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国際会議の裏方

G20が終わった。会議に関係した方たち、どうもお疲れ様でした。
今回の会議が成功裡に終わったのかどうか、宣言を読んでいても私には判断がつかない。けれど、こういう国際会議を見ていると、なんだか血が騒ぐ。

昔、外国の機関で働いていたためだ。当時はG7、いわゆるサミットが始まった時で、G20というのはなかったけれど、フランスの大統領、ジスカールデスタン氏の提唱で始まったサミットは、最初フランス、そして順繰りに参加国が主催地となるのだった。
従って、日本が主催国になると、私の働いていたところも、本国の大統領をはじめ、大勢の人が大挙して押し寄せた。当時は首脳の会議と外務、財務・経済、産業などの閣僚会議も同時進行であったため、盆と正月が一度にきた、以上の大騒動だった。

現地職員、そして下っ端、たいした仕事をするわけではないが、やっぱりそれなりにローテーションの中にはいって、仕事量も大変なものだったし、ミスは許されない、時間には追われると、緊張感でくたびれた。

しかし、こういう緊張感は張り合いもあった。自分も歴史に参加しているような気持ちになれるのだ。
当時はまだワープロもない時代、タイプで資料を作成していた。自分の打った資料が、もしかしたら、大統領、大臣たちの目に直接触れるかもしれない、と思うと、タイプミスをしてはならないと、本当に緊張したことを今でも思い出す。

クーリエと呼ばれる人が、お偉方の手元に届けるのだが、資料にきちんと目を通す人、そのままほったらかしだった人、必ずしも我々の仕事が認められるわけではなかった。

このG20に、どんな人たちがかかわったのか、表には外務省やら警備の警察などが出てくるけれど、それはそれは末端まで多くの分野、大勢の人が長期間かかわってきているのだろう。

本当にお疲れ様でした。

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プラスティック問題の矛盾

極小プラスティックの問題が脚光を浴びて、その後、プラスティックそのものが問題視されるようになった。
日本でも来年4月から、スーパーやコンビニでのレジ袋の配布禁止、有料化が図られるという。

日本でもいくつかのスーパーではレジ袋がすでに有料化されてもいるが、フランスではとっくに有料化されていた。住人としてではなく、旅行客としてパリのスーパーで買い物をすると、レジ袋をくれない、要求すると、何サンチームだ、とレジ係が言う。
そうしてみると、ほかの買い物客はちゃんと買い物袋やゴロゴロ押す買い物車を用意している。

ほんの10円にも満たない金額でも、日本だったら無料なのに、ほしいだけもらえるのに、とへんなケチぶりを発揮したものだ。

こんなにプラスティックを多用するようになったのは、いつ頃からだろうか。以前、ごみの分別が厳しかったときは、生ごみは紙の袋にいれ(よく水分をきる必要があったけれど)、プラスティックとは別に捨てていた。
それが、いつしか燃えるゴミとして一緒に捨てられるようになったころから、紙からプラスティックへと、買い物袋が変わっていったのだ。

今の動きをみると、昔、紙が大量消費されていた時代の危惧を思い出す。紙は木材・パルプから製造されるため、このままいくと、地球上の森林が消えている、という危機感があおられ、割りばしもマイ箸を持参する、とか新聞は回収して再利用、なんせ紙類はすべて資源ごみとして分別されていた。

一応、社会派を自認する身として、現在のプラスティック問題も無視はしていない。スーパーの買い物にはマイバッグを持参するし、毎日のコンビニでの新聞購入についても、プラ袋は辞退する。
どうしても余儀なくいただいた袋は、必ず再利用はして、ごみとする。

しかし、現代では、なんと気楽にプラスティック製品を使うことか。一人暮らしを便利にするためには、欠かせないものに、ラップがある。残り物にカバーとして使い、また買い物をしたあとで、1回分ずつにわけてラップする。
アフリカにいたときは、そのラップを洗って、再利用、再再利用もしていたけれど、日本ではとてもそこまでいかない。
調理や下ごしらえにもプラスティック製品が便利である。

