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私は何をすべきでしょう

ブラジル(ボリビアも)のアマゾン火災のニュースに心痛めている。
まずはフランスのニュースから、そしてBBC,ドイツ、スペインのニュースで見、アメリカABCで放送のあと、ようやく日本でもニュースになった。

桁違いの森林火災である。南仏やスペインなどの夏の森林火災はほとんど毎年のことで、それはそれで自然破壊を心配するのだが、アマゾンの火災、焼失面積を聞くと、地球滅亡への一歩どころか100歩ではないか、と思ってしまう。
アマゾンの森林で、地球の酸素の20%を供給しているのだとか。

急に息苦しさを覚えてしまった。そして、わが庭の木々の伐採をすべきではなかったのかも、と急に悔やんでみたりする。
森林浴のありがたみは毎日感じる。毎朝、寝室のベランダに出て、深呼吸。真冬にその冷たい空気が肺を満たすとき、実際はこれは危険なのだろうが、ああ、生きている!と実感するのだ。
そして、陽が沈んだあと、急に木々の香りが立ってくる。

今、庭が裸になったわけではないが、森林浴には人の丈の2倍の高さの木が茂っていることが必要だ。
木を切ったあとで、残った苗木程度の木々に、早く大きくなれ、と理屈にあわないことを言っている。

あのグレタ トゥーンベリという女の子、女の子というのが失礼なほどの立派な行動だ。
国連に招かれて、飛行機ではなく、ヨットで大西洋横断している。20日もかけてだ。
感心するけれど、9月の九州行きを飛行機から鉄道に変えようという気にはなれない。

プラスティックごみを出さない、なるべく、ということばを付けてだが、努力はしている。倹約もあって、電気はこまめに消している、そんな小さなことには心を砕いているけれど、飛行機という交通手段については決断できない。

16歳の若い人に教えられ、何ができるのか、懸命に考えている日々である。
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高額療養費支給申請のお知らせ

先日、役場から「高額療養費支給申請のお知らせ」なるはがきが届いた。
対象となる可能性のあるつれあいは、もう2年以上前に亡くなった。ということは私が対象だ。

対象となるような大病はしていない。はがきをひらいてみると、6月に受診したものが対象になっている。

6月は体調が悪かった。咳がとまらず、鼻やのどの不調で、ティッシュの消費が半端ではないかった。
耳鼻咽喉科と内科を受診した。

でも、普通の受診だと思っていた。レントゲンの検査や血液検査も受けたけれど、さして高額と意識はしなかった。
高額療養費というのは、つれあいのように、長年患って、定期的に病院へ行き、そのたびに検査を幾種類もうけなければならない人が対象だと思っていたのだ。そして、それは申請して、ようやく受け取れるのだと。

このはがきでは、6月に受診した医療機関での領収書を持参して申請してください、とある。どんなものかはわからないが、領収書はちゃんと保存しているので、特別問題はない。

わが役場はとても親切だ。大都市の役所と違い、待たされるということもない。
必要な書類を渡し、しばらく待っていると、これだけの金額が支給されます、と知らせてくれる。
いいのだろうか、と思いもするが、それなりに一応、健康保険料は払っている。

つれあいの闘病で学んだことがある。それがすべてに正しいとは言えないとわかっているが、こうして、高額療養費が支給されることによって、別に私的な医療保険には加入の要がない、ということだ。

つれあいの場合、国の指定難病であったので、もともと医療費はそんなに高額ではなかった。結局、私的な医療保険からは入院費の払い戻しがあったけれど、それは実際に払った金額より大きかったけれど、日数に制限があったり、いろんな制約があって、すべての療養費をカバーするものではなかった。

保険の種類が違うことはわかっているけれど、宣伝されるほどに療養費がカバーされるのではない、という実態がある。
国のこの制度は、むこうで支払いの金額をチェックして、申請を促してくれる、という点で大変たすかる。

