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Solferino

Solferinoと聞いて、何を思い浮かべるだろう。
私には、フランス、パリ、ミッテラン、そして社会党とくる。
ミッテランが大統領に選出されたころ、在任期間は1981年から1995年の14年間であるが、左翼が強かった。
ミッテラン大統領は社会党出身で、その社会党本部がこのソルフェリノ通りにあったのだ。
新聞などのメディアでは、社会党とはいわず、ソルフェリノで代用することも多かった。

あの頃、どうして左翼は強かったのだろう。
今、フランスでも社会党、そして共産党は勢いを失った。
当時、共産党支持者は国民の4分の1を占めていたはずだ。
いまや、左翼の政党は、極小政党となっている。

日本でも同様だ。
そして、ある右側の政党党首は、共産党は日本には不要だ、と言っているという。
果たして、そうだろうか?そう言い切れるものだろうか?

rue de Solferinoを見たのは、オルセー美術館にいくため、バスを降りたときだった。バス停の名前がソルフェリノだった。懐古の感情が湧き出てしまった。
社会党が盛んだったころ、私自身も働き盛り、意欲に燃え、社会的に上昇機運があったことも幸いして、いろんなことに挑戦できた。
フランスの従妹たちに言わせると、社会党の政策は間違っていた、となるが、女性の地位をアップさせたり、社会的平等を目指したり、保守政権では後ろに追いやられていた政策を前面に出した、という実感があった。

ここで共産党の意味が問われるのだが、共産党がフランスにおいても、日本においても、決して無用の存在ではないと信じている。
共産主義、communismeを正確に理解しているかは自信がないが、国民を人民、あるいは民衆といった形でとらえている、のは間違いではない。
言葉のニュアンスかもしれないが、人民、民衆という場合、それは労働階級、あるいは、国を下支えする人々の感がある。

資本主義と共産主義の対立、といった時代は終わった、というけれど、そして共産主義は破滅した、という人もいるけれど、理念として、すべてが間違っていたのだろうか。

Solferino通りに、もう社会党本部はない。

そして、フランスの現在の政党は、社会主義だ、資本主義だ、といった全世界的スケールで呼べるものはない。
お国ぶり、あるいは細分化した利益集団となって、自国の、自分自身の保身、利益を求めるものが多いように思う。

明治は遠くなりにけり、そして、昭和も遠くなりにけり、はいいが、共産党も遠くなりにけり、にはしてはならないと思っている。
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