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日本人墓地で「ふるさと」を歌う

ヤンゴン郊外の日本人墓地へ行った。
これは観光プランになかったのだが、ガイドさんとの会話の中で、付け加えたのだ。

「ビルマの竪琴」という小説、著者は竹山道雄だったと思う、への特別の思い、これは姉や私だけの特別なものではないと思う。同じ年代の人には共通する思いではないだろうか。

東南アジアだけではない、第二次大戦の激戦地は他にもあるし、それぞれに悲しい思い出は残っている。
しかし、ビルマの竪琴に書かれた「ふるさと」の効果はまた別のものなのだ。

この小説、脚色された部分はあるとのことだが、水島上等兵がビルマの竪琴で弾くふるさとの切ないこと、常に涙が出てくる。

それがなくても、19万人が戦死したというビルマ、現在のミャンマーに来て、できれば慰霊をしたい、との思いがかなった。
小さな「日本人墓地」の看板がかかっている。

ここは死者の慰霊の地なのか、すぐ近くにヤンゴンの火葬場がある。そして、日本人墓地の隣は回教徒のぼちとなっている。

訪れている人は誰もいない。我々の車だけだ。入り口のそばには管理人の家があるけれど、人はいない。
ガイドさんが以前来たことがある、と先に進むと、すぐのところにわりと新しい石碑が2つある。
その一つに、水島上等兵のモデルとなった中村一雄さんの記載がある。
2008年12月17日、93歳、とある。

小さい時に本を読み、映画をみたためか、水島上等兵は、戦後すぐに亡くなられたような気がしていた。10年前までご生存だったのだ。どこで亡くなられたかの記載はない。
お隣の墓碑は、同じく90歳以上で亡くなられた方のものだ。
思うに、ミャンマーの地で亡くなられたのだろう。

あの時は水島上等兵は、袈裟姿であったけれど、あるいは還俗され、家庭を持たれたのか、と考えたりだ。
手前にある花瓶に水は入っておらず、持参の花を手向けるため、水のある場所を探す。奥にあると思います、というガイドさんに、突き当たりを見ると、全ての戦死者のための慰霊碑がある。そこに人の姿、管理人の方らしい。
まずはそちらにお参りを、と行くと、菊の花がたくさん活けられている。

この墓地は、この管理人さんが、とても手厚く管理してくださっている、とガイドブックの説明だ。
管理人さんからお線香をいただき、手を合わせる。その間に、持参のお花を、管理人さんの娘さんらしい女性が、中村氏の墓の花瓶にあった大きさに整えてくださる。

彼女ら以外、誰もいない。いただいたお線香を、中村氏の前に供える。ほかの方々には申し訳ないけれど、水島上等兵は特別な存在なのだ。

さあ、歌いましょう、とガイドさんに合図する。ふたりで故郷を歌い出す。聞く人もなく、音は狂っていても構わない。
しかし、ガイドさんは、この数日のうちに、自分で特訓したらしく、音も狂うことなく、3番までをきちんと歌いきった。
二人して、涙がポロポロ落ちている。

中村氏だけではない。ほかに19万人の死者、ガイドさんによると、多くの家族が、いまだ慰霊に訪れているのだという。

園内を歩くと、人名のない暮石がいくつも並んでいる。県別に納められた遺骨もあるようだが、死者の数にしてはさっぱりした墓地である。

来てよかった、また来ます、と車に乗り込むと、管理人さんの孫なのか、幼い子供が手を振ってくれた。
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