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トルコ、シリアの大地震

今日の朝日川柳に次のような句があった。「千人の単位で死者が増す怖さ」(千葉県 野田允男)
その恐怖、私ももっている。昨日は2万2千人だったのが、今朝のニュースでは2万3千人になっている。
この数字も確認された死者数であろうし、まだがれきとなっている建物の下にどれだけの犠牲者がいるのか、特にシリアの犠牲者の数字はとらえがたいと思う。

7,8という震度、ほとんど8に近い。
どのくらい激しい揺れだったのだろう。
我が家では、2011年の東日本大震災の時、たしか震度4強だったろうか。
家屋に被害はなかった。が、日中であっても(午後2時45分?)その揺れに恐怖で、外に飛び出した。
震度7以上の揺れが、現地では午前4時というから、まだ眠っている時間だろう、どうやって逃げ出したのだろう、と助かった人々をみながら思ったものだ。

天災は起きるときは起きる。人為の及ぶところではない、と思う。
この被災地、いくつかの断層がぶつかるような位置にあるという。
数十年に一度かもしれないが、地震は可能性のある場所に起きるものだ。

しかし、建物倒壊の様子をみると、多層の建物が見事にぺしゃんこにつぶれている。
パンケーキ現象(?)とかいうらしい。パンケーキを数枚重ねたようにつぶれているからか。
しかし、このような倒壊の仕方、デジャヴュではないか。
バングラデシュでも見た。インドでも見たことがあるような。それはテレビの画面であるが、実際には、エジプトのカイロでみたことがある。
カイロでは地震の結果ではなかった。しかし、大きな建物が、レンガ造りであったが、ぺしゃんこにつぶれていた。そして崩れたレンガがあるところに、鉄筋がなかった。
もしかしたら、鉄筋はもう盗まれていたのかもしれない。が、レンガも手作りのような雰囲気で、これで大きなビルを建てていたのか、と恐怖を感じた。

報道でみていると、建築基準があるにはあるが、欠陥があってもそれをちゃんと認識していますと届けておけば、建築恩赦というのがあって、そのまま建物は建てられるらしい。
そんなことがあってたまるか、である。

これからはエルドアン大統領批判だ。
エルドアン大統領は大統領の地位について20年、また今年再選を狙っているという。
トルコに任期の制限がないらしい。

一度、トルコに旅行したことがある。何年前になるかは覚えていないが、当時、エルドアン氏は首相だった。なかなかやる気まんまん、女性のヴェールをはずすことをすすめたり、なにしろ、西欧化をはかって、社会に活気があり、いけいけどんどん、頼もしい印象だった。

そして首相から大統領に選ばれたとき、私はトルコもこれで変わる、と喜んでいた。
そして、西欧には属さないけれど、NATOのメンバーとして、アジアとの間を結ぶ存在感をだしてくれるものと、勝手に期待していた。

とてもしたたかな存在だ。それは今回のウクライナ戦争において、地理的、政治的、戦略的存在を存分に意識した外交にも表れている。

しかし、今回のこの大地震、強権的政治のつけをしっかり感じているだろう。
自国の社会性の低さ、国内のインフラの脆弱さ、それは彼の政治の失敗を意味している。

被災地を訪問して、今日はよくなる、そして明日はもっと良くなる、と言っていたけれど、馬鹿なことをいいなさんな、こんな状態になった責任はどうとるのだ、よくなる、どうよくなるのだ、と私はテレビにむかって怒っていた。私が怒ってどうなる、のだが。

ウクライナの戦争は続いている。エルドアン大統領は外交を考える暇はないだろう。
ロシアはどう出る?

最後に、トルコはその英語表記TurkeyをTurkiy(uの上にトレマが付く)(トゥルキエ)と変更したいのだそうだ。Turkeyが七面鳥と同じなのがお気に召さないということらしい。
ウクライナの首都がその英語表記をKievからKyivと変更したことにならいたいのか。
まだ英語表記でそうなったのをみていない。
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