毎月の医療出費を指摘もされ、うるさいな、と思ったりするけれど、今回はありがたいお知らせだった。


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やっぱりマイアミ、2020年のサミット

サミット会議の提唱国フランス、そこから始まって、順繰りに7か国をまわって開催される。1975年にランブイエで始まった時、次の開催はアメリカで、となり、たしかプエルトリコで開催されたように記憶している。

この順番でいけば、フランスの次はアメリカ、マクロン大統領と次回開催国であるアメリカのトランプ大統領が共同で記者会見をしたのも別に不思議ではない。

開催国でもないのに、勝手気ままに行動するトランプ大統領、自国で開催となれば、ずいぶん自分勝手な設定をしそうだ、と思っていたが、やっぱりそうだ。候補地として、自分の別荘や、親族経営のホテルなどがあるマイアミをあげている。

これにいつ?という疑問符もつく。来年は大統領選挙の年、もう再選のためにやっきになっているから、このサミットをそのために使わないわけがない。
大統領選挙は秋だ。彼は共和党の候補となることには問題ないだろう。
とすれば、民主党候補との選挙戦本番か、民主党の候補者が決まりそうなときなどに、サミットをもってくる可能性もあるだろう。

そもそもサミットは、西側のメインの国々が、政治的には、対ソ、あるいは対コミュニズムのために集まったことに始まっている。最初は経済問題だけと言っていたけれど、2回目のアメリカから政治問題もいれて、となっていたと記憶する。

アメリカとカナダ、日本を除けばあとの4か国はヨーロッパの国、クリミアの併合をしたロシアを許せるわけはないのだが、トランプにとっては彼岸の問題だ。

45回目のサミット、この間に世界の歴史は大変化した。当時のソビエト連邦は分裂、NATOに対抗するワルシャワ条約加盟国だったポーランドも、バルト3国も、いまやEUのメンバー国になっている。

対立の構図は変わったし、経済的な力も変化している。G7が変わらないでいいはずがない。

友人の一人は、NATOなんてなくったっていいんですよ、トランプのいうことにも理はありますよ、という。
最後の世界大戦は、アメリカの参戦が大きな力となって、戦局を決めたけれど、あの規模の大戦があれば、地球は滅びる時代、軍拡をしても無駄だ、と言いながら、今や軍縮から軍拡へと舵をきられている。

どの国も基本方針は自国ファーストなのだろうが、ブラジル、アマゾンの火事をみていても、やっぱりグローバルに考えていく首脳会議というのは必要なのかもしれないな、と思っている。ただし、ちゃんとした首脳たちであることが最低の条件ではあるけれど。
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サミットに思う

今年のサミットは、主催国がフランス、大西洋岸のビアリッツで行われるそうだ。つまり、ビアリッツサミットと呼ばれることになるのだろう。

最初のサミットがフランスだった。1975年、当時のフランス大統領ジスカールデスタンが、オイルショックなどで混乱した世界経済を鎮静しようと、先進国の首脳に、首脳会議を呼びかけたのだ。
その最初のサミットは、1975年、11月15-17日、パリの郊外、ランブイエ城を会場として行われた。

フランス語でConference au Sommet、つまり頂上会議となるのだが、これをどう翻訳すればいいのか、初めてのことだから、定訳なるものをどうするか、いろいろあったが、日本のプレスは、サミットとよび、これが定着した。

最初は、政治問題は扱わない、とか、首脳のみの、それこそお城の暖炉のまわりに集まっての会議みたいな形をとりたい、というジスカールデスタン大統領の希望だったが、回を重ねるたびに、事務方の準備が大がかりになって、今や、集まる前に首脳の宣言の内容は決まっているらしい。

ただし、今回はマクロン大統領が、首脳宣言は発表しない、と予め言っているそうだ。

フランスの場合、最初がランブイエ、次にまわってきたときは、ヴェルサイユ、アルシュ(パリ近郊のデファンス地区)リヨン、エヴィアン、ドーヴィル、そして今回のビアリッツとなる。