どこまで使用を少なくできるか、知恵は使おうとするけれど、考えるのが面倒、という年齢にもなってきた。

便利なもの、便利な生活にはやっぱり犠牲がある。
エネルギーについても同じだ。昔には考えられないほどの便利さを享受しているけれど、空気を汚染し、排出物で地球を傷めている。原子力発電など、その最たるものだろうし、火力、水力、風力、太陽熱、潮力、なにもかもがマイナスの部分を持っている。

この人生、残すものは少ないけれど、マイナスはなるべく少なく、と思いながらの日々、窮屈でもある。

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待ち遠しい偶数月の15日

昔は給料日が待ち遠しいものだった。月末25日、お昼休みには銀行に行って、ATMで入金があったかどうかを確認、早速いくばくかを引き出して、ランチに出かけたものだった。
月末日にはもう引き落としはなにやで残高はゼロに近く、うたたかの口座プラスだったものだ。

今では偶数月の15日、この日が待ち遠しい。つれあいが生きている間は、そう感じなかったのだが、亡きあとは、もうこの年金だけが頼りです、という生活だ。

今月は特に待っていた。というのも、マクロ経済スライドなる制度で、今月から0,01%のアップがある、と報道されていたからだ。
0,01%がいくらになるものやら、雀の涙か燕の涙か知らないけれど。微々たるものに違いないだろう。でもマイナスに慣れたこの頃、プラスというだけでもうれしいではありませんか、と自分に言い聞かせている。

支給日を前に、年金額改定通知書というものが送られてきたのだが、なんだかわからない。
これは通帳に振り込まれた金額で比較するに限ると、15日を待ちわびていたのだ。

私が受け取る年金は3種ある。3種類も受け取っているというと、相当の額を受け取っているように思われそうだが、これは今の年金制度で、配偶者が死亡したとき、配偶者の年金を遺族年金として受け取れるようになるのだが、その金額は、本人の年金額をまずメインとして、不足分を遺族年金として追加されるというシステムで、ちゃんと高額にならないよう調整されている。

今回、亡夫からの遺族年金については300円ほどのプラスとなっていた。
ところが、私自身の年金は5000円ほどのマイナスである。
なんてことだ!スライドならなんでマイナスになるのだ、と怒り狂って、お金の問題に詳しい友人にも電話する。

友人いわく、「税金があがったんとちゃいますか?」
「税金がかかるほどにはもらっていません!」
「それじゃ、介護保険はどうですか?」

それで納得。先月だったか、急に介護保険の金額が増えていた。
年金が増額されて、介護保険のランクが上がった可能性がありますね、という。

そんな馬鹿な、と言いたい。が、介護保険は強制的に前払い、年金から差し引かれている。

しかし、プラスになると言いながら、それでこれだけ減額になるなんて、詐欺にも等しい、いや立派な詐欺だ。

政府はえらい。ちょっとだけプラスにしておいて、国民健康保険料や介護保険保険料で、しっかり取り戻している。
なんていうと、保険は国民のためだ、と言われそうだ。

まだ入金のあった6月14日から数日だが、もう気持ちは8月15日を待ちわびている。

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麻生財務相の年金

2000万円問題で、国会で野党議員が麻生財務相に彼の年金を質問していた。
麻生さんらしい、そっけない、人を馬鹿にしたような返事であった。
本人は知らない、という。

国民がこんなに問題にしているのに、と野党議員はその発言を問題視する。

しかし、麻生さんみたいなお金持ち、まず年金を受け取っているのかどうかも疑問だ。
受け取っていない可能性だって大きい。あれだけの収入のある人が年金も受け取れるというほうが矛盾のように思うけれど。

