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いじめ解決策

フランスで泊まった家の息子は29歳、イギリスで働いている。

これまで会ったのは数回にすぎないけれど、なんだかとっても親しみをもっている。
最初にあったときは強烈だった。まだ彼が学生のころだったと思う。
金髪に染めて(元来は栗色)、パンクのような突っ立った髪型、上は90歳から下は60歳というような食事会のなかに一人異端児として存在していた。
私との会話も、まずはイエス、ノーをはっきりさせてくれ、と迫ってくる気の短さだった。

それから何年になるのだろう。すっかり大人になっている。髪も自然の色に戻しており、ちょっと髭があるのが気になる程度だ。

お茶を一緒に、とサロンに紅茶を運んでくれた。
Brexiteのあとも、ロンドンに残るのかと問うと、イギリスのほうが住みやすいからね、なんせ14歳のときに放り出されて、それ以来、ずっとロンドン住まいなんだから、という。
放り出されて、という表現が気になった。

14歳の時となれば、本人の意志より親の意向なのだろうが、それからずっと、大學もイギリスとなると、それが彼の選択でもあったのだろう、と思っていた。

なぜ、イギリスの学校にしたのか、ずっと疑問だった。彼の妹も同時にイギリスの学校に変わっているし、ボーディングスクール(寄宿制)にいれたのは、国際的教育を与えたいという親の考えなのだろうと思っていた。

それが学校でのいじめ対策であったことを、今回初めて知った。

24日の夕食に招かれたロシア人夫妻、常はロンドン住まいである。会話の中で、彼らの子どもはボーデイングではなく、自宅からの通学であることはわかった。
学校事情など、息子や娘がいろいろな経験談を話している。
その中で、母親が、フランスの学校で、自分がポーランド人だったがゆえに、息子と娘がいじめの対象となり、イギリスの学校に入ることでいじめから抜け出したのだと説明していた。

フランスの学校におけるいじめも、けっこうきつくて、しんどい思いをした話はよく聞く。
ここの息子に娘は、頭もいいし、そういういじめの対象になるとは思いもしなかった。

彼らの両親が、イギリスでの学費を負担できる財力があるがゆえに、親の意向なり見栄もあろうか、と考えていたのだが、いじめが背景にあるとは思わなかった。

イギリスのボーディングスクールではどうだったのか、そこまで聞く時間はなかったけれど、そこではうまく適応できたのだろう。

もうフランス語より英語のほうが楽だよ、という息子、すっかり英国風になったのか、クリスマスプレゼントには紅茶をくれた。

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フランスの環境問題意識

フランスのスーパーでは、ずいぶん以前からレジ袋はもらえない。有料化されている。そしてプラスティックではなく、紙袋化している。
スーパーでの買い物には、皆さん、籠をかかえていくか、ゴロゴロを引いていく、トートバッグを持参する、そういう形が定着している。
いつも出先で買い物をする形になっていた私も、今回はしっかり薄手のトートバッグを必ず持参した。

ところが、クリスマスとなると、様変わりだ。みんな、プレゼントを買うのに、いろんなブランドショップのものは、そのお店の袋にいれてもらうし、ブランドものでなければ、自宅できれいな包装を施すことになる。
クリスマス翌日のごみ出しは、半端ない包装紙や袋がでている。
こういうのは、gaspillageではないのだろうか?と疑問に思うのだ。

泊めてもらっている家のごみ処理は、きわめて厳密に分別化されていた。
紙、リサイクル可能なもの、生ごみ、なにかいくつもの入れる場所があって、母と娘はなにかこれはどこにいれる、などと細かく言い合っている。
父親がなにか捨てていると、それはそこじゃない、と指摘されていて、なかなか厳しい。
外来の私としては、これなら、ごみは日本に持ち帰るしかないな、と思ったりする。