連日、F2では、ビアリッツの警戒態勢を扱っているけれど、夏休み中の観光地ときているから、厳しい警戒に文句をつける人も多いようだ。

年に1回、主要国、といってもイタリアが最初から入っているのが主要国の解釈をおかしくしているのだが、の首脳が顔をつきあわせて話し合うのは意義があるのかもしれないが、
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ベランダ修理工事終了

突然始まった工事は、終わりも突然だ。
今朝、小雨の中、8時すぎに車が止まる。ペンキ屋さん?と聞くと、そうです、これからペンキ塗ります、という。雨のなかでも塗れるの?と聞くと、このくらいならできます、という。
ペンキをぬらなければならないところは、屋根の下だから、直接濡れるわけではない。


10日から18日までの工事自粛期間(この期間の設定はわが別荘地管理事務所が設定したもの)を終えて、19日に現れると思っていた大工さんは、結局21日朝に現れ、残っていた部分をさっさとすませ、これで私の仕事は終了、と宣言して去っていった。
ペンキ塗りは?と聞くと、ペンキ屋さんがきます、という。

分業であることはわかっているが、どういう連絡がなされ、我が家の工事がどう進行していくのか、私への説明はない。
時折、会長さんと呼ばれている棟梁が現れるのだが、ふんふん、と工事の進行をチェックはするのがだ、進行状況、予定などの説明はないままに去っていく。

今日は軽井沢へ出かける用事があったので、ペンキ屋さんの仕事を見届けることなく留守にした。
かえって来るともう足場も片付いている。白木であった部分は、こげ茶のペンキが全部ぬられて、ペンキ屋さんは無事、仕事を終えて帰ったらしい。
午後、雨の中、解体された足場が、別の業者によって撤去された。

おそらく、次は会長さんが請求書をもってみえるのだろう。その内容は工事一式で終わりかもしれない。

ベランダの横板の幅違いという問題があって、修理をしない部分との違いはやっぱりおかしい、と同じ幅の木材を手当てしてもらい、大工さんにとっては、余分な仕事となった。
その木材は、工務店側の負担となったけれど、部品代などが明細としてはいっていなければわからない。

悪く言えば魑魅魍魎ともなるが、ここの工事はみつくろいだ。

次には、いつ始めてもらえるかわからないが、階下の和室2部屋、フローリングに変えるという工事も依頼している。
これについては、フローリングの素材、あるいは工期、もっと詳細に詰めることができるように、と望んでいるのだが。

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ベランダ修理工事終了

突然始まった工事は、終わりも突然だ。
今朝、小雨の中、8時すぎに車が止まる。ペンキ屋さん?と聞くと、そうです、これからペンキ塗ります、という。雨のなかでも塗れるの?と聞くと、このくらいならできます、という。
ペンキをぬらなければならないところは、屋根の下だから、直接濡れるわけではない。


10日から18日までの工事自粛期間(この期間の設定はわが別荘地管理事務所が設定したもの)を終えて、19日に現れると思っていた大工さんは、結局21日朝に現れ、残っていた部分をさっさとすませ、これで私の仕事は終了、と宣言して去っていった。
ペンキ塗りは?と聞くと、ペンキ屋さんがきます、という。

分業であることはわかっているが、どういう連絡がなされ、我が家の工事がどう進行していくのか、私への説明はない。
時折、会長さんと呼ばれている棟梁が現れるのだが、ふんふん、と工事の進行をチェックはするのがだ、進行状況、予定などの説明はないままに去っていく。

今日は軽井沢へ出かける用事があったので、ペンキ屋さんの仕事を見届けることなく留守にした。
かえって来るともう足場も片付いている。白木であった部分は、こげ茶のペンキが全部ぬられて、ペンキ屋さんは無事、仕事を終えて帰ったらしい。
午後、雨の中、解体された足場が、別の業者によって撤去された。

