候補は弟だ。将来的には弟にすべて譲るということで、出資を求めよう、と心づもりをする。

しかし、何点は、この地の暑さだ。今年は異常尽くしとはいうけれど、毎日のように、異常高温のリストに載るという名誉とも不名誉ともいえないが、異常とははっきり言える記録を打ち立てた。
寒冷地に体がなれたから、異常な暑さに耐えられるとは思えない。


弟の反応はネガティフであった。当然だろう。弟は自宅もあるし、2人の息子たちはもう就職しているが、当地に住むとは限らない。それに私と共有にして、私がいつまで住み続けるか、わからないのだし、20年も30年も住み続けたあと、弟に渡しても、何の価値もなくなっているかもしれない。

それはそうね、と引き下がる。束の間の、もしかしたら、マッチをすって消えるまでの夢だったのかも。しかし、ふるさとというのは不思議なものだ。18歳まで住んで、その後は帰省するだけの場所だったけれど、帰るという表現を使えるのはこの地だけだ。

まあ、ふるさとは遠くにありて想うもの、なのかも。
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