しかし、抜けたところも多いにある。息子もけっこう環境問題に関心を寄せている。父親の使い古しのクリームを再使用しようとしているのだが、外装の素材は破れている。それを瓶に移し替えているのだが、べとついてうまく移しかえられない。
べとつく手を、たくさんのキッチンペーパーを使ってふき取っている。

紙の浪費はいいのだろうか。
以前、紙をたくさん使っていると、森林破壊ということで、それがプラスティック多用に傾いていった、と記憶している。
プラスティックから紙や自然素材へと転向するのはいいのだが、その素材の消費となって、天然資源を乱用することにならないのだろうか。

15歳の女の子と話した。グレタさんの発言について、彼女の意見を聞いたのだ。
大人から、真正面から聞かれたことはないようで、一瞬ぎっくりしていたが、とうとうと意見を述べてくれた。
自分たちの将来への不安、それがやっぱり主たる内容だった。
彼女らの世代にとっては、現在享受しているものは当然なのだが、砂糖の甘さの裏に隠された危険みたいなもので、これでいいはずはない、という危機意識が強いのだ。
まだまだ手探りの状態のようだが、この意識の強さはとても心強かった。

グレタさんのように、飛行機に乗るのも避けるほどではないけれど、パリの交通スト中にあって、歩ける距離で行動する、という数日の経験もいいものだった。
自転車やトロティネットで移動している人たちは、意外とその達成感があるのかもしれない。



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結婚は同棲してから

今回の滞在は、60代のご夫婦と20代後半の息子と娘のいる家庭だった。
以前は超高齢のお宅で、高齢者問題はよく理解できたけれど、もっと世代の違う家庭もみてみたかったから、とてもうれしい。リスマスのホームパーティでは、本当に家族と近しい人たちだけであった。
25日のお昼には、名付け子(女性)とその同伴者。同伴者はフィアンセという紹介だった。
話の内容から同棲していることはすぐにわかる。こうやって、名付け親の家にも同伴しているのだから、公認であることは自明だ。

娘は男性の気配がないのだろうか。来年早々から正式に働くという彼女は、何度も職場研修をし、また学業に戻るという経路を通っているので、とうに25歳は過ぎている。
24日の夜の食事会、そして25日にも誰も彼女の友人という形では参加していなかった。

ところが、26日、当家の息子がイギリスに戻るというので、その出発に間に合うように帰宅すると、サロンに別の男性の姿がある。そして、プレゼントの交換を娘としている。
おや?1日遅れのクリスマスプレゼントなのか?と思うと、娘のcopinだと紹介される。

copinとはどう理解すべきだろうか。ただの友達なのか?ふつう、恋人の場合、ami, amieと紹介される。これに形容詞のpetitをつけると、恋人であることがはっきりする。
copin, copineもそれに相当するのか、フランス語の変化にはうとい。

しかしすぐに恋人であることがわかった。昼のしっかりした食事の席で、夕食の話題もでたので、彼が夕食にもいることがわかる。夕食は10時くらい、ということは?かれは泊まるということだろう。ならばどの部屋に?と唯一の客用部屋を占拠している私としては心配になる。
息子がイギリスに帰ったから、その部屋を使わせるのか、これがフィアンセであったり、婿殿というのであれば、こんな詮索はしないのだが。

親も公認の恋人関係。日本でこれだけオープンにできる環境にあったことがないので、なんとも落ち着かない。
以前から、今頃、教会のヴァージンロードをヴァージンで歩いている女性はいないよ、と聞いていたけれど、結婚はいくらかの期間を同居したあとで、というのは常識らしい。

どういう結婚の形態がいいのか、それは当人同士が決めること。
二人が納得した形で幸せな道を歩むことが何よりだ。娘のcopinはお菓子作りが趣味らしい。クリスマスケーキのチョコレートを細かに分析していた。本業はテクニシャンだというが、素敵な男性だった。
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プレゼントは子供だけじゃない

