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心の花束

カトリックだけなのか、他の宗教のことは知らないのだが、心のはなたば、という言葉がある。誰かのために、お花やものを差し上げるのではなく、お祈りをとなえ、何回唱えました、というメモを届けるのだ。

教会で長く奉仕された神父様が、母国で亡くなられた時、教会で、心の花束届けましょう、といわれた。

さて、父の葬儀のお花はいらない、と言われて困惑している。感謝の気持ち、愛情の証として、お花を贈るというのは、一番贈る側に都合がいい。

父の指定した団体への寄付も、花の代わりになる。しかし、父のこれまでの人生を顧みたとき、今だけではない、もっと長期に出来ることをかんがえた。

父と母は、とても質素な生活をしていた。40年以上のお付き合いの中で、最初の頃は、なんてケチな人たちだろう、と思ったものだ。
パンは決して捨てない、固くなったバゲットをかじるのだ。実母は、固くて食べられない、と困っていた。コーヒーの粉は2度使う。1度目は漉して、2度目は煮出す、2度目のコーヒーはまずい、なんでこんなまずいコーヒーを飲ませるの、と、あきれたものだった。
母のストッキングは破れた所を繕っていたし、服も質はいいけれど、古いもので、周囲の女性が歳をとってもファッショナブルな環境だったので、お金がないわけじゃないだろうに、と思っていた。

ケチぶりはまだまだあるけれど、彼らは、その一方で、人への援助をしていたのだ。
ヌイイのマンションには1階に使用人のための部屋があった。パリの市内なら、屋根裏部屋というのが定番だが。その部屋を外国からの留学生に無償で提供していた。マダガスカル、チュニジア、他にもいたらしいが、特にチュニジアの人は、その後も交際が続き、私も顔を合わせたことがある。彼女は、大臣にも任命されるなど、能力のある人だった。

また、父は退職後、勉強についていけない高校生の数学をみてやっていた。モロッコ人の男の子は私の滞在中、よく顔をあわせた。バカロレアにもいい点を取れた、と、モロッコから来たお祖父さんが白い長い民族服でお礼にきた、と父も喜んでいた。

私の知らないところでは、もっともっと善行を重ねていることだろう。無償の愛、という言葉も父が私に教えてくれた。

お祈りの言葉もきちんと覚えていない、ふつつかな信者であるし、心の花束が作れるか、自信はない。
また、父や母のように、あんなに質素にして暮らすのは、わたしには出来そうにない。コーヒーは、豆も選ぶし、1度だけで捨てる。
しかし、葬儀の日を待ちながら、父の心に沿う、私なりの報恩を考えてみたい。
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