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犬がうろうろ(ミャンマー見聞録6)

私はあまり動物が好きではない。例外は、ある一定の人間と、我が家に寄ってくる野鳥の数種だけだ。
特に、ペットになる動物については、偏見すら持っている。

そんな私がミャンマーでみたのは、放し飼いの犬たちである。まずはヤンゴンの町中で、犬がうろうろしている。野良犬か?と思う。首輪がないし、したがってリードもついていない。でも雰囲気的には野良犬ではなさそうだ。
なんせ、のんびりしている。暑い国のせいだろうか、動きがゆったりだ。

ほとんどが日中のせいか、地面にねそべっているし、ときたま起き上がって、のろのろとその辺を動き回っている。

マンダレーの近く、アマラプラというところのウー・ペイン橋にいったときのことである。タウンタマン湖にかけられたチーク材のこの橋は、写真写りがいい、というので、案内された。1,2キロにも及ぶ木製の橋、なかなか情緒があって、ゆったりした気持ちになれる。途中には休憩所というのか、屋根がかけられた部分もあって、1,2キロを渡ることはしないが、そこまでを歩いていく。

歩行者だけが渡れる橋だから、幅がひろくはないが、物乞いをする人もいる。そこに、お犬様がべったりと寝ている。橋のふもとにも数匹いたし、犬にかまれた経験をもつ私は恐怖感をもってしまう。

総じておとなしいけれど、やっぱりメス犬は、出産後は神経質になるし、また予防注射などはないので、狂犬病やその他の皮膚病など、病気持ちの犬は多い、とガイドさんが説明する。

私たちが歩きだしたとき、お休み中の犬がむっくりと起きだした。そして、まるで我々を先導するように前を歩く。写真をとるために立ち止まると、犬も歩くのをやめる。
まるで、ガイドしてくれているみたいね、とガイドさんに言うと、本当にそうですね、と同感している。

さて、我々、物乞いをしている人には、ミャンマーの少額紙幣を用意しているけれど、犬については何の準備もない。
休憩所で少し座って話していると、寝そべって話を聞いている。日本語で話しているのよ、ミャンマー語ではないのよ、というが、知らんふりだ。

さあ、戻りましょう、と立ち上がると、その犬も起きて、また先導だ。寝そべっているとき、よく見ると、毛がまだらで、皮膚病にかかっているようだ。
そんな薬はないし、飼い主が面倒みないのかしら、かわいそうに、と思いはするが、それ以上ではない。
橋をもどったところで、彼女(乳房がたれていた)は、このツーリスト、なにもしてくれない、とでもいっているのか、ちょっと声をだして、仲間に合流した。

どこかの僧院では数匹(けっこう多かった)の犬たちが、道路にべったりと寝そべっている。町の喧噪のなかではないし、あなたたち、環境のいいところにいるのね、と思う。僧院であれば、食べるものにも不自由はしないだろう。犬のエリートなのかもしれない。

ミャンマーでみた犬の種類はわからない。しかし、テリアとかなんとか、というようなしゃれた犬ではなく、ごくふつうの、日本でいえばなんなのだろう、おそらくは雑種なのだろうが、中型犬ばかりだった。

きっと飼い主はいるのだろう。どこかでエサをもらい、夜の寝る場所はあるのだろう。しかし、ああも自由に動いている犬をみると、自由でいいなーとも思う。

以前にいたアフリカでは、犬をみることは少なかった。犬はおそらく原住民(犬)ではなく、西欧からつれてきたものだろうし、食料にされる可能性もある。ペットとしての存在があるというのは、生活に余裕がある、ということでもある。

ミャンマーはその中間点なのだろう。

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