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戦争の終わり方

2月24日、ウクライナ戦争が始まって1年となるそうだ。
去年の今頃、極東の地にすむ私には、わけがわからないまま、ロシアの軍隊が、ウクライナに侵攻した。自国民、あるいは、ロシア系の住民を保護する目的だったと思う。

日本が海に囲まれて、陸続きの国教がないせいか、おかげか、そういう形での侵攻には遭遇したことがない。
侵攻の理由が世界の理解を得られるのか?なんて新聞の大上段の記事を読みながら、クリミア半島が1994年にロシアから占拠され続けていること、などを知らされていったのだ。

UEやOTANがウクライナ支援をする、ロシアへの経済制裁をする、ロシアの士気は低い、武器も在庫が少ない、評論家、専門家の言葉を聞いていると、なんだか、すぐに終わりそうな楽観的な気分になったけれど、あの寒い冬をもう一度、ウクライナの人々に強いている。

この戦争が始まって数か月たったころだろうか、ゼレンスキー大統領はバカだ、と評する人がいた。
どういう論理でバカと評したのか、そのテレビ番組を見なかったのでわからないのだが、馬鹿だと言い切る評論家たちを馬鹿なやつたちと思った。

戦争をしかける人間はおおむね、短慮の人なのだろう。外交交渉に耐えられない人たちなのだろう。
プーチン大統領については、馬鹿を通り越して狂人と思っているが。

昨日、書いたブログに、パリ日記という本に触れたが、そこに記録されている1990年のイラクによるクウェート侵攻、湾岸戦争、仕掛けた人間を馬鹿と言っても、仕掛けられた人が仕掛けるように仕向けた馬鹿な人間とは言えないだろう。

当時を思い出しながら、あの時もエネルギー危機がおきたようだったけれど、どう乗り越えたのか、エネルギー源の多様化など、当時もしきりに問題にされていたけれど、教訓にはなっていなかったのか、
自国のみならず、他国の指導者が正常な意識をもった人か、狂った部分があるのか、十分注意を払わなければならない、などと、学んだことはどこにいったのか?

外交官でもなく、歴史家でもなく(そうありたいと思ったことはあるけれど)、21世紀の戦争というものが、20世紀とは違った形(ドローン、無人機、生物や化学兵器、情報操作)で行われているから、兵士たちが白旗あげて、まいりました、と言って終わりではないことはわかる。

それにしても、ゼレンスキー大統領のスピーチの見事さ、数年後(できるだけ早く)には、きっと彼のスピーチ集が出版されるだろう。それを午後のコーヒーを飲みながら読む、という日が少しでも早くきますように。
地震は天災だが、戦争は人災。
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