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5月8日、le 8 mai

今日は5月8日月曜日、フランスでは祝日だ。
なんの祝日か?第二次世界大戦の戦勝記念日だ。
フランスは戦勝国なのだ。

なにもそれに文句をつけるわけではない。ただ、あの世界第二次大戦に勝利した割には、この戦勝記念日はふつう、ル・ユイ・メ、つまり5月8日と実にシンプルに呼ばれている。

フランスに行って、この呼び方を聞いたとき、とても奇異に感じた。
そしてその祝い方がそう仰々しいものではないことにも驚いた。

もう年数もたったから変化があったかもしれないが、フランスでは、第一次大戦に勝利した日のほうが重きをお置かれている、というのだ。
第一次大戦勝利の日は、11月11日、これはFete de l'Armistice(アクセントの印が入れられない)と呼ばれ、勝利VictoireではなくArmisticeが使われる。

各コミューン(市町村)には、第一次大戦で戦死した、そのコミューン出身者の名前を記した記念碑が必ず(だろうと思う)建立されている。
その戦死者の数は、第二次大戦より桁違いに多く、それだけに国民の意識に残っているのだとか。

それにしても、第一次、第二次ともに戦勝という言葉を使っていないことに驚いた。

日本では、8月15日、歴然たる敗戦なのに、終戦ということばを使うごまかしがあるが、戦勝にも関わらずその語を使わない背景には何があるか、一度は納得できる説明を受けたはずなのに、もう記憶にない。

明日、5月9日はロシアでは戦勝記念日、多大な犠牲を払って得た勝利に、それが勝利という言葉では収まらないほどの戦闘を経てのことだろうが、ほかのヨーロッパ諸国と違い、9日になったのはどういうことなのだろうか、これもきちんと調べないままだ。

5月8日に、ドイツが降伏、イタリアはとっくに降伏していた。
なぜ、日本はこの日に降伏しなかったのか?ドイツが降伏して、日本だけでこの大戦を勝ち抜くことはできない、とだれもが承知していたはずなのに、と毎年思う。
第二次大戦終結後、長く国際政治のサロンには入れなかったが、このG7が始まって、これはフランスの当時の大統領ジスカール・デスタン氏が提唱したのだが、その一国に選ばれて以来、はしゃいでいる。順繰りの議長国、ドイツのあと、それでもイタリアより先、と満足している。
アジアでただ一国のメンバー国、と他のアジア諸国のリーダーみたいな気持ちを持っているようだ。

日本には戦勝記念日というものがない。第一次大戦には、日英同盟のゆかりでちょっと参戦したおかげで戦勝国となったが、とても11月11日に戦勝記念日なんて言えっこない。
なら、日清戦争?日露戦争?この戦勝の評価がどうもわからない。

今日、フランス大統領は凱旋門の下にある無名戦士の墓を訪れるだろう。

外国とであれば戦争、国内であれば内乱、こういう悲惨な事実の記念日などもちたくはない。

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