多くの日本人にとっては、12月24日がクリスマスで、一晩明けて25日になると、一挙に年末モードになる。
フランスでは24日以上に25日は大切だ。

25日は国の祝日だ。ライシテ(laicite)を問題視する割に、宗教に関係する祝日が多いが、クリスマスもその一つである。
25日は朝のミサで降誕を祝い、お昼に家族揃って食卓を囲む、というのは多い。
そして、プレゼントの交換だ。
勿論、対子供は一方通行だろうが、大人の場合、お互いに交換となる。

2年前のクリスマスにそれを体験して、今回はクリスマスに招待された時から、プレゼントを考えた。

一人一人にプレゼントを用意する必要がある。
それぞれの特性を考える。男性には身につけるものは避けたい。
簡単に決めたのは、陶芸家への道をたどっている友人の妻だ。金継ぎの勉強もしているから、我が家の金継ぎされた陶器をプレゼントすることに決めた。
友人には浮世絵、30歳の息子は電子タバコを吸っている。喫煙に反対だけれど、パイプを進呈する。ただし、90歳から使用可と条件つける。今度就職する娘にはアクセサリー、真珠がついているシンプルなものだ。

と、これで万全と思ったら、相手からは2つも3つも渡される。夫と妻の間でも、3つ、4つ、で終わりかと思えば、まだまだ続く。
ツリーの下に置かれたプレゼントの山がようやくそれぞれの手に渡されるまで、何度ハグをするだろう。

田舎に住む私は洒落たものが買えず、家にあるものを選んだ。そこに価値をみいだしてくれた。

23日にデパートに行けば、皆、プレゼントの買い物で、沢山の買い物袋を下げている。
こういう時はブランドが喜ばれるのかな?エコで、包装紙を節約する話はどこに行った?と疑問が生じる。

長いこと、プレゼントをやったりもらったりがなかったので、とても嬉しい。

お習字で万葉集の歌を練習した紙を包装紙代わりに使ったのが好評だった。

これから夕ミサに出かける。クリスマスはプレゼントだけではないのだ。
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ブイヨンが見つからない!

いつからか、フランスで売っているキューブのブイヨンが、料理をする上で不可欠になった。
別に特別でもないマギーのキューブのブイヨンなのだが、なぜか日本では売っていない。

料理上手で、フランスにも詳しい友人が教えてくれたものだ。
すっかりファンになって、フランスに行くたびに購入しては、お土産として周囲の人に配っていた。

もらった人は皆ファンになる、という優れもので、今や、フランスに行く人が買ってきて下さるし、こちらも行けば友人分も買ってくる。
冬になって煮込み料理が多くなったところで、在庫切れになった。
友人達お同じで、幾人かの注文も受けた。

ところがである。モノプリを見つけて、勇んで買おうと調味料などのコーナーを探すが、それがない。
都心だし、生活感がイマイチ無いからか、と思いきや、そういうわけでもないらしい。
経済に詳しい友人が、モノプリの高級化があるのかも、と言った。
そうかもしれない。やたら衣料品が増えたことと、食料品も高級化している。

せっかくパリにきたのに、美術館巡りじゃなくて、スーパー巡りですか、と呆れられている。
残すはあと数日、購入できるだろうか?ミッション完了として帰りたい。
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パリ便り2

今日はクリスマスイヴ、だから日中は何もイヴェントはない。
といっても遠出はできないし、夜に備えて、疲れないようにしなければならない。

近間の気になるところ、それはSaint Germain des Pres教会と、あのノートルダム大寺院だ。サンジェルマンはすぐ近くの筈だ。
ところがやっぱり間違って、余計目に歩く。聞くに如かず、と役所の入り口の警備の人に聞く。
環境省なのだが、フランスでは組閣のたびに名称が変わっている。
イヴの日で働く人が少ないのか、あるいは環境省が故のことか、人の出入りがなく、暇そうな警備の人は、親切に教えてくれた。Bonne journee, madame と言われて、流石にMademoiselleとは言われないな、と勝手に思う。

