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スーダン脱出について

毎日、スーダンの内乱を追っている。
ようやく、邦人の脱出もできたらしい。ほっと一息ついた。
その中で、私が持つ疑問、過去への追憶、そんないろいろをどうしても記していきたい。

まず、即応支援部隊と称される、当事者の一方はどういう存在なのだろう。
RSFと略されているが、なんの略なのか、ちっとも思い浮かべられなかった。
Rapid Support Forcesとなるらしい。そうしてみると、即応、支援、部隊、その通りだ。

なぜ、スーダンには2つの軍隊が存在するのか、そういったいきさつは、まだ勉強中だが、もう一つの当事者について、国軍という表現は使われているようだが、政府軍はことばとしてみない。
なぜ、二つの軍隊が存続し、その資金はどこからでているのか、国軍については国費なのだどうが、ではRSFはどこから資金を手当てしているのか?

今回、大使館の存在がとても薄いような気がしてならない。現地の情報は、NPOの人が一人で担当している。
もちろん、大使館は本国との連絡、現地での他の国々との交渉、情報収集で手一杯、メディアの相手などできないだろう。しかし、ちらりとも出ない。

救援機がジブチに到着した、しかし、スーダンまでは1200キロ、首都のハルツームが両軍の攻防の部隊となれば、ハルツームの空港は使えない。
ポートスーダンまで800キロ(今日は700キロとなっていた)を陸路避難する、という方法がとられている。

結局、日本独自の車列をつくることなく、国連の避難のなかに加わっての脱出となったそうだ。
そこに、アメリカはハルツームの大使館から、ヘリコプターで館員を救出した、とか、イギリスも独自に大使館員を救出した、という情報が出る。
まるで、ランボーの映画を実演しているようだ。

元防衛省の高官であった河野氏によると、日本との差は法律的なところにあり、英米は救援作戦(evacuation)であって、日本は輸送作戦でしかないから、自衛隊員のできることは極めて制限されているのだという。
日本版ランボーは実現できないのだ。

いくつもの情報のなかで、フランスが救援した人のなかに、日本人数名がいた、とか、韓国の救出のなかにも日本人が含まれていた、という報道もあった。
韓国との協力、昨日書いたブログでも触れたが、その昔、アフリカの地で、韓国の方々の親切、やさしさに触れ、心あたたまる思いをした。

日本は韓国のお兄さん、と言って、連れ合いや私のことをとても大切にしてくださった。日曜日のゴルフで一緒にプレイしたり、キムチが好きだと知ると、現地で栽培されている白菜で作ったキムチを届けてくださったこともある。
内乱が収まって現地に戻ったとき、韓国はまだ戻っていなかった。いつになるかわからない、というので、彼らの現地での雇用していた人々の行先を頼んできた。
私の私用の運転手も、その中の一人をお願いした。
現地では、外国人が運転していて事故ったりすると、原因がどうであっても、周囲の人が外国人に対して危害を加えることがある、と現地の人の雇用が勧められていた。

今回もまた助けられたのだ、と思うけれど、それは今の情報で分かっただけのこと。
きっと助け、助けられる関係なのだろうと思う。

世界中にこんな騒動を起こして、国軍とRSF、何をどうしたいのだろう。疑問でしかたない。
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