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ルワンダ大虐殺から25年

25年前の4月7日、ルワンダでの大虐殺が始まった、とニュースで扱っていた。
1994年のことなのだ。

それから3年後の1997年、私はその隣国に赴任した。
はじめてのアフリカ駐在だった。

ルワンダの大虐殺、一応終結して、その虐殺を主導した人たちがハーグの国際司法裁判所で裁かれる、といったところでのアフリカ行きだった。

同じ隣国でも、川を隔てたところにある国もあれば、ルワンダは距離があった。
だからその影響がないか、ということはない。ルワンダから逃れたひとたちのキャンプが国境沿いの赴任国側にあり、またそのキャンプの住人が、虐殺を逃れるためにきた人たちから、虐殺に携わったほうの民族が、報復をおそれて逃れてきている、というふうに、住人がかわっていた。

私が住んでいた首都は遠く離れていたので、キャンプをみることはあたわなかったが、首都にもその対立はあった。

はじめてのアフリカで、だれがツチ族なのか、フツ族なのか、どういう違いがあるのか、まったくわからない。
西欧やアフリカの人にとって、日本人、韓国人、中国人の区別がつかないように、私には申し訳ないが、同じ黒い肌である、ということしか認識できなかった。
身長や、頭の形など、けっこうわかりやすい、と長く滞在していたシスターは言われていたが、さて、この人はツチ、あっちの人はフツ、と言われても、どこでわかるのだろう、と思っていたのだ。

でも、3年たっていても、ルワンダではないのに、なにか、緊張感があったのを覚えている。町中に行く、という勇気がなかったので、人通りの少ない自宅周辺ではなにも感じなくてすむはずなのに、ぴりぴりした空気があった。
メディアというものが未発達だったし、インターネットもなかったので、人のうわさがメインの情報であったけれど、町中で、ツチとフツの人たちの争いがあった、などという話をきくこともあった。

25年を経て、ルワンダは大きく変わっているという。とうとう行くことはなかったので、比較どころか、何も現地情報はもっていないのだが、人的資源が豊富で、女性の社会進出も世界のトップレベルであるのだそうだ。

マシェットという道具がある。半円形の刃物で、草刈りなどに使うのだが、それが殺戮に使われたと聞いていたので、庭師がそれを使うのがこわかったことも覚えている。

アフリカはいろんな悲劇の舞台だった。
ルワンダの大虐殺は、それらの一つでしかない。

25年から30年へと、平和な年数がずっと続きますように、と心から願っている。
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