サンジェルマンデプレ教会の周りは、クリスマスマーケットの屋台がたくさん並んでいるが、まだ時間が早くて、白いテントは閉められたままだ。
前回来た時は、まだ教会の中の工事が行われていたが、もう工事の痕跡はない。
ステンドグラスが見事だ。クレーシュを探す。回廊にある聖母子像の前にあった。勿論、御子はまだ誕生されていないから、ゆりかご内は空だ。

教会の入り口には、物乞いの人がいる。いくつか荷物があるけれど、いわゆるホームレス、フランスの厳しい状況は変わらない。

次なる目的地はノートルダム寺院だ。セーヌの河畔を歩けばいい。
ブキニストのグリーンのボックスはまだ閉じられて、店開きはもっと後のことか。
ノートルダムに近ずくと、煙の臭いがする。
9月にパリをオープンバスで見物した友人が、まだ匂っていた、と言ったけれど、今でも臭っている。

現場感覚だ。匂いや音、変化する光線、これらは画面では捉えられない。映画の広告が、是枝監督の作品になっているのも、パリにいることの実感になる。

人は多い。やっぱり火事の跡を見てみたいのだ。
すぐそばの通りに住む友人を訪ねてみる。メモしていた入り口の暗証番号は変わっていて、コンシェルジュに入れてもらう。
年配の友人は記憶が定かではなかったけれど、家の中から、寺院の焼け跡を見せてくれる。

パリも変わる。もうパリジェンヌにはなれそうもない。
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パリの一日

フランスへ来たものの、今日が初めてパリで24時間を過ごす。
スト終了なんて、勝手に希望したのだが、そうは問屋がおろさない。
ここはね、パリの真ん中だから、メトロが動いていなくても、いろんなところへ行けるよ、と友人は言う。

これまで定宿にしていたヌイイだと、メトロなしじゃ動きが取れなかったよね、と言われると、それはそうだけど、映画には行けたな、などと思う。
さて、今日のご予定は? ときかれると、何かご予定を作らねばならない。友人は仕事だ。

先に来て、もう帰国した日本の友人はグラン パレのトゥールーズロートテック展を勧めてくれた。
左岸と右岸の違いはあるけれど、そんな大した距離じゃないよ、という。急足で20分てとこかな、と簡単に言う。私の足だと30分くらいか、そのくらいだったら毎日散歩で歩いていたから、と安心したのが間違いだった。

パリの街はあまり歩いたことがない。いつも地下鉄が多いし、地上ならバス、車で移動する。
そして慣れない中心地と来ている。通りを確認しつつ、車、オートバイ、自転車、トロティネット、勿論信号もだ、気を配ることがおおい。
グラン・パレはそこにみえているのに、なかなかたどり着かない。

日本の友人に言わせると、ストで人が少ないのか、スイスイ入れたよ、とのことだったが、予約なしで待たねばならない。
普通より待ち時間は少なかっただろう。しかし、中に入れば人はうようよだ。みんな、イヤフォンをして、説明を聴きながら、じっくり鑑賞中だ。
私はこれが苦手だ。全ての説明文を省略して、人の間を縫って、みていく。鑑賞なんてものではない。
待った時間と同じ位で終えてしまった。

空港から来た時通ったアレクザンドル三世橋を通る。
セーヌ川の水位が高い。水位を計る目安の何とか兵はこの橋だったっけ?と見下ろすけれど見つからない。
セーヌ川畔は、自動車の通行をやめて、歩行者天国になっている。上の道路は車で溢れているというのに、川畔はゆったりだ。

上のf道路を歩いてみると、地下鉄駅の入り口はシャッターが降りていて、本当にスト中なことがわかる。もしかしたら無駄に歩いているのでは?と思ったりしていたのだが、やっぱりスト中だ。
パレ ブルボン(国民議会)周辺のレストランはガラガラだ。もうクリスマス休暇に入っているのかも、とすると、働いている人たちの苦労はわからないだろうな?

