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追憶

追憶、つまり過去をたどる、年齢を重ねると、思い出が積み重なって肩がこる。
追憶という映画があった。これは過去のある事件、あるいはそれにかかわる日々を思い出す、というような、ごく短い間の思い出をたどった内容だった。
今、生まれてこのかたの思い出が、年代をおわず、あるときは幼児期、あるときはつい数年前と、その時の気分で記憶がよみがえる。

それにしても、長く生きていると記憶もおぼろ、思い出ぼろぼろ、というと、友人が、映画の題名か、歌謡曲のタイトルじゃない、と笑ったが、年月日、さだかではなく、登場人物も名前もでてこない思い出に、たいへん役に立つ資料をみつけた。

それは元新聞記者の山口昌子氏が書かれた「パリ日記」である。特派員が見た現代詩記録1990-2021で、今、わが手元にあるのはその第1巻目「ミッテランの時代」(1990.5ー1995.4)(藤原書店)である。

彼女は新聞社の特派員として、長くパリ駐在をされたが、もう退職され、パリに住まわれているようだ。
彼女の新聞期は時代、難度かお目にかかったことがあるけれど、しっかりした方だった。
新聞記者、外報部の方たちはそれなりにきちんとした方々が多かったけれど、そのなかでも凛として報道に取り組んでいらした印象が残っている。

1巻目が579ページもある本の、まだほんの90年の終わりのころまでしか読んでいないのだが、もう激動の日々連続である。なんせイラクのクウェート侵攻があった年なのだ。
あの頃のことを思い出す。姉一家はサウジに住んでいた。湾岸戦争が始まって、イラク在住の外国人が捕虜になったり、国連軍ではなく、欧米の連合軍が出兵したり、と歴史そのものが毎日起きていた。
それを事実だけ淡々と描き記されている。事実だけのはずが、その裏にいろんなドラマがあったことを覚えているから、手に汗握り、なにか記録映画をみているような、切迫した映画のシーンをみているような、そんな気持ちになりながら読み進む。

新聞記事とは違う。日記なのだ。3段に組まれたページ、何月の何日、事実の記載、そこに登場する人物、会うというより、目にしたことがあるフランス人、もう名前を思い出さなくなっていたけれど、そうだ、そんな人がそんな行動をしていたのだ、とその瞬間が目の裏によみがえる。

そして彼女の意識が、全部ではないけれど、当時、私自身がもっていたものと重なり合うと、そうだそうだ、と同館してしまう。

表紙はミッテラン大統領を中心に、右にジョスパン、左にシラク、3人とも故人ではあるが、当時のいきさつを思い出す。
ミッテラン大統領については、就任時から全立願を患っていたこと、それを14年間の大統領時代、ずっと隠しとおしていたこと、などが先に触れられている。
そうなのだ、ミッテラン大統領が東京サミットに出席したとき、その顔色が蝋石のように白かったこと、握手した手の冷たかったこと、など思い出してしまう。
またシラク元首相(ミッテラン時代、その後大統領になった)の手の大きかったこと、パリ大相撲のとき握手したけれど、その手と直接触れて、こちらの手は赤ちゃんの手のように感じたこと、など、急に思い出す。

他人の日記ではあるが、なん年何月何日という日付まで確かなものが出て、自分のあやふやな記憶が更新されるなんて、なんて楽なんだろう。

日仏交流史の資料ともなりうるこの日記、山口氏にも敬意を表したいけれど、出版した藤原書店にも感謝だ。

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