おそらく、次は会長さんが請求書をもってみえるのだろう。その内容は工事一式で終わりかもしれない。

ベランダの横板の幅違いという問題があって、修理をしない部分との違いはやっぱりおかしい、と同じ幅の木材を手当てしてもらい、大工さんにとっては、余分な仕事となった。
その木材は、工務店側の負担となったけれど、部品代などが明細としてはいっていなければわからない。

悪く言えば魑魅魍魎ともなるが、ここの工事はみつくろいだ。

次には、いつ始めてもらえるかわからないが、階下の和室2部屋、フローリングに変えるという工事も依頼している。
これについては、フローリングの素材、あるいは工期、もっと詳細に詰めることができるように、と望んでいるのだが。

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それではいけません

SOSを出せば、できうる限り早くに駆けつけてくれる若い友人が言った。
お手伝いするのにやぶさかではありませんが、まだ人を頼るのは早すぎると思いますよ、と。

彼女が言うには、肉体的、物理的(金銭はからまない)な問題には、協力・お手伝いをするのはやぶさかではないけれど、こと、頭を使うことなら、少し、自分で努力してみてはいかがですか、毎日、新聞は読んでいるのだから、まだ文字は読み、理解できるでしょう、取り扱い説明書などを読んで、自分で解決しようとまずはやってみては?ということだ。

おっしゃる通りだ。しかし、ずっと昔から取り扱い説明書は読まずに、人に説明してもらう、というやり方にどっぷりつかっていた。
取り扱い説明書は日本語であるとは思っていないこともある。

それにしても、つれあいは偉かった。私に比べて、という意味だが、赴任地ではそこの言語での取り扱い説明書になるのだが、一生懸命取り組んでいた。
それに比べて、母国語でもダメな人間の私は、傍で辞書をひくという程度の手伝いしかできなかった。

肉体的な機能低下については、友人が認めている。脚立などには絶対乗らないで、と言われ、それに従っている。
文字によるものは、自分で解決を図るべきなのだろうか。

つれあいが亡くなって2年半、ビデオを見ることなく、録画をすることなく、ただテレビとして見るだけにとどめていたのを、信じられない、と友人は言う。
スマホにしても、ガラ系以下の機能しか使わない、なんともったいない、と言われっぱなしだ。

それではいけません、と何度いわれたことか。しかし、脳のキャパシティーも確実に落ちている。


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エラー発生

10日ほど前、パソコンの画面に普段ではでないものが出てきたりで、カーソルを動かしたせいなのだろうか、メールが入らなくなった。エラー発生とでる。そこをクリックすると、インターネットに接続できていません、と出る。

修復方法というのか、チェックするところが出るのだが、どうすれば修復できるのかは私にはわからない。

このエラーで使えなくなったのが(通常使っているもので)、メール、Yahoo Japanそれにこのブログだ。
メールはどうしてなのかわからないが、携帯には届く。不自由ではあるのだが、まあいいか、とほったらかしにしていた。

周囲の友人というのは、皆さん年配で、携帯をいじるのがせいぜい、パソコンをみていただけませんか?と頼める人はいない。
まさか、東京から友人にまた出張してもらう、というのも気がひける。

でも1週間を超えると、やっぱり正常ではないことに不自由を感じるようになる。
村の若い友人からメールが届いたのをチャンスと、彼女にちょっとだけ来てくれない?とお願いした。

どこをどうしたのやら、1分くらいで、はい、これでインターネット接続できましたよ、という。

これからいよいよIT化がすすめられるというののに、こんな状態ではどうしようもない。
あなただけが頼りよ、というと、そう頼られても困ります、私だって、IT化についていけないんです、という。
あと10年でいいから、と嘆願だ。

