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スーダンの友よ、無事ですか?

ウクライナの戦争、ミャンマーのクーデタ、イエーメンの休戦問題、世界は動いている、それも騒乱で。
そこにスーダンが登場した。政府と反政府で騒乱が起きているというのだ。

スーダンはもう何年前になるのか、南スーダンの独立で一時期動乱であったが、それ以来のことだろうか。
報道によると、首都ハルツームでは、ライフラインも断たれた場所があり、逃げ惑う民衆の映像もあった。
スーダン人の友人がいる。友人なのだが、この30年近く音信不通だ。

彼女、ナヒドは無事だろうか?と気がかりだ。それよりも生きているのだろうかというのも気になる。

彼女とは東京で知り合った。
ある時、私にはアフリカの友人がたくさんにできた。
はじめはガーナの女性外交官、次はエジプトの女性外交官と知り合いになった。
彼女らの交友関係から、友人の輪がおおきくなったのだ。
ナイジェリアやエジプトの公使、どこの国だか覚えていないが、大使たちもいて、丸外の車で現れるのにはびっくりものだった。

ナヒドはスーダンの次席か参事官だったように思う。
私の住まいと近く、彼女の家で行われる集まりによく招待されたし、週末、おしゃべりに来ない?と誘われていったこともしばしばだ。

彼女が同じスーダンの外交官と結婚し、東京を離れるとき、自宅にあるもので、外交官仲間に譲れないものはすべて、我が家へときた。セカムのテレビもあったし、細かいものでは、掃除用具なども引き取った。

彼女の家に招かれて、こちらからの招待もしなければ、と毎年、テレビ朝日の仲間としていた毛利庭園でのお花見に誘うと、アフリカの外交官グループが大勢きたことがある。
缶ビールを片手に、かわきもののおつまみだけ、という質素な花見だったが、営業の人がお料理をまわしてくれたり、場所のたりないところを譲ってくれたり、提灯がともされた池の風情と夜桜がなんともいえない雰囲気で、日本で初めての花見をした、と大好評を博したこともあった。

ナヒドはその後、配偶者の任地に同行したのだが、私が南仏にいるとき、なにかで連絡があり、ドイツのボンにいることがわかった。
マルセイユからなら一っ飛びよ、と誘われ、遊びにいった。

彼女の夫は、もう外交官ではなかった。反体制側の重要人物であったようだ。
自宅で会合が行われるとき、ナヒドは私に部屋にこもっていてね、と頼んだ。
私も、何語になるのか知らないが、よくわからない言葉で、興奮して討論する彼ら、なにか、明治維新のころの反幕府の運動をしている竜馬たちをみるような雰囲気だった。

アフリカに住んでも、ヨーロッパでとは違い、スーダンに訪問ということもできなかった。まず、彼らがどこで何をしているのか、情報が得られなくなっていた。
一度、ナヒドから電話がかかってきたことがある。アフガニスタンからだった。夫婦で国連の仕事をしている、という話だった。
アフガニスタンから移動するとき、東京を経由することになれば、必ず連絡をするから、と言っていたが、とうとう連絡はなかった。

それ以来、無音である。

彼女はいつも言っていた。一度、スーダンに来てほしい、と。
自宅からナイルが見えるのか、ナイルの川沿いにあるのか、エジプトではないスーダンのナイルをみてほしい、と言っていたのだ。源流は無理でも、ナイルの上流に一緒に行こう、と。

あの約束、今でも心に残っている。
まだ生きているのだろうか?
今のスーダンの政権、反体制派、この30年来、どうなっているのか、フォローしていなかった。
ナヒドの顔は記憶に残っているが、配偶者の顔は覚えていない。

スーダンの映像が放送されるたびに、ナヒドを探すが、彼女も年齢を重ねているのだから、どう変わったのか?心配は尽きない。
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