平均値が出されると、それが国民の100%ではないけれど、大部分がその数値で生活しているように思いがちだが、実は生活圏で大きな差がある。
新聞やテレビなどの広告をみてみればよい。1回100万円を超えるというクルージングが申し込みが多いとか、豪華列車のたった2泊3日や3泊4日くらいで一人70万円などというチケットへの申し込みが殺到しているとか、それはほとんどが現役ではなく退職者という話だ。
それを考えると、全員が年金を頼りにしていても、それだけではない生活を送っているのがみえる。

昔、百万長者という表現があり、大金持ちのことだったけれど、いまでは千万ではフンといわれそうな時代だ。億万長者もすぐそばにいるわけではないが、ざらにいそうな世の中である。
月5万の不足、年間で60万、20年間で1200万円、これですむわけではないな、と考えながら、麻生さんは日常、どんな単位で自分のお金を考えているのだろうと考えた。

鳩山家や石橋家は、お金の管理をする会社までもっている。きっと麻生家もそうなのだろう。
そういう財務大臣がいることは日本にとって幸か不幸かはわからないが。

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東京はよく歩く(追記)

書いた当日、エラーで送れなかったためか、最期が切れていた。

ヘルスケアでは7,4キロメートル、歩数にして10511歩であった。
別荘地の散歩の2倍以上の数値である。
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東京はよく歩く

今日は東京日帰りをしたのだが、まあよく歩いた。
まず、東京駅、階段を下りるのに、人が多くて、いつもなら、一段一段、脚をそろえて降りるのだが、そんなことをしていたら、流れを乱してしまう。
せめて手すりのそばを、人の流れにのって降りた。降りることができた。

なぜか、今日のメインの目的、友人とのランチだが、その約束の時間より、1時間半も前に東京駅に着いた。銀座のデパートでも覗いてみるか、と思っていたが、そうだ、京橋の友人にあっていこう、と思いつく。
電話をかけると、事務所で待っている、という返事。

東京駅から京橋というのは、交通手段があるのか、ないのかわからない。いつも歩いて行っている。今日ももたもたしながら15分か20分もかけて歩いた。

京橋から友人との約束の場所、銀座4丁目は銀座線で1駅だ。京橋の友人は、銀座なんて、すぐそこじゃないか、歩け!という。同い年の友人がそう言うので、よし、がんばって歩いてみよう、となる。

今日の東京は湿度が高くて、暑かった。汗だくになって4丁目に着く。結局、東京駅から銀座まで歩いたことになる。

銀座のあとは、パレスホテルで、また別の友人に会うことになっていた。丸の内線で大手町にでると、パレスホテルに通じた出口があるから、と教わっていたが、大手町というのは出口が多くて、やたら歩かせる駅だ。
パレスホテルの出口、C13までしっかり歩いた。

帰りは東京駅、丸の内線で大手町から東京駅まで1駅だけれど、歩いたってそうかわらないわよ、と同じ、東京駅から帰る友人が言う。
がんばって歩いた。

スマホのヘルスケア、

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働けど、働けど、楽にならざる

若いころは、安い給料で働いていたので、生活は楽ではなかった。ただ、そんなに酷な労働条件ではなかった、どちらかといえば、デスクワークだったので肉体的には楽だった。
それでも、いっちょ前に、労働条件に文句をつけ、正社員との格差、日給月給がゆえの5月や1月の給料の安さなど、文句たらたらの仕事ぶりだった。

それに比べれば、今は働かざるのに、座して年金を受け取れる年齢になった。楽ではない。しかし、働ないのに食べられるという事実には感謝そのものだ。

そして、若いころ、自助努力とか、自己責任において、などと、自分の実力もしらず、フリーで働くことが理想だった。
そんな意識で働き始めた外国機関も、ずいぶんあとになってだったが、日本の社会保障制度、つまり厚生年金、健康保険、失業保険などに加入してくれ、特に厚生年金は、ありがたかった。
期間が短かったので、生活全体をカバーできる金額はもらえない。国民年金分とあわせても、今回、夫婦2人の平均受給額という金額の3分の1よりちょっと多い程度である。

