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年号について思うこと

毎日、平成最後のなんとか、という言葉を聞いている。時には、新しい時代が、もっといいものであることを願っている、なんてことを平気で口に出される人もいる。

今上天皇が言われるように、平成は戦争(直接的な)がなかったという、たぐいまれな時代であったのに、自然災害が多かった、というので、それが平成の特徴ととらえている人も多いのだ。

私はそもそも年号廃止論者なので、どんな年号になろうと、カンケイナイ、と思ってもいるのだが、日本にいる限り、日本人でいる限り、そうとも言えないのはわかっている。
平成何年になるのか、忘れてしまったが、外国にいたつれあいから、婚姻届けが送ってきた。それを東京、私が住んでいる区の区役所に提出して婚姻成立となるので、証人になってくれる友人と一緒に区役所に出かけた。

つれあいからの婚姻届けには、平成という表記のままであったはずだが、友人と私は年号否定の思想を持っているので、それを西暦に書き換えていた。
区役所の担当者がこれでは受け付けられない、と受け取りを拒否した。
友人と私は、主義を貫くか(婚姻をしない)、妥協するか、いったん外にでて相談したが、これを決めるのは私自身であって、友人ではない。結局は妥協した。

日本の役所へ提出する書類が、必ず年号であることは、それ以来、身に染みた。
その後、免許証でもそうだが、裁判所関係で仕事をしていたとき、また遺言書を書いたとき、それの最期に日付けを西暦でいれたら、弁護士から叱られた。その弁護士いわく、共産党の弁護士だって年号で書くのだと。

もうそのころは抵抗をあきらめていたので、すんなりと年号を書き込んでいたものだ。

昭和は生まれたときからそれだったから、好き嫌いを言えなかったが、平成に変わった時、これだけ影響のあるものを、上から押し付けの形で決めていくのだな、と思った。
平成と発表があって、すぐにフランスの友人に電話した。日本語がわかる友人だったが、平と成を別々に説明となると、あわてていたこともあるし、難しかった。平成も、出典などわからないうちに電話したので、説明に窮した記憶がある。

令和、これは英語ではBeautiful Harmonyと説明するのだそうだ。
令については、好意的な人と、高圧的と嫌う人がいるとか。私は後者だ。
命令、令状、法令、号令、なんだか上から目線を感じる。よい、という意味もあるそうだ。また尊敬して、その身内を言う、たとえば令夫人、令状、令息、令室、令兄、令姉などがあるわけだが、これについても、なんだかいやな気分がある。

つれあいの関係で、ちょっと公式な招待状などいただくことがあったけれど、つれあいの名前のそばに令夫人とあるだけだ。私の名前はない。個性もなにも必要としない令夫人ですむ。
これが私が主人公で、つれあいが付属であるとき、令夫とついてくることはない。

明治以来、字画が少ない漢字というのも、書きやすいという利点はあるけれど、なんだか軽い。
引用された万葉集の梅の和歌の序文というのなら、淑という漢字もあった、令淑でもよかったのでは?と思う次第である。

年号は天皇のおくり名にもなるのだろう。今上天皇はいつか平成天皇と呼ばれ、これから即位される皇太子も令和天皇となられるのか。

令和の次の年号まで生きているのかどうかはわからないが、昭和、平成、令和と3代は生きていくのだろう。
母は大正元年の生まれだった。大正、昭和、平成と3代を生きた。つれあいは昭和、平成の2代で終わった。100歳をこえた110歳以上の方だったか、明治、大正、昭和、平成から令和までの5代をいきようとする人もいるらしい。
数字に弱い人間だから、またまた西暦と年号で苦労しそうだ。

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