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相次ぐ訃報

12月にはいって、まだ1週間もたたないうちに2つの訃報に接した。
一つはフランスから、もう一つは東京からだ。

それでなくても、毎日の郵便のなかに、喪中欠礼のお知らせがあって、沈んだ気持ちになる中での訃報なのだ。

それに12月はつれあいが亡くなった月、毎日、気持ちのレベルが下がっていくのに、訃報というのはつらい。

フランスからの訃報は、つれあいと私が南仏にいたころの知人で、退官後の生活を南仏の田舎で過ごしていた方である。
夫人の連絡先(携帯の番号)は知っていたが、直接にお電話はしなかった。

どんな弔意の示し方がいいのだろう。迷いはある。お電話、lettre de condoleance、お花を贈る、考えるのだが、3年前の自分の立場で考える。
お電話で弔意を示され、残されたものへの励まし、とてもありがたいけれど、応対するのがつらかった。弔電、あるいは送られてくる供花、香典、弔問、しっかり応対せねば、と思いながら、一人にしておいて、という気持ちが強かった。

とてもとても内輪ですませた葬儀、家族葬は亡き夫も希望したことであったけれど、年を経れば、そして他の方たちのそれなりのご葬儀などを見聞きすると、亡き夫が本当はそんな葬儀をしてほしかったのではなかろうか、と後悔の念もでてくる。

フランスの知人は、外国在住のお子さんたちも列席し、村の人々も大勢参列してのご葬儀であったとか。

どんな葬儀をしようと、亡くなった当人は知りようがない。近しい人が心をこめればそれでいい、

昨年3月に亡くなったパリの父の葬儀を思い出す。彼は生きている間に、自分の葬儀について、花束などは必要ない、そのお金は慈善団体に寄付してほしい、と書き残していた。
その書付を、執行する立場の娘はきっちりと守った。
亡き父は、レジオンドヌール勲章も受賞した、経済界でも重きを置く人だったから、それなりの葬儀をしようとすれば大勢の参列者、たくさんの花に囲まれた葬儀となったはずだ。

しかし、いつも行く教会で、その教会での友人、学校時代の旧友、親族だけの、そして娘から固く言われて、花もなく、質素でひそやかな式だった。
参列した従妹や私は、せめて我々からの花くらいは、と文句を言ったものだが、娘はにべもなかった。
今にして、父の遺志を守った娘はえらかったとも思う。

フランスの葬儀には行かなかったし、東京にも行かない。

ある一定年齢になると、どういう葬儀にしてもらおうか、とそれを考えるようになる。つれあいのそれより以上にひそやかに、と思っている。


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