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元日から酔っぱらって

うっすらと雪化粧して始まった令和6年元旦、朝食はいつものパターンですませる。
つまり、パンとコーヒー、パンは小さいパン・オ・ショコラ、それにバナナ1本、ヨーグルト(自家製ジャムをいれて)、変に余計なものをいれないほうがいい。

そもそも、お節料理というのをいつ食べるのか、人生終末期になったのにわかっていない。
小さいとき、いつたべたのだろう。記憶にない。お節料理というものをちゃんと作れるような時代ではなかった。

いま、いろんな形で、おせちというものがでているけれど、エビ、カニ、タコ、筋子、その他の魚介類、卵焼きに伊達巻、いろいろあるけれど、実家でそんなものをみたことがなかった。時代の違いなのだろうか。

そして、人と話すとき、ある関西出身者は、12月31日におせちを食べるといい、別の地方のひとは、朝食にみんな揃って、お屠蘇から始まるおせちを食べるという。

亡くなったつれあいの家はどうだったのか、元日をつれあいの実家に行くということはしなかったので、もう記憶にもなくなった。

一人、気楽にすごす元日、おせちなど作る気にもならないけれど、やっぱりほしくて買ったもの、料理の先生の従妹が送ってくれたもの、そして野菜を一度にたくさん作りおきできるから作った筑前煮、やる気がないにしては、どうにかそろった。

お屠蘇はない。この10年以上、アルコール類を買うことはなく、かろうじて、一昨年、庭のユスラウメを漬けた果実酒が残っている。
昨年のお正月もそれを飲んだ。そして酔っぱらった。
その記憶ははっきり残っている。

でもお節料理というのは、酒のつまみ、というものが多い。数の子、松前漬け、こういうしょっぱいものは酒で流すことになる。
以前、持っていたお屠蘇セット、豪華に象彦の漆だったが、人にあげたか、骨董屋さんにひきとってもらったか、もうない。
ぐい飲みの類はまだたくさん残っている。その中の大き目のものを選ぶ。
1杯きりだから、と大きなものを選ぶところが、自分を甘やかしている。
お医者さんから禁じられたわけではなく、自己規制にすぎない、禁酒状態、昨年の元日に飲んで以来、守っている。
例外は、フランスへ行ったとき、泊めてもらった従妹たちの金婚式を迎えたというランチでのワイン、私自身の誕生日に、友人が用意してくれたシャンペン、くらいだ。

友人たちとの会食でも、飲み放題の集まりでも、しっかり自己規制していたのだが、今日は許す。

ベランダにくる野鳥たち、そんな私を見くびってのことか、餌の容器を、何度も落としてしまう。
鳥たちにも馬鹿にされた、と少しふらつきながら、容器の籐バスケットを元の位置に戻し、ヒマワリの種を追加する。

こんなだらしない過ごし方、年に一度のことです。
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