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転んだあとの杖:ケガの保険

先日、とある保険会社の社員のかたが、拙宅にみえた。
主たる用件はべつだったのだが、ついでながら、と紹介されたのが」「ケガの保険」である。
添え書きには「70才以上の方への保険」とある。

このところ、病気になる、という心配以上に、ケガをするかも、という心配をしている。
道路から家にはいるのに12段の石段、そして、家の中はひっかかるもの、小さな段差、しっかりあかない扉、地震で一揺れすれば倒れそうな家具や上にのせたものが落ちる危険、なんせ、危険に満ち溢れた家である。

足元がこんなにふらつくものとは知らなかった。階段を降りるとき、しっかり足元を見ているはずなのに、おろす場所が違って、体がふらつく。
毎日が危険でいっぱいだ。

そんなとき、「ケガへのご不安はありませんか?」と問われれば、「あります、あります」と即座に答える。
ケガしないように予防策、というのではない。ケガをしたら、の保険を勧められる。

保険にはなにも加入していない。つれあいを見送って、彼はなにかしら、保険でカバーした部分もあったけれど、別にはいっていなくても、という感が強くなり、私自身の保険は解約した。

この保険、満70才以上満89才以下のお客様向けの専用商品(プラン販売のみ)です、とある。
傷害死亡保険金も出る、ということは、死亡後にそういったお金が払われるのか、受取人もいないのに、と思う。

掛け捨て、一時払い、というのは極めてすっきりしている。

しかし、だ。保険金を受け取るためには、手続きが必要だ。
同居する家族、近くに住む親族がいないとなれば、自分自身で手続きをすることになるのだろう。
その面倒を考える。

この頃、手続きの必要なことについていけない。この頃、役所の手続きはだいぶ簡素化されて、印鑑は必要なくなったり、しかし、しっかり本人確認といって、免許証、パスポート、健康保険証などを提示は求められる。
こういう民間の場合は、保険証書や契約書があればいいのだろうか。

保険にはいっても、ケガをしない保証ではないし、ケガなどをしたとき、かかる費用を代弁(全額ではないだろうが)してくれる、だから転んだあとに使える杖みたいなものだろう。
さあ、どこまで必要とするのか、考え中である。
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「佐川君からの手紙」

昨日の朝日新聞朝刊に載っていた死亡欄は、いささかショックだった。
4人の死亡記事があった。一人は俳優、タレントの渡辺徹さん、このニュースは、朝からテレビなどで報道していたのでもう知っていた。

残りの3人、ミレーヌ・ドモンジョさん、フランスの俳優さんだ。
ドウス 昌代さん、ノンフィクション作家。
そして佐川 一政さん、作家である。
佐川氏については、「パリ人肉事件」のタイトルが出ている。死亡されたのは11月24日。
73歳での死亡という。

ちょうど、サッカーで盛り上がっている今、佐川氏の死去について触れるメディアはなかった。
しかし、私は彼の死を知って、とても衝撃を受けた。
新聞記事を引用するなら、「81年に留学先のパリで知人のオランダ女性を射殺し、遺体の一部を食べたとする「パリ人肉事件」で知られた。精神鑑定で心神喪失状態だったと判断され不起訴処分となり、84年に日本に送還された。」「帰国後は作家として活動し、「蜃気楼」「少年A」などの著作を発表した」とある。

そして「劇作家の唐十郎さんが事件を題材に書いた小説「佐川君からの手紙」は83年に芥川賞を受賞した」という。

私はこの佐川氏から手紙を受け取ったことがある。私宛の手紙ではない。
職場へあてた手紙であった。宛先に個人名が記されていなかったり、部局名がはっきりしないとき、郵便物のほとんどが私に回されてきた。
差出人に彼の名前があったかどうか、覚えていない。
白い封筒にはいった封書、縦長の封筒の質はよかったと思う。
何気なく、特別の注意も払わず、ハサミで開けた。
白い便箋、字が上手であったかどうか、覚えていない。きちんとした手紙だったが、すぐに「パリ人肉事件」の当事者からの手紙であることに気づき、手紙を持つ手が震えた。

内容は?覚えていない。何が書いてあったのだろう。
とんでもない人から手紙が来た!!
どうしたらいいのだろう?

判断にこまった私は、この手紙を日本人の上司(上下の区別はなかったから、ただ先輩なのかもしれないが)に届けた。
彼は「佐川氏からの手紙です」という私の緊張した言葉に、すぐに佐川氏がだれであるか理解した。
「誰かほかのひとにこの手紙のことを告げましたか?」「いいえ、だれにも」
「僕があずかりますから、人には話さないでください」

それでおしまいだ。誰にも言わず、胸にしまっていた。

しかし、のちに、友達の家を訪れたとき、友人のご両親と少しおしゃべりをしたが、その時、「佐川さん、パリに留学してたのよね、彼のご両親とはとても親しいの。彼だって、いい子だったのに、あんな事件を起こして」、「ご自宅とは別に、どこか借りて住まわせているみたい」「これからどうするのでしょうね」などと心配げに話された。

あれから40年、どんな生活を送っていたのだろう?

職場にきた彼からの手紙は、上司がどう処置されたのだろう。その上司も2年前に亡くなられた。
彼の作品と、唐十郎氏の「佐川君からの手紙」を読み返してみよう。

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初霜柱、初風花

今朝は寒かった。
野鳥のためにおいてある水の容器の底まで凍っていた。
なぜか、スマフォの天気を開いても、わが住まいの天気予報がでてこない。今日の最低気温はマイナス4-5度ではあったのだろう。

もう亡くなられたご近所の方から、野鳥への接し方を教わった。
自宅の水が凍っていれば、よそも凍っている。鳥たちは水を飲めるところがないかもしれないから、凍っていたら、せめて我々の家だけでも飲めるようにしてやらねば、と。
向日葵の種とともに、新しい容器に水を張ってやる。

今朝は寒かったわね、と新聞を買いにいったコンビニで、寒さ談義をしたあと、自宅に戻って、午前中の散歩に出る。
いつもは空気が緩んだ午後、昼食後に散歩に出るのだが、このように、ぴりっと引き締まった冷気の中の散歩も心が引き締まる。

歩道はコンクリートでなくても、路面が引き締まっているからそうはならないけれど、空き地に白いものがみえる。
雪が降った形跡ではないけど、とよくみると霜柱だ。
霜柱がたつのは、本当に寒くなってのこと。やっぱり今日は寒いのか、と変に納得する。

今日は初めて帽子をかぶってでていたのだが、なにかちらつく。
空は晴れているのに、風はそんなにふいていないのに、雪?

風花が待っていた。
もう12月、雪が降っても、水が凍っても、不思議ではない。
ただ、霜柱は相当寒さが厳しい、という証拠だ。

これから3月末まで、好むと好まざると、この寒さとともに過ごさざるを得ない。
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