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脱出前のあれこれ

スーダンにはいったことがない。したがってハルツームの事情も知らない。
首都だけあって、相当な大都市のようだ。

毎日、ニュースの時間になると、スーダンを見逃さないよう、テレビを注視する。
状況は違っても、私にとって、雰囲気にデジャヴュの部分がある。

20年以上前のこと、私もアフリカのある国にいた。
長期政権が倒れ、新しい大統領になってからの赴任で、当初はそれなりに平穏であった。
ところが、ある時から辺境の地で、反乱が続発するようになった。
多民族国家で、国土は広く、国内の道路や通信網というのは整備されておらず、政府というのは、首都周辺だけが統治できている、というような国家であった。
辺境の地の反乱は通常なので、最初はみんな軽くみていた、のだと思う。
ところが、だんだんに首都に迫ってきた。しかし、道路事情は悪いから、まあ、大丈夫でしょう、と思っていた。
それなりに反乱軍も進歩していた。アフリカの中央部分から西へと進軍していたのが、一挙に飛行機で西の都市へと進軍、そこから首都攻勢にでたのだ。

首都が落ち着かなくなった。
ある日、いつも通る道路沿いにある外務大臣の公邸、いつもなら、大勢の人が公邸前にたむろしている、この外務大臣はとても若い人で、大統領とは別の部族出身、部族間の融和をはかるための任命だった、その公邸の前ががらんとしている。人っ子一人いない。物乞いすらいないのだ。
一晩にして、外務大臣が逃亡したというのは、とても危機感をあおるものだった。

つれあいが、国外退避もありうる、というようなことを言う。
私は私できちんと事務処理をするべきことがあった。
外国人女性の団体の役員をしていたのだが、2か月後あたりに予定されているバザーの書類を手元においていた。
退避となれば、どのくらいのことやらわからない。そこで一緒に仕事をしているイギリス人の女性を訪ねた。彼女は退避のうわさも知らず、書類などをあずかってくれた。
ところがである、その翌々日、イギリス人はすべて首都を出たという事実を知らされた。
彼女に電話しても通じない。

その時からである。脱出ラッシュが始まった。
つれあいがあなたも出なさい、という。いえいえ、私はあなたのそばを離れません、とメロドラマのヒロインを演じてみせふ。
トルコ大使が、日本人の脱出については、トルコから救出機がくるから、余席に日本人を同乗させることもできるという申し出があった、などとの話も聞く。

当時は、現在ある自衛隊法の改正よりずっと前で、日本独自の脱出なんてできなかったのだ。
女子供をまずは民間機が運航している間に、ということで、サベナ機の最終便(あとにもう一便運航されたが)で国外に出た。

ライフラインが断たれてしまったり、通常はあふれていた街中の人が消え失せたり、遠くに聞こえていた銃弾の音が急に耳元で聞こえるような感じになったり、あのお尻が浮いた感じを思い出している。

細かいことはもう記憶から消えてしまったけれど、スーダンもいま、こんな空気のなかにあるのだろう。
現地の邦人たちも、救援隊もベストを尽くして、脱出を試みているのだろう。
どうぞ、ご無事で、と思う一方、なんでアフリカはこうなのか(アフリカをひとくくりにすることはいけないけれど、なにもかもがデジャヴュなのだ)、ちっとも時代が変わらない。
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