退職後の生活を全額カバーできる年金を得られる人は、ごく限られている。特殊な政府機関、たとえば日本銀行などは年金が相当いいらしい。

しかし、テレビのインタヴューなどみていると、年金では生活できませんよ、とことさらいう人もいる。年金で生活全体をカヴァーしようというのは、そんな特殊な年金を受けられる人に限られている。

足りない分をどうカバーするか、そこが知恵の使いどころだが、若いころはどうにかなるさ、というのんきさと、給料自体が少なくて、とても貯蓄に回すゆとりがない。
給料があがったら、上がった分をそのまま貯蓄に、と家計の評論家などはおっしゃるけれど、もともとぎりぎりの生活をしているのに、貯蓄だなんて、とギリギリをきりきりくらの生活にしてしまう。

生活は、緩め始めればきりがない。特に我々はバブルの時代を経験している。どこからあんなにお金が湧いていたのか、給料は安いままだったが、まわりが派手になって、毎日レストランで外食、2次会、そしてタクシー帰宅。

バブルは意識に染みついたのかもしれない。年金生活者になっても、なぜか生活が緩んでいる。
東京へ行くのも、一番安い方法ならバスというのがあるが、新幹線を利用する。
東京で、さすがにタクシーは使わないけれど、1駅くらいは歩いていたのに、地下鉄を使う。
脳の活性化と称して、外国旅行に出かける。今ではエコノミークラスだが、一時期はプレミアムエコノミーを使っていた。

だんだんに生活を締める方法を体得してきているものの、どう考えても、2000万円で35年の生活不足分の補てんはできない。慶弔、病気、自然災害、自宅であれば補修、いろんな特別出費がある。保険で賄おうと思っても、保険は必要なものに必ずカバーしてくれる、と期待してはならない。
とうとう、病気のための保険は解約した。月額1万ほど払っていても、保険がでるほどの病気はいまのところしないからだ。将来はわからないが。将来のうん万円より、今の月1万円がもったいない。

5月6月で、合計300万ほどの出費があることになった。これをもし2000万円じゅんびしておいたなかからだせば、90歳までは生きていけない。資産寿命はあっさり85歳に落ちてしまった。

まあ、くよくよしてもどうしようもない。働かなくて生きていける現在を享受していけばいい。

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カーラース、なぜ来るの?

5月初め頃からだろうか、カラスがとても近くで飛び始めた。
別荘地の下のほうでは、越年でいるのだが、5月、人が多くなったころに引っ越ししてきた。

カラスは好きではない。真っ黒で大きく、なにかがあって対立することがあれば、負けるにきまっている。
高い木の上で、カーカーと啼いているだけで威圧感充分だ。それが庭におりてくる。

特に1羽のカラス、特定はできない、みな黒くて、姿は同じにみえる。それが、北側の庭に出没する。
伐採した赤松の切株を、ちょんちょんと跳び、何かの遊びかゲームをしているようにみえる。
私が庭仕事をしていても遠慮はしてくれない。

私が遠慮する。なんせ怖いのだ。

何が面白いのだろう。庭に昼間、小動物が現れるわけでもなく、もぐらも姿を隠している。エサを求めてというわけでもないようだ。
すぐそばにくるけれど、ヤマガラのように亡きつれあいの名をつけて呼ぶというような気にはとてもなれない。

なるべく目があわないように、カラスがくるとそそくさと庭仕事を切り上げる私は、カラスにとって何になるのだろう。

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病院は大繁盛?

