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「ビルマの竪琴」についてわかったこと(6)

中村一雄氏は、現実にビルマにいて、インパール作戦にも参加しているようだ。
彼は、召集されたとき、永平寺で修業中であり、僧衣のまま現れたというので、話題にもなり、記憶された人らしい。

彼はうたう部隊(烈兵団58連隊吉本部隊)に所属していた。

竹山氏の「ビルマの竪琴」が出版されたあと、同部隊に同じく所属していて、音楽学校を出ていた古筆了以知氏が、部隊モデル説を言い出し、中村氏にむかって、「君はさしずめ主人公の水島上等兵だね」といったことから、モデル説が生まれたのらしい。

これは中村氏の著書「ビルマの星空」(ペンネームとして武者一雄が使われている)のあとがきにある。

中村氏が僧侶であったこと、ビルマにいたとき、戦死者の弔いをしてやっていたこと、などからの説らしいが、水島上等兵は最初から僧ではなく、現地で僧侶となっている。

竹山氏はどのように人物像をつくっていったか、などの解説はしていないので、モデルがいるかいないかも不明のままだ。

中村氏は彼自身も作家で、「ビルマの星空」(1997年、近代文芸社刊)、「ビルマの耳飾り、悲劇のインパール戦線」(1997年、光人社NF文庫)を著している。
「ビルマの耳飾り」は、単行本としては、1971年に刊行されているが、それより以前に発表されたものであるのか、1967年に講談社児童文学新人賞を受賞しているのだ。

面白い偶然である。竹山氏の「ビルマの竪琴」も、中村氏の「ビルマの耳飾り」も、児童文学として発表されたものだ。
両者を読んでみて、内容が実にやさしい雰囲気に満ちている。戦争ものであるにも関わらず、なのだ。うたう部隊、そしてビルマの人々との交流、仏教について、もちろん、戦闘の場面もあるのだが、そして「耳飾り」の方は、特に戦闘描写が多くて、戦記物として読んでしまったのだが、児童対象なのか、その底辺に人間のやさしさが描写されているのだ。

中村氏は実際に体験したことを、オブラートに包んで書かれている。脚色もあるだろうが、真実の裏付けもあるのだろう。
竹山氏は創作だ。それが悪いわけではないのだが、あまりに名文すぎた。特に最後のシーンが出きすぎだ。

なまじ、モデルがいる、という話になったので、中村氏のお寺にまで出かけていったけれど、水島上等兵が創作上の人物であって何の不都合はない。

19万人の兵士がビルマの地で亡くなり、またそれと同じような悲劇は、ビルマの人々にも、イギリスの兵士にもあった。
その悲劇は、竪琴や歌といった情緒的なことで美化してはならない。
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