往復歩いてクタクタだ。一人レストランで食べてもいいか、と思っていたが、足を休ませたい。自宅までヨタヨタしながら歩く。信号はしっかり守る。
友人は午前が絵の展覧会だったら、午後は町歩きでも、とガイドブックまで用意してくれたが、探訪なんてとんでもない。ただひたすら歩くだけだ。

私は時間にも構うことなく歩けばいいけれど、もっと長い距離を、毎日歩いている人たちの苦労を偲ぶ。
ちなみに今日の歩数は15、536歩であった。
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食生活の多様化(菜食主義者とくらして)

今回初めて亡き代父の甥の家に来ている。代父が存命中、この家に招かれたことはあったけれど、泊まったことはなかった。
クリスマスを共に過ごすというので、1週間ちょっとの滞在だ。

甥とその妻、もう成人の息子と来年就職の娘がいる。妻と娘は菜食主義者、息子はお肉大好き人間、甥は普通の食生活だ。
息子は普段はイギリスで働いているのだが、クリスマス休暇で帰国している。

いやあ、クリスマスディナー、どうしましょうね、と甥が困っている。
家族だけで3タイプの傾向がある上に、招待客の好みも斟酌しなければならないから大変ですよ、という。
昔なら、ディナーのメニューは一種類、それで済んでいたものですがね、と年寄り口調になっている。

一緒に食事をして、ビックリした。
最初の夜は、お寿司をテイクアウトしていた。甥と私用には数種類の握りと細巻き、菜食の妻と娘はキュウリやアボカドの細巻きだ。
日本人と言うのか、普通に食べる人からみると、意地悪して食べさせないように見える。
でも彼女らはそれで満足なのだ。

朝食では、特別のシリアルや果物、オレンジジュースなどを取り、パンは食べない。バターは使わない。なぜかコーヒーも飲まないのだ。
食卓にいて、どうも落ち着かない。甥が私用にパンとばたーを出してくれる。彼は朝食は食べないのだそうだ。

昨夜は私が蕎麦を作った。妻が日本で茶そばを食べ、大感激!ぜひもう一度食べたい、娘にも食べさせたい、というので、乾麺タイプで持参したのだ。
蕎麦はそれでいいのだが、汁をどうする?ということになる。そばつゆというと、一般的に昆布とカツオブシで出汁を取る。かつおぶしは魚の変形だ。

友人が、昆布だしの素と椎茸だしの素を見つけてくれた。それで菜食主義者用にする。私は物足りない。甥と私ようには別途、鴨南蛮風に鴨肉を買ってきた。
2種の出汁えを作っていると、むすめが覗きに来て鴨肉を発見。味見用のスプーンが1個しかないのを目敏く見て取る。一緒にしないでね、ともう1本、スプーンが出てきた。

減塩食の人や、その他の制約のある人の食事を作るのもこんなものだろうか。

普段が一人気ままにやっているので、気疲れ甚だしい。食欲が落ちてはいないけれど。

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話に違わぬパリの大渋滞

いやー、聞きしに勝る大渋滞だった。
4時過ぎにCDG空港を出て、ドライバーにの技術もあるけれど、パリ方向はスイスイ走る。丁度太陽が沈む頃で、真正面から光が入ってくる。後部座席でも眩しい。
順調だったルートがぺリフェリックにはいると、車の数は増え、スピードは落ちる。fluideという状態だろう。

でも走れるだけ良かったのだ。ぺリフェリックから市内への出口はどれも混んでいて、長い列ができている。ドライバーは、この出口はダメ、次もダメといくつかの出口をパスしていく。
Porte Maillotの出口から出て、いくらかは走ったものの、マドレーヌ寺院を左に見て、コンコルド広場に出るともう動かない。パレ ブルボンに出る橋はブロックされている、とAlexandre III 橋を狙ったが、センチ単位で動くのがやっとである。遠い正面に信号が見えるけれど、青に変わっても赤になっても車は動かない。
そんな車の間をぬって、オートバイ、スクーター、自転車、トロティネットの人たち、そして歩行者が泳いで行く。諦観が漂っている。