久しぶりで病院へ行った。もちろん、診察をうけるためだ。
2月ごろから喉と鼻がおかしかった。そのころは花粉が飛び散るころなので、そのせいか、と放置していた。それがまだ続いている。
長く続く不快感、喉の違和感、そろそろ病院へ行くべきかも、と心を決めたのだ。

雨の金曜日、きっとすいているだろう、と思ったのが間違い。駐車場は満車に近い。少し遠いところにスペースを見つけて駐車。
ずいぶん、久しぶりの受診だ。手続きのやり方も忘れている。

受診する耳鼻咽喉科の待合室は、ほかに3つの科との合同待合室だ。もう人であふれている。
何時から受け付けているか知らないけれど、ずいぶん待つことになりそうだ。

この病院は、わが住所から最も近い総合病院だ。亡くなったつれあいもしょっちゅうお世話になっていた。
ここの耳鼻科にかかったとき、つれあいの病気がIgG4という難病かもしれない、と可能性を言ったのは群馬大学からの医者であった。
それからつれあいの闘病が始まったといえる。
そして、群大病院を経て、この病院へ転院、最期の刻を迎えたのだ。

ひたすら呼ばれるのを待っている間、思いが及ぶのはそんな悲しいことになる。

穏やかそうで、気の短いところもあったつれあいは、この待合室で長く待たされるのが我慢できないようだった。混んでいるので、私は1階の受付のところで待っているのだったのだが、あまりの長さに耳鼻科の待合室へと様子を伺いにいくと、つれあいは鬱憤を私にぶっつけてくるのだった。

あのときのつれあいの気持ちがわかるなー、と今頃になって理解している。

結局は、山の中に住んでいることで、花粉症が続いている可能性、今だとアカシアや栗の花が花粉を飛ばしている、および、年齢相応の現象でしょう、という診断であった。

つれあいの難病を見つけてくれた診療科だから、その診断に不服は申し立てないけれど、年齢相応は、どこの科でも言われる、いわば万能診断だ。

まだまだ8分は席が埋まっている待合室、これだけ繁盛していて、病院が赤字とは?

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あなたならどうする、私なら

川崎、カリタス学園の事件のショックが生々しく残っている時、次に、元農林事務次官が息子を殺すという事件がおきた。

令和はbeautiful harmonyという意味だというけれど、なんのことはない、血に塗られたスタートでもある。

カリタスの方は、犯人が自殺、その動機をつきつめることができないでいる。
わかっていることは、伯父伯母と同居しているけれど、まったく交流がなかった、つまり”ひきこもり”であった、ということである。
今のところ、この伯父伯母に責任を追及する声は聴かれない。

ところが、その直接の影響ともいえる事件がおきた。
やはり引きこもりである息子を、高級官僚であった父親が包丁で刺殺したというのだ。
ここで、息子は殺されたけれど、父親は生きており、その理由などはきちんと供述しているらしい。

カリタスの事件が引き金になっている。カリタスが再度標的になったわけではないが、近所の小学校を襲うというような発言があって、父親はそれよりも、と殺すに至ったのだとか。
また家庭内暴力もひどかったという。

それにしても、息子を殺すことはなかっただろうに、どうして行政に相談しなかったのか、などと、識者や引きこもりを担当している人たちからの声もでている。

しかし、精神異常と診断されたわけではない人間を、その危険性があると警察に訴えても、すぐに拘束といったことはしてくれないだろうし、まずは精神科での診察を受けて、といった助言を与えるのがせいぜいではないだろうか。

父親はきっとそんなことではすまない緊迫した状態を認識していたにちがいない。
暴力の程度や頻度は相当ひどいものだ、という情報はあるが、当事者でなければ、それがどちらかの死を覚悟しなければならないものとは認識できないだろう。

父親にしてみれば、息子を殺さないで起きうるかもしれない悲劇を避けなければならない、という義務感もあったのだろう。

官僚ではトップという事務次官、そして外務省に出向しての大使、そういうポストを経たひとの判断は安直なものではないはずだ。

人生は本当に何がおきるのか、そんな場合に私ならどうするのだろうか。
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