SSブログ

ウルルの思いで

この数日、なつかしい風景がテレビにでていた。
それはオーストラリアのウルルである。
私が訪れたころはエイヤーズロックと呼ばれていた。

ウルルは、先住民アポリジニの名前ということだ。
赤い色の、巨大な一枚岩で、平原のなかに、この岩が悠然とそびえているのは壮観だ。

もう何十年も前、シドニー在住の友人を訪れたとき、この岩周辺の観光をした。
シドニーから飛行機でアリススプリングフィールドだったと思うけれど、ウルルもよりの都市まで飛んだ。そこからバスでウルルに移動した。

どういうところに泊まったのやら、記憶にないのだが、きっと若者用の宿だったような気もする。
観光バスでウルルのすそまで来ると、ドライバーが、明朝、ここに登ろうと思っている人は、まず、今、上にみえる鎖のところまで登ってこい、それができない人は明日の登頂はあきらめるんだな、という。
まだ若かった時代、もちろんトライしたが、急な、すべりやすい石肌、ひっかかりもなくて登れない。鎖があるところは、もっと急だから鎖が準備されているのだ。

同じバスに乗っていた若い(本当に若い)男性が、押し上げようとしてくれるけれど、これは無理だと思った。
ここまで来たのに、と思わないでもなかったが、できないことは仕方がない。

バスはそれからロックの周囲をまわり、草原にあるアポリジニ住居を訪問した。
砂漠のような砂地の、灌木がわずかにある、本当にこんなところで生活ができるの?という環境だった。
貴重なたんぱく源という白い虫を供してくれた。ナマでもいいし、たき火の中にいれて軽く焼いてもいい、といわれ、焼いた方を選んだ。
虫と思うから抵抗を感じるのだろう。白子のような雰囲気で、トロリとしておいしかった。

当時はアポリジニはとてもみじめな生活環境におかれていて、観光の見世物であったり、政府の補助金で生活する、自立能力のない存在であった。
アリスの町中で、夜になると、酔っぱらって通りをふらふら歩く彼らをみると、なんとも救われない思いがしたものだ。

2019年10月25日から、このウルルに登ることはできなくなった。
アポリジニにとって、この岩は聖霊が宿る聖地なのだ。

あの日、あきらめたものの、再訪してもう一度登攀をトライしよう、と思ったりしていたけれど、それもだめになった。
ウルルは、遠きにありて想うものだ。そういえば、南仏のサント・ヴィクトワール山もとうとう登れなかった。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。