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葬儀についての雑感

従妹は電話などで、父の葬儀を話すとき、enterrement と言っている。私が解釈すると、埋葬となって、葬儀とは違うような気もする。

昨日の教会でのミサは、教会ではそれなりの連絡網があるだろうし、親戚、知人には娘や身内の人間が電話やメールで知らせたのだろう。私には従妹からだった。
今回はフィガロ紙にもお知らせをだしたためか、結構人は多いように感じた。年配者が多いのは、父が95歳ということもあるが、甥や姪の世代、意外と若い人も見かけたので、どういう関係なのか、聞いてみたかった。

今回は火葬にするということで、他のことも簡素化されたのか、母の時つくられた式次第をかいた印刷物がない。数枚持ち帰って、父をご存知の方々に、お送りしようと思っていたのだが。

前回(母の時)、3人の名ずけ娘でしたpriere universelle というお祈りは孫の一人がした。
聖書の一節は娘が担当した。ミサの最後に娘がなにかをいう、というので、父の思い出や、皆さんとの交流のあれこれか、と思っていると、事務連絡のようなことだけだ。
そして、火葬にするのは、故人の遺志で、何年に書き残していた、と自分がそうしたわけではないことを言い訳している。まあ、これは言っておきたいだろう。火葬は初めてだ、という人が多く、いとこのつれあいも火葬場に行くのを拒否している。

なにもかもがとてもセックsecで、私のスピーチが涙を誘う唯一のものだったようだ。

火葬場い集まったのは親族のみ。それもとても近しい人たちだ。棺がおかれた部屋で、孫達が編集した思い出写真のヴィデオをみる。30分ほどだ。若々しい父、別人のようだ。
娘と息子を養子にした後の写真はまるで「幸せ家族」そのものだ。

私の写真もあって、家族の一員に入れてくれたのかな、と嬉しかった。従妹は帰った後で、現実から乖離したヴィデオだった、と言っていた。

そのあと、待合室に戻っていると、棺を炉に入れるところをご覧になりたい方はどうぞ、と小さな部屋に案内された。ほんの少数だ。これもカメラで写しているのを見る。

フランスのやりかたは、遺骨にするのではなく遺灰とするので、より高温で、長時間かかるとのこと。
どうぞお引き取りを、ということになる。
遺灰になったところで、だれかが受け取りにいくのだとか。

我々はヌイイの家に戻った。ここで軽食が振舞われる。御斎とでもいうのだろうか。シャンペンはないが、ワイン、ソフトドリンク、おつまみ、プティフール、などが供される。

親族の同窓会みたいなもので、消息を披露しあっている。娘がだいぶかたずけたようだが、何しろ父の年齢分、ものがたまっているから、まだまだたくさんの品々だ。
連れ合いのカシミアのマフラーを形見で父にプレゼントしていたのだが、それは返して貰っていいかしら?と娘に尋ねると、どうぞどうぞ、という。
さらに、母がお土産で持参した大きな塗りの皿も、食堂に飾ってあるのだが、持ち帰りたい、と頼む。

大きなものは裏に誰々に、と書いてあったようで、残りは適当にと、らしい。欲しいものはたくさんあったが、ここで欲を出すとあとでみっともないことになりそうだ。
変な処分をされるのはしのびない、と我が家の由来のものだけにした。
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