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体験した最高温度

昨日、今日と暑かった。1000メートルはある高地だが、最高気温は30度を超えている。
それに熱風が吹いた。緑の木々に囲まれているから、風はだいたい涼しい。だが、まるで、アフリカ、佐原砂漠から吹いてくるシロッコのように、熱をもって、周りの気温をあげていた。

今日は6月で40度を超えたところがあった。夏の暑さで1,2を争う伊勢崎だ。
そこと競う気持ちはないけれど、思い出の最高温度を引き出す。

エジプト旅行をしたときのことだ。アスワンというナイル川上流の町で、50度近くあった記憶がある。
しかし、気が遠くなるような暑さではなかった。それよりはよほど低いカイロのほうがよほど暑かった。湿度の違いだったのだろう。近くにはアスワンハイダムがあったりで、水気はあるのだが、それ以外はからからに乾いていた。

次に暑かったのは、やはりアフリカのコンゴだった。赤道直下ではない。南緯6度とか7度?、ほとんど赤道だったけれど。
したがって、温帯のような四季はなく、乾季と雨季だけ、乾季は暑く、雨季は涼しいといわれていたが、雨季も暑かった。
住まいに冷房はあったけれど、電気の供給が気まぐれで、すぐに停電するし、停電がどのくらい続くのか、神のみぞ知る、ような状態で、当時は発電機もつけていなかったので、うちわ片手に凍らせたペットボトルを膝にのせたり、体のあちこちにくっつけたり、そんなことでしのいでいた。

そんな当時のお思いでをたどると、いま電力が足りなくなりそうで、節電、節電とお経の一部のように唱えているのがおかしくなる。強制停電にしてしまえば、問題解決、と乱暴なことを考えるが、今ではすべてのものを電化している生活なので、停電だけは困ります、となっている。

そういえば、とまた別の思い出がでてくる。アフリカで生活している人、アフリカの人だけでなく、その地に移り住んでいるひとも含めて、だれもが湿った肌だった。
今思えば、常に汗をかいた状態で、その汗が蒸発することで、体温をさげていたのだろう。
握手しても、女性の間で、アンブラッセというほっぺをくっつけあう挨拶をしても、相手の肌が湿っぽくて、最初は気持ちが悪かった。しかし、その機能に気づくと、自分だって湿っぽい、とタオルで神経質にふき取っていたことをやめた。

何年のことだったか。フランスで夏の高温が社会問題になったことがあった。7月か8月のヴァカンスシーズンに猛暑がおそい、パリに住んでいる高齢者が、孤独死をしたり、瀕死の状態だったりで、見つかったのだ。
その家族たちは、ヴァカンスに出かけていて、連絡がつかなかったり、ついた家族でも、ヴァカンスが終わったら帰りますから、そちらで葬儀までしておいてくださいというようなケースもあって、孤老という問題がクローズアップされたのだ。

その当時まで、パリの夏は涼しい、という定説があった。緯度からいえば、北海道の室蘭あたりらしい。だから、冷房は必要なく、暑いときにはデパートやスーパーにいけばいい、というのが常識だった。

いまや、それは非常識になっている。いくら7,8月は別荘に出かけて、パリにいないから、といっても、もう5月、6月から暑い日はある。
早朝に窓をあけ、冷気をいれたら、あとは鎧戸を閉めて日光を遮るのが、夏の暑さを避ける方法よ、と言っていたご婦人、今はそれは通じません、と教えてあげたい。

暑くない夏、冷夏も問題だけれど、もう亜熱帯に分類されてもいい日本の気候を考えると、昔の常識、今非常識、となるようだ。
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