SSブログ

トイレの次はトイレットペーパー

トイレというのは、便器だけですむわけではない。
シャワー式にすれば水は不可欠、それに旧式であれ、シャワー付きであれ、トイレにペーパーはつきものだ。
まあ、近代的トイレでは、ペーパーレス、扇風機方式というのか、暖かい空気を事後に出して、乾燥させるという方式もあるけれど、我が家などはその機能は不要です、と風なしを選んだ。

能登半島のトイレに暖風方式があるかもしれないが、ごく少数だろうと、それは無視することにして、さて、トイレットペーパーだ。
この地震後の、いかに不便、不足を補っていくか、というところに、暖気を体に保つため、新聞紙を利用する、というのがある。
新聞紙の利用の一つ、と盛んに言われているが、私の世代、新聞紙がトイレットペーパーとして使われていたことを思い出させた。
新聞紙のトイレットペーパー代用、これはレポーターたちのだれも口にしない。

そう、昔、汲み取り式だったトイレに、何と呼んでいただろう、塵紙(ちりがみ)というのが一般的だったと思うが、薄茶の紙の束がおいてあった。今のトイレットペーパーとは違い、けっこうしっかりしていた。
安価なものであったとは思うが、時々、それがないとき、「便所に紙がないよ」と叫ぶと、新聞紙1枚が差し入れされ、それを幾回もおり、お尻をふくのに適当な大きさに切り分けるのだった。
すこし、揉んで柔らかくしなければ、ちゃんとふき取ることはできない。
がんばってよく揉むと、手に印刷インクがついたものだった。

能登半島、昔風の生活をずいぶん守っている様子もあるけれど、トイレはちがうだろう。
流す水がないのも困るけれど、トイレットペーパーがない、というのも大困りだ。

日本では普通には、トイレットペーパーなら流せるけれど、これが世界共通のマナーと思ったら大変だ。
今回、人体からの排出物(大・小便)は水で流せるようだが、ペーパーなどは流さないで、別にごみ袋などにいれているようだが、このやり方、いろんな国でやっている。
私が旅行した先では、ヨーロッパではギリシャがそうだった。
友人宅に泊まっていたが、ヨーロッパの一国ではあるし、警戒もしないで、排出物と一緒に流していた。友人がそれに気づいて、便器のそばにある容器にいれてね、と注意してくれて、あ、そうだった!と気づいたのだ。
アジアではミャンマー、ラオス、ヴィエトナム、などがそうだったと記憶している。
アフリカでは、便器すらないようなところが多かったので、トイレットペーパーなど、自宅にはあったけれど、都市部の大ホテルはともかくとして、ペーパーがなかった。

トイレットペーパーというのは、特殊な仕様になっているのか、ほかのものではなかなか代用できない。たとえばティッシュペーパー、柔らかいのはいいが、お尻にくっつくし、トイレには流せない。
それ以外の紙というのは、長く代用したことがないので、使い心地などはわからない。
ただ、トイレットペーパーと銘打った紙以外は流せないことは確かだ。
拭くだけ、なら、もちろん、布でもできるけれど、この場合も流すというのはダメだし、まあ、ごみ袋にいれるのなら、代用にならないわけではない。

アフリカにいるとき、生活必需品として、トイレットペーパーは常にある一定量は準備していた。
国産品というのもあったようだが、トイレのことに神経質な私には論外、フランスからの輸入品を購入していた。

考えてみれば、私が購入していたトイレットペーパーは、つれあいと私、来客用のトイレ用、と限られた人数分だったけれど、現地のスタッフはどうしていたのだろう。今になって、その配慮をしていないことに気づいている。
家を出るときは、トイレットロールを1個、一応、準備して、出先でのトイレ使用時に持ち込んでいた。必要とする場合もあり、しない場合もあった。

というわけで、被災地の方々、トイレットペーパーも必需品として要望がでていて、至極もっともの感をもち、ああ、我が家の予備のペーパーを送れるものなら、と思ったものだ。

我が家にも準備している。我が家の”もしもの場合”、というのは、考えてみれば、太平洋岸の地震、津波で、海岸サイドの道路が使えなくなった場合を想定している。
つまり、話によれば、静岡県を中心に、関東と関西を結ぶルートが断絶、静岡には製紙工場がたくさんあり、ここが被災すれば、トイレットペーパーが品不足になるのは火を見るより明らか、というような説を信じているからだ。
そのほかの地方が被害を受けていないという前提のもとに、1,2か月分の紙製品を準備するように、という説を、自分自身に対する危機管理で、これで十分といえるかどうか、は別にある程度準備している。

すべての準備品において、能登半島の被害をみていると、準備しても取り出せるのか、おおいに疑わしい。
なんだか前提がすべて、とても楽天的で、被害はたいしたことはないような、そんな設定にしか思えない。

それでも、わがトイレには、スーパーから買ってきたまま、12ロールくらいがビニールでくるまれたまま、どんとおいてある。
上品に1個、2個で予備用、とはいかないのだ。それだけのロール数があって、直接目にふれることで、長い人生の不安要素をカバーしている。

避難所にいくときも、きっとロール数個を持参しなければ、と、その日のための必要物を頭のなかでチェックしながら、念押しをしている。

テレビの映像で、避難所を見るたびに、トイレは大丈夫?ペーパーはあるの?水は流せるようになったの?掃除はだれがしているの?一度に何分くらいいてもいいの?いろいろ心配している。

現場中継にはいったひとたちは、どこで寝泊まりしているのだろう?
トイレや休息、宿泊はどこでしているのだろう?などとも考える。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。