こうなると、なんとか大臣が、ITも管轄していたのに、パソコンにさわったこともない、と言って顰蹙を買っていたけれど、同情を禁じえなくなる。
ITを使えない人間は人間ではなくなるのか、そんな危機感すら覚えてしまう。

現物主義だから、現金での支払い、あるいはお店での買い物、と旧態の生活スタイルを維持しているのだが、10年もすれば、はい、そこまで、と生き方を否定されそうだ。

旧人類だけ生かされるゲットーに押し込められそうな、そんな予感もする。
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高齢化時代用語集

この頃、週刊誌の広告をみていて、高齢者を2分する表現に注目した。

最初の分類は「健康寿命」と「資産寿命」である。
健康のままで命を終える、つまりぴんぴんころり、の生き方に対するといえば、どう表現していいかわからないが、ベッドに寝たままで、いろんな延命装置をつけながらの終わり方となるのか、と思っていたら、資産が寿命を決定する、という「資産寿命」なる言葉が使われるようになった。

そして今、優雅な生活を送る「上級高齢者」と「下級高齢者」なる言い方がよくつかわれる。
「上級高齢者」の定義なるものは、まだないのだろう。新しい造語だ。意味するところを想像するに、預貯金、不動産などの資産のほかに、高額の年金を受け取っている高齢者のようだ。
「下級高齢者」は資産なし、年金も低額で、それだけでは生活できない高齢者を言うらしい。

この中間の表現はないのだろうか。日本が総中流といわれた時代、それがそっくり高齢者に移ったとすれば、「中級高齢者」という中間層をつくらなければ、上級と下級だけで分類できるものではない。

まわりをみれば、そこそこの年金はもらって、日々の生活には困らないけれど、配偶者、とくに主たる年金受給者の夫が亡くなれば、遺族年金では不足することになる、という世帯は多い。
いくばくかの預貯金もあるけれど、2世帯住宅の建設、あるいは古い住居の修理、といった多額の出費で、預貯金のほとんどを使ってしまった、という世帯もある。

一挙に下級までは陥落しないけれど、宙ぶらりんで、不安定な家計だ。
多くの高齢者が、先々、身体が不自由になったら、施設に入居して、という希望を持っていたようだが、今や、手持ちの資金ではいれる施設はなく、高額な入居費用がいるところばかりになったようだ。

時代とともに言葉は作られる。ネットをしない私にとって、週刊誌の広告は貴重な情報源であるが、こういう言葉が、年末の現代用語集に残っていくのだろうか。
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ウグイスの戻り啼き

ウグイスの鳴き声が聞こえた。8月である。でもホーホケキョと啼いている。
昨日からちょっと鳥たちの様子が変わっている。

昨日、早朝とはいえないが、6時ごろ、まだ涼しいうちにベランダに小鳥がきているのがみえた。ベランダのエサ置きにきて、エサを探している。
何の鳥かはメガネなしでわからなかったが、すぐにエサを置いた。まわりの木々に鳥たちの姿がみえる。

戻ってきたのだ、とうれしくなった。晩春から鳥たちは姿をみせなくなる。もっと高度のあるところで、夏をすごしているのだろう。その鳥たちが戻ってきた様子なのだ。

まだ警戒心が強いのか、あるいは昼の間は暑いから行動しないのかもしれない。エサはそのまま残っていたのだが、今日、夕方何気なくみてみると、すっかりなくなっていた。

Welcom backと声をかけたいけれど、姿はみえない。そこに、ウグイスのホーホケキョが聞こえたのだ。ウグイスは我が家のエサは食べないけれど、一緒にもどってきたのかもしれない。

遅い梅雨明けから、毎日、湿度の高い、30度の日々が続いている。しかし、鳥たちは彼らの感性で、季節の移ろいを感じ取ったのだろうか。

エサ台にきた、ということは、かっては我が家のエサを食んでいた鳥たちかもしれない。

いつの間にか、庭の草花が変わっている。この暑い日々もあっけなく終わるのかもしれない。
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