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広い家に泊まる不都合

今回、フランスで泊めてもらったのは、亡くなった代父の甥の家である。
これまで、食事には数回招かれていたものの、泊まるというのは初めて、ちょっと以上に緊張した。
パリの中心地のアパートメント、200平米以上あるというが、ゲストルームはどうなっているのだろうか。

きちんとしたゲストルームはなかった。入口近くの甥の書斎が私にあてられた。私にというより、そこをゲストに使わせるようになっている。甥のデスク、パソコン、本だな、書斎として実際使っているようだが、ソファーをベッドに仕立て、また、部屋の奥にはシャワーとトイレ、洗面台がついている。
しっかり独立した部屋だ。

この家は、サロンがとても大きく、それに続いて、食堂もある。食堂から続きに台所があるが、これも広い。そしてその奥がプライヴェート部分になっていて、夫婦の寝室、子どもたちの部屋、子どもたちのバスルームなどがあるようだ。

これだけ広いと、人気が感じられない。だれがどこにいるのか、特にプライヴェート部分に引っ込まれてドアでも閉まっていると、物音もしない。

夫婦に子供といっても成人の2人、それぞれが自由な生活だ。朝、朝食が一緒というわけでもない。朝、甥は7時すぎに朝食なしで出かける。甥の妻は見送りをすることもない。
私は一人、いつ、どういう食事をとっていいのか、困ってしまった。
お茶を飲むなら、ティーポットでお湯を沸かし、とかコーヒーメーカーもこれよ、と教えてもらったけれど、どうも自信がない。
誰か起きてきてくれないか、と奥をのぞくけれど、しんとして物音ひとつない。
となると、こちらも音をたてるのをはばかる。

日中においても、鍵をもらったので出入りは自由だが、どこに行ってきます、何時頃帰ってくるつもりです、と言いたくても、だれも出てこない。
帰ってきても同じだ。だれか在宅しているのかどうか、気配もしないのだ。

日本だったら、玄関に履物があるかどうかでわかるけど、とか、広くて声が聞こえない家なんて、いまどきないよ、などと思う。

パリのアパートもだが、ソローニュの別荘はもっと広かった。20ヘクタール以上ある敷地、家屋は550平米あるのだそうだ。
上階に家族の部屋があるというが、そちらは案内されず、下のゲストルームの一つに案内された。ゲストは私だけだ。真ん中に大きな暖炉を供えたサロン、ゲストルームの反対側が食堂と台所だ。
かくれんぼでもすれば、だれも鬼になりたくないような家だ。階段はいくつかあり、隠れた小部屋もありそうだ。
それに、プールのそばの小屋や、甥の妻が陶芸をする作業場、それにロバのための小屋もある。

Je vous laisseとゲストルームに案内されると、もうあとは一人きりという状態だ。
甥はどこにいったやら、暖炉のための薪を準備しているのやら、ロバにエサを与えにいったのやら、これなら、ヒッチコックのスリラー映画だってできそうだわ、と一人でどうしようもない。

私はここにいます、とはっきりさせるため、サロンのピアノを弾くことにした。ひどい音でも、聴く人もいないような状態だから、迷惑をかけようがない。
そうすると、名演奏に惹かれてか、サロンの外にロバが現れた。甥がつれてきたようだ。
このロバは、代父の息子が南仏から連れてきたものだという。バンザイとチャーリーという名なのだそうだ。

生き物は苦手なのだが、甥が彼らはおとなしくて、触っても平気だよ、というので、おそるおそるさわってみる。久しぶりに人間の感触を喜んでか、わたしにすり寄ってくる。
エサを期待しているんだよ、とポケットあたりをさわるロバに、甥から渡されたエサをやるといよいよ迫ってくる。

ロバはいいよ、ほったらかしでいいからね、と甥は忙しくうごきまわる。まずは暖炉を焚かなければ、と大きな枝を数本、暖炉に投げ込む。
日本の小型の暖炉しかしらない私に、大型の暖炉でダイナミックに火をおこすコツなど教えてくれる。

そうしているうちに、甥の妻も着いた。いつ到着したのやら、車の音も聞こえず、入ったのも台所の入り口だったらしい。

そのあとも、私の居場所は、火を絶やさないサロンに限られていた。
せまいところで人との接触が多すぎるというのも気を使うけれど、無人に近い状態にいるのも大変に困惑するものだった。
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いじめ解決策

フランスで泊まった家の息子は29歳、イギリスで働いている。

これまで会ったのは数回にすぎないけれど、なんだかとっても親しみをもっている。
最初にあったときは強烈だった。まだ彼が学生のころだったと思う。
金髪に染めて(元来は栗色)、パンクのような突っ立った髪型、上は90歳から下は60歳というような食事会のなかに一人異端児として存在していた。
私との会話も、まずはイエス、ノーをはっきりさせてくれ、と迫ってくる気の短さだった。

それから何年になるのだろう。すっかり大人になっている。髪も自然の色に戻しており、ちょっと髭があるのが気になる程度だ。

お茶を一緒に、とサロンに紅茶を運んでくれた。
Brexiteのあとも、ロンドンに残るのかと問うと、イギリスのほうが住みやすいからね、なんせ14歳のときに放り出されて、それ以来、ずっとロンドン住まいなんだから、という。
放り出されて、という表現が気になった。

14歳の時となれば、本人の意志より親の意向なのだろうが、それからずっと、大學もイギリスとなると、それが彼の選択でもあったのだろう、と思っていた。

なぜ、イギリスの学校にしたのか、ずっと疑問だった。彼の妹も同時にイギリスの学校に変わっているし、ボーディングスクール(寄宿制)にいれたのは、国際的教育を与えたいという親の考えなのだろうと思っていた。

それが学校でのいじめ対策であったことを、今回初めて知った。

24日の夕食に招かれたロシア人夫妻、常はロンドン住まいである。会話の中で、彼らの子どもはボーデイングではなく、自宅からの通学であることはわかった。
学校事情など、息子や娘がいろいろな経験談を話している。
その中で、母親が、フランスの学校で、自分がポーランド人だったがゆえに、息子と娘がいじめの対象となり、イギリスの学校に入ることでいじめから抜け出したのだと説明していた。

フランスの学校におけるいじめも、けっこうきつくて、しんどい思いをした話はよく聞く。
ここの息子に娘は、頭もいいし、そういういじめの対象になるとは思いもしなかった。

彼らの両親が、イギリスでの学費を負担できる財力があるがゆえに、親の意向なり見栄もあろうか、と考えていたのだが、いじめが背景にあるとは思わなかった。

イギリスのボーディングスクールではどうだったのか、そこまで聞く時間はなかったけれど、そこではうまく適応できたのだろう。

もうフランス語より英語のほうが楽だよ、という息子、すっかり英国風になったのか、クリスマスプレゼントには紅茶をくれた。

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