警察車両が青いライトを点滅させて1台、2台、3台と数台が走っていく。
やっとポリスのお出ましだ、とドライバーが言う。こんなに酷い渋滞ってわかっていて、今頃出動なんだから、これはポリスの策略だ。これほど酷いと、運転者も嫌気がさして、デモやストに反感を持つようになるからね、それを狙っているのさ、という。ポリスの無作為による心理コントロールね、と彼の分析に同意だ。

ポリスが到着したおかげか、車が少しずつ動き始める。しかしその動きは、牛歩と言うのか牛動と言うのか、エンジンをかけるほどでもない程度だ。

アレクサンドルIII橋にようやく入ったところで丁度6時になった。エッフェル塔のイリュミネーションが変わる。
正時に数分間、キラキラ点滅するのだ。橋の上では、エッフェル塔をバックに写真をとっている人がいる。モデルっぽくポーズもとっての撮影だ。同胞だろう、というので、あの撮影の仕方からいえば、中国人だと思うけど、というと、そうか中国人か、今は日本人より中国人が多いね、と言う。

アンヴァリッドの前を左折、外務省の裏側から官庁街はどうして?と問いたいくらいに車が少ない。セーヌの右岸はあんなに渋滞しているのに左岸はスイスイ。

パリに先に来ていた友人が、タクシー情報をメイルしてくれた。空港からパリ市内までは定額55ユーロだけれど、渋滞分で12、5ユーロをプラスしたという。
我がタクシーはいくらと言うのか、おいくらですか?と聞くと、55ユーロと定額の請求だ。これだけの時間を費やして定額だけで申し訳ない。
それなりのプラスをしてお支払いをする。思いがけなかったのか、丁寧なお礼をして車を出した。
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ギグ・エコノミー

ヤフーで検索した。
それによると、「ギグ・エコノミー」とは、インターネットを通じて単発の仕事を請け負う働き方のこと。
ギグとは英語のスラングで、ライブハウスでの短いセッションや、クラブでの一度限りの演奏のことを言います。という。

現在、買い物、修理、運送、など、単発での仕事を請け負う形で一般化してきているという。
顕著な例が、UberEATやタクシーの変わりに重宝されている、あれは正式にはなんというのだろう、フランスではウーベールとだけ言っているけれど。

これもすべて情報化が進んだゆえに発生した労働形態なのだろう。
需要と供給、人を雇うほどの仕事量ではないが、人手は必要、というサイドが、そういった内容をインターネットにアップ、それに応じられる人がそれを請け負うという形で、仕事が成立だ。

いわゆるニッチな部分を、これまでは人づてや電話などで交渉して行っていたものを、今では端末でタイムラグなく実行できる便利なやり方だ。

だが、それにのれない者はネガティフな部分を探してしまう。
この頃取り上げられているUberEATで配達する人達の、事故でも保障がない、とか、競争激化で期待ほどの収入があげられない、といった問題もある。

パリで利用したウーベールは、すべて友人が手配してくれたのだったが、それはとても便利だった。タクシーよりきれいな車で、時間にはぴったり、支払いもすでに手配時に済んでいるので、現金のやりとりもしなくていい。
しかし、そういう操作をできない私としては、不便そのものでもある。タクシーの数は減り、流しというのがないので、タクシー乗り場を探さなければならない。

それに、何の仕事にしても、ある程度責任を要する仕事には、ライセンスを与えるという公共のしばりみたいなものがあるはずだ。それを考慮にいれなくて、簡単に頼んでいいものだろうか。

それに、こういった仕事が成立するのは都市部でのこと、田舎では需要も供給も、エコノミーと言えるほどには存在しない。

今、友人が来てくれるのを待っている。パソコンのメイルの部分に障害がある。もう10日も不便を忍びつつ、ようやく友人が来てくれることになった。
東京にいれば、こういうこともギグワーカーに頼めるのだろう。

便利になっているのはわかるけれど、なんだか???がまた増えた。
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