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実家がなくなる

長兄が倒れた。89歳、今度帰省する折に卒寿を祝おうと話しているところの急報だった。
心不全で近くの大学病院に救急搬送されたという。
ほんの2日前、卒寿のことで電話をしたとき、ちょっと体調が悪いとは言っていたけれど、心不全をおこすほどのこととは思ってもいなかった。

兄と兄嫁の二人だけで住む実家、いつも、いつまでもそんな状態で続くとは思っていなかったけれど、兄の入院という事態になるのを、現実のものとは考えていなかったのだ。

一挙に問題噴出である。兄嫁は何級かは知らないが、身障者である。一応、何も問題のなさそうな兄と二人、支えあって生活をしていた。
兄がとても頑固で、介護の人はいれたくない、と言って、10年以上前に亡くなった母が不自由しているときも、頑として介護の人の訪問を受けず、母は自宅での生活をあきらめて施設に入った。

兄嫁の不自由さをみて、帰省のたびに介護申請をしたら?と勧めるのだが、いや、二人でどうにかできているから、と忠告を受け付けない。また兄嫁も兄の言うのを諾々として受け止めている。

どうにかならない状態になった。兄嫁の電話でびっくり、おっつけ刀で駆けつけなければと思ったが、兄嫁が、息子たちが東京からかえってきてくれましたから、という。
ああ、そうなんだ。ここは兄弟姉妹の出番ではない、息子が2人、ちゃんといるのだ、と口出しは止める。

兄は幸い、生命の危機という状態は脱したようだし、快方に向かっての病状らしい。
ほっとして、一度は出したゴロゴロのスーツケースをしまった。

次に考えたのは、実家はどうなるのだろう、ということである。
父が亡くなったとき、権利は放棄したし、兄が建て替えもしているから、何の権利も思い出もないのだが、実家という意識が残っている。

兄夫婦が今後二人だけの生活ができなくなると、地元の施設に入るのか、それとも息子たちが住む東京へ移ってくるのか。
住まなくなる家は売却するのか。
お墓はどうなるのか。

こんな問題、直接には関係ないことだ。息子二人が親と相談して決めていくのだろう。
兄は頑固に自宅で生活をする、と言うのだろうか。もう無理よ、と言ってやろう、と思って、これこそ余計な口出しだろうな、と自戒する。


とうとう我が実家も消えていくのだろうな、と少しずつ自分を納得させている。それより、兄夫婦がどうしたいのか、も先に解決すべきことなのだが。


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3歳上の姉をみながら

九州に住む姉が群馬県の我が家へと来た。はるばるである。といっても、本来の目的は、長野県志賀高原で行われた囲碁合宿に参加したついでだ。

この囲碁合宿への参加は、もう十年以上続いている。義兄が生存中からの恒例行事で、義兄がいたころは、九州から車できて、合宿後は、本州、北海道までもドライブ旅行などしていた。その前後に我が家に2泊ほどしていたのだが、一人になって、私が志賀高原まで迎えにいき、我が家に2、3泊後、東京へ戻るというやり方になった。

遠く離れて住んでいるので、そうたびたび会えるわけではない。彼女が東京まで出てきたとき、私も東京へ行く、あるいは、法事などで九州へ帰ったときに会う、ということで、年に1回会えればいいほうで、会えない年もあった。

今回、志賀高原のホテルで姉をみて、その老いっぷりにびっくりした。若いころは、テニスをメインにスポーツ万能、颯爽としていた人なのだが、いまや、とぼとぼ、まだペンギン歩きではないが、歩行のための補助機というのか、車輪のついた椅子を使っている。
階段やステップでは、支えが必要、とばかり、私の腕にすがってくる。

なんと立派な高齢者になったものだ、と変に感心する。が、はたと気づいた。
3年後の私はこうなっている可能性がある、ということに。

我が家に着くと、すぐに休憩をとる。そして夕食後は、食後に服用する薬の説明だ。姉妹だから、体質はよく似ている(外見は違う、ことを強調しておきたい)。便秘体質は20歳ごろからのことだ。

今年から心臓のパッチをつけている、という。亡母も心臓が悪かった。それを自分が引き継いだ、と彼女は言うけれど、私も疲労がたまると、心臓というか、胸がきゅっと縮んだように痛む。

同じ年の、彼女は11月、私は12月に配偶者を亡くして、精神的な問題を共にかかえた。そんな共通する問題を話し合いながら、そうなんだ、彼女の今の姿は、私の3年後の姿なのだ。
この年齢差はけっして詰められない。さあ、3年後、今の彼女のようにならないようにするには、なにをすればいいのか。なにか、自信